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やめる・はじめる①通勤・リモート

新型コロナウイルスをめぐる状況の中で、これまでの「当たり前」が一瞬のうちにそうではなくなるという大小問わぬパラダイムシフトを日々目の当たりにしている。その状況下で、その必要性は叫ばれつつも本格的な導入とはならなかった「リモートワーク」に多くの組織が踏み切らざるを得なかったのが4月〜5月の緊急事態宣言期間中。そこで一定以上の成果と確信を得るも、経済優先の国・自治体の要請に形式として従うだけの組織が大多数、結局いつもの通勤風景が戻ってきている。(もちろん職種にもよることは大前提として,建前だけではない働く人のモチベーションと成果を見極められる組織はリモートワークを最大限に活用できている印象。この度はそこに「安全」が深く関わっているだけに、経営陣の様々な思惑が分かりやすく炙り出されている感はある)

世界的に見ても全く収束の気配はなく、さらに国内においては政府の無策とそれに伴い錯綜する情報の数々・・・自分の状況は文字通り自分で守るしかないなとこれまでになく実感した。勤務していた組織も4〜5月はリモートワーク・少人数シフト出勤で全く問題なく対応していたが、緊急事態宣言解除とともにそれらは終了、この時点でほぼ心は決まっていた。接触リスクの軽減が最も現実的な対応であることは科学的にも明らかであり、これから来るであろう第二波に備え、会社独自でリモートと少人数シフトを継続することを提案するもあえなく却下される。それも想定内であり、とにかく現時点で週5出勤を受け入れることはできない、検討の余地がないのであれば離職も視野に入れている旨伝え、大幅ベースダウンと引き換えに担当業務縮小と完全リモートワークの環境を手に入れ現在に至る。

現時点におけるこの選択は間違っていなかったとの確信は(一応)ある。世の中には「これまでそうだったから」という理由だけで継続されている時代錯誤で無意味なことの何と多いことか。かと思えば、絶対に継承していくべき貴重なもの・ことを「(ぱっと見)効率が悪い」との安易な判断でバッサリと切り捨てたりもしている。変えるべきもの、そうではないもの、その両者を見分ける確かな判断力が今ほど試されている時代はないかもしれない。

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