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だから僕はワクチンを打つ

2021年早春

医師として働き始めて、初めて亡くなった担当患者さんはコロナ患者でした。

亡くなった日は、同居するご家族の隔離解除がでる1日前。

生きてる内にご家族と顔を合わせて声を聞けたらな、
と思うと悔しかった。

でも、転院時から人工呼吸器をつけて眠ったままで
意思表示はできなかったから、
そういう僕の思いやりも結局エゴなのかもしれない。

80代、基礎疾患もそれなりにあり、
COVID-19のガイドラインに照らし合わせても、
重症化した場合の予後は、元々かなり厳しい人。
カンファレンスの場や指導医からは、
30日後のアウトカムが変わらない中で医療資源を投入する意義を諭された。

それでもホットゾーンに何度も入って呼吸器の波形を見ると努力呼吸で、
生きたい!
と、彼が言っているように感じてしまう。

ご家族への電話連絡はこまめにして、
入院した時から退院まで面会に来れない中でも、
ご本人の厳しい状況はかなり理解して頂けた。

では、本人はどうだったのだろう?
1回も声を聞けなかったけど、
話せなくなったからと言って、彼の主体性が無くなる訳じゃない。

声はなくても、呼吸器の波形から、日々の検査結果から
彼が訴えようとしていたことを、僕は感じた。

経験も知識もまだまだだけど、少ない手がかりから分かろうとし続けた。
そこに家族への想いも重ねた。

それでも会える前に力尽きてしまい、むちゃくちゃ悔しかった。
1日でも生きてほしい、と尽くした医療は、エゴだったのかな。

自分の治療が正しかったかは分からないまま。
それでも、少なくとも、この悔しい気持ちは本物だ。
彼が亡くなった日の夜は、ボロボロに泣いた。

この方だけじゃない。

涙ながらに挿管を希望したが、高熱とボロボロの肺は助けられなかった人。
亡くなる日の朝まで食事を取り、回診で挨拶をして、そっと息を引き取った人。

急性期病院で、ここまで看取りに立ち会うことは正直珍しい。

2ヶ月で十何人もの方々が、家族に会えないまま旅立った。
見送るたびに、この感染症に対して、
何も根本的な治療ができない自分に虚しさを感じていた。

そんな中で、2月から徐々にワクチンのニュースが盛り上がってきた。

聞くたびに「あの人がワクチンを打っていたら」と、
挿管チューブを噛み締め、顔をしかめて肩で息をしていた、
あの人の顔が浮かぶ。

ワクチンを打つことで95%で感染の可能性を防ぎ、
88-100%で重症化も防げるのなら、
僕は2ヶ月の研修中に亡くなる人には出会わなかったかもしれない。
NEJM. 2020; 383:2603-2615

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先週、新型コロナウイルスワクチンの1回目をやっと打てた。

2月、3月と、第3波の緊急事態宣言の最中で
コロナ専門病院の救命センターで働いていた間には届かず、
4月にノンコロナも受け入れる別の病院に異動してやっとの接種。

供給体制がままならないことも課題だけど、
ワクチンに拒否的な人が、いまだに多いことも悲しい。

そんな中、クラウドファンディングで3000万円を調達して正しい知識を広める活動に心血を注ぐ先生方もいます。

個人的には、一人でも多くの人にワクチンを受けてもらいたい。

多くのコロナ患者さんを、むなしく見送ってきたからです。
でもきっと誰よりも悔しいのは、お別れを言えなかったご本人とご家族。

あの悲劇を止められる手段があるのなら、すぐにでも止めたい。

『こびナビ』のテーマイラストが本当に好きです。
「もうすぐ会いに行くね」
こう言える日を、一日も早く取り戻したい。

こびなび


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