お布団「ザ・キャラクタリスティックス/シンダー・オブ・プロメテウス」


《Documenting》20230721
お布団「ザ・キャラクタリスティックス/シンダー・オブ・プロメテウス」@アトリエ春風舎(7月21日14時の回)

 私はお布団の公演を1本か2本しか観たことがない上に、演劇を十全に味わう知識も経験値もないので、たぶん面白ポイントを取りこぼしている部分もあるだろう。しかし知人がこぞって絶賛しているだけに、批判的な意見もどうしても記録しておきたくなった。
 まず、本作はSFの枠組みを使って現実の問題を比喩的に語り直しているだけで、問題そのものを舞台の上に到来させられていない。本作で語られている問題とは、端的に言えば「働かない人間とそれを許さない社会の相克」である。この問題の構造そのものを作品の成立条件にすることができれば――つまり作家自身が生活保護を受けて演劇活動をしているという生の有り様を制作と上演の要素に組み込むことができれば、本作は真に政治的・あるいは演劇の制度批判的な作品になれただろう。わざわざSFというジャンルを利用して比喩的に語るよりは、ちゃんと今ここにある問題としてやってほしかった。
 もちろんオーウェルの『1984』やテリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』がそうであるように、SFの枠組みの中で問題を比喩的に語っても面白ければいいと思う。その場合、問題を未来に敷衍する想像力と、カリカチュアの力が必要になるだろう。しかし本作で40年先、あるいは100年先と設定されている未来は、「企業がコンサルする共同体」だとか「四肢の義体化」だとか「政治判断におけるAIの利用」だとか、5年先くらいに実現していてもおかしくないものばかりだ。また、「金融」という言葉の使い方などから推測するに、経済や政治についての基本的な知識に欠けている。プロメテウスと名付けられた人物が人々の間に蔓延させる「火」が、労働忌避症候群であるというアイデアは痛快だが、後半は強引な小説のあらすじを延々聞かされているようで辟易した。こうした戯曲上のウィークポイントを指摘する協働者がいれば、ずいぶんましな作品になったのではないか。
 一方、プロジェクションや音効の使い方にはセンスと経験値を感じた。いっそのこと、このままの演出で「平安時代にもニート問題があった」みたいな偽史ものにしたほうが面白かったのではないか、などと思った。(了)


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