本当にその人のこと知っていますか?

僕が人間関係で悩むことは、うわべだけの関係ができないことである。
好きな人は好きだし、嫌いな人は嫌いだし、興味ない人は話題にも上がらない。
僕は「人」が好きだけど、ちゃんと線を引くことだってある。
そうしないと僕が壊れてしまうから。ちゃんとその線引きはしなくてはならない。
線引きをしたうえで、人に対して諦めたくないし、皆が幸せな世の中になることはしていきたい。

しかし、線引きをするにしても、その人のことを知らないのに線引きしてしまうこともある。
SNS上で知った人、友人づてに知った人。噂で知った人。多分いろいろあるが、その人と会って、何時間も会話したわけでもないのに、その人のことを知った気になってしまうことがある。

とある人に、
「人に対してラベリングしてしまう自分が怖い」
という相談をしたことがある。
〇〇は、こういう人だな?とか、あの人に似ているな。とか。
その人の人格を勝手に構築しながら話を進めてしまう癖がある。
ある種僕の才能ではあると思っているし、いろんな方々から褒めていただくことも多い。
けれど、知らない間に相手を傷つけてしまうのでは?と不安になるのだ。

とある人曰く、
「識別することができないと、今後の人間関係にも悩むことになるよ。人とサルを見分けることができるのって、そういう機能が備わっているわけで、人と人を見分けることをしないということは極めて難しい。ある一定度のラベリングは必要で、その先のことを考える必要があるのでは」
ということらしい。
とてもいいアドバイスを頂いた後、人に対する研究を独学でし始めるようになった。植物の研究そっちのけで、心理学や社会学、文化人類学にむさぼりついているのだが…。ああ、修論大丈夫かな…。

背景としては、SNSが発達した世の中だからこそ、「ラベリングが怖い」という考えになっているのかもしれない。いつでもどこでも、他者のことを知っているという状態が怖いのだ。
その人のことを表面だけで理解して、中身を知らない状態になってしまうことが怖いのだ。

その延長線上でいえば、〇〇が好きではなくて、△△の〇〇が好きだ。みたいな考えになるのも怖いと思っている。限定的で消費的な、人の選別はとても怖い。
これから先、その人のことを、本当に知っているという状態になるのは難しいのでは?
そうなれば、考えの行き違いが増えるだろうし、ひどくなれば武力や犯罪が増えてしまう恐れもある。

こんな世の中で僕は生きたくない。

「んじゃ、SNSやめろよ」
という声が聞こえる。
それで世界が幸せになるのであればとうにやめていますよ。

別にSNSとかそういう世の中が悪いわけではない。
いつでもどこでも人とつながれるのはとてもいいことである。
だからこそ、将来、幸せであふれる世の中になるよう、「あるべき姿」を考えていかなければいけない。

「じゃあ具体的にどういうことをやればいいんですか?」
という声が聞こえる。
わからないっす。すいません。それは人生のテーマとして考えていく次第です。

昨日、そんなに面識がない方とお話しする機会があった。
僕が一方的にその人のことを知っていたので、会話の中でついつい口が滑ることもある。
その方は、僕の一つ年上なのだが、年齢に関する話題は一切していない。
それにもかかわらず、会話の流れで、
「この方と同い年ですよ」
と言ってしまったのを今だに後悔している。

女性に年齢のことを触れてしまうのはあんまりよくないよな…。
なんでこの人私の年齢知っているのって、気持ち悪い思いさせてないかな…。
あなたのこと知っていますよ感があって気持ち悪いなぁ…。
こういう会話での後悔を引きずることが多い。
多分一生悩むことになるのだけれども。
世の中に適応する、自分の乗りこなし方も学んでいかなければ…。

人に対して諦めることだけはしたくない。
この苦悩から逃げてしまえば、僕らしさがなくなるということは、当の昔に知っている。
他者に対して、その人以上に知り、期待し、好きになるということを心掛けていきたい。
世の中が幸せになることは、「人」がとても重要であると、僕は信じているのだから。

今回は思ったことを書きなぐったので、読みづらいところがあればすみません。
新年度、自分のペースで生きてきましょ。

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