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ことのは

冷静に事実を見つめると、ぼくの頭髪が抱える問題が見えてきた。

右側頭部をA
真ん中をB
左側頭部をC
とする。

AとCは髪量豊かである。ところがBが覚束ない。寂しい。一時のように、春先の芝生みたいなチラホラからは増えたものの、それも科学的冷ややかな表現をするなら、「ほんの少し」といった程度だ。

早い話、サザエさんのお父様波平氏的シルエットなのである。
本来、A、B、Cは志を一とする同志のはずであるのに、一つになってない。
量で合わせてもらえば、問題はないのである。
少ないなら、少ない。
多いなら、多い。
どちらでも対処の方法はある。
ところが、両サイドだけ多く、真ん中が少ないという一つになってない有様では、たいへん困るのである。

いま「同志」という言葉を無意識に使ってしまったが、たぶん、昨日観た映画『マルモイ ことばあつめ』の影響だろう。

1940年代、日本が占領していた。日本語を使え、名前も日本式に変えろ、というとんでもない時代だった。このままでは母国語が消える。危機感を持った人たちが辞書を編纂しようとする。言葉を集める。方言まで集める。ところが、当局からの弾圧がどんどん激しくなる。
手は子どもにまで及ぶ。
いやはや、こんな事実があったなんて。
そりゃ、日本人、嫌われるわ。

幸い、辞書の原稿は残り、戦後無事発刊された。
涙なしには観られない作品。
言葉が、国だ。
その言葉を奪う、というのは、本当にやっちゃいけないことだと思う。

本を読まない、言葉はスラング、汚い言葉と美しい言葉の区別がない、とにかくみんな考えない・・・未来世界はそうなってしまった、というのが『26世紀青年』。

以下リンクの中に予告編があります。『26世紀青年』で動画検索すると中にYou Tubeが出てきますが、あれはファスト映画にしちゃったもので、ぼくは気に入らないのでリンクしない。みんなが汗流して創り上げた作品を、勝手に縮めるなんて、あかん!

原題は「Idiocracy」idiotつまり「おバカ」が支配する世界、という意味だろう。

日本語こそが国であり、日本人のアイデンティティ。
だとするならば、もっと言葉を大切にしなくては。それこそ、おバカ世界になってしまう。

ただ、弾圧がなくても、日本人の使う言葉は確実に変化している。
少なくとも明治末までは家庭内では「耳で聞いてわかる言葉」しか使われなかった。つまり漢語は使わない。
お父さんは勤め先で漢語・・・保険、弁護士、銀行などの名詞を始めとする漢字で表す言葉・・・を使い、家庭に戻るとくつろぐため、「耳で聞いてわかる言葉」つまり、古来から使われている大和言葉を使った。

下町の人々は「漢語はヤボ」と鼻で笑ってた。
「何カッコつけてんだい」
てなものだ。

時が流れ、「おちょうず」で済むのを「トイレ」「おトイレ」となってきたとき、「絵そらごと」が「フィクション」となったとき、日本語は変わった。

そしていま、SNS用語が入ってきた。また、日本語は変わった。

あれ? 波平さんから、えらい大きな話になってしまった。

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