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『少女革命ウテナ』 全話感想


1997年に放送されたTVアニメ『少女革命ウテナ』全39話をdアニメストア ニコニコ支店で観たので、1話毎の感想をまとめて投稿します。

なお、幾原邦彦監督作品を観たのは『輪るピングドラム』(2011)に続いて2つ目です。ピンドラの感想はこちら↓


『少女革命ウテナ』


第1話 薔薇の花嫁

さすがに1話の時点で風格がすごい。『輪るピングドラム』よりもいけるかもしれない。期待


第2話 誰がために薔薇は微笑む

ウテナが思ってたよりもずっとかわいい。本人からすれば不本意だろうけど……。川上とも子さんのCVも素晴らしい。
アンシーはまだよくわからない。(褐色肌に紫の髪といえば『BLEACH』の夜一さんを連想せずにはいられない)
個人的には若葉ちゃんのほうが好き。
・・・あ、ウテナ×アンシーって、CV川上とも子さんと褐色紫髪という特徴から、実質 砕蜂×夜一 になってるのか!


絶対運命黙示録、こんな変な曲だったのか・・・嫌いじゃないけど。
決闘でアンシーの胸からディオスの剣?を抜くカットがめっちゃかっこよかった。

エレベーターが上昇するごとに生徒会メンバーが1人ずつ増えていく演出も好き

冬芽のキャラに子安さんCVが合っていて良い

ちょいシリアスめのピアノ劇伴がとても良い曲
OPよりEDのほうが好き


第3話 舞踏会の夜に

めっちゃ良かった。
チュチュ(猿のマスコット?)はピンドラでいうペンギンたちのようなギャグポジションなのね
毎話決闘をやるわけじゃなく、こういう回もあるとわかって更に期待度が高まった。


第4話 光さす庭・プレリュード

ギャグ回わろた。笑いのセンスが普通に好き


第5話 光さす庭・フィナーレ

妹と冬芽の描写にビビった。そんながっつりセクシュアルなことやるんか・・・・・・
でも幹との兄妹関係がいい感じにすれ違っていてとても良かった。全然解決してないのにいい話感を出して終わるのも好き。決してごまかしているわけではないと信じられるから。
一貫して、他者を客体化して所有したがる父権性についての話をやっている。おそらくウテナでさえもそこからは逃れられない。囚われの姫/被害者ポジションみたいなアンシーも明らかに底知れなさを抱えているので、どう展開してくるのか。

なんやかんやでわりとしっかり学園青春群像劇をやっているところに好感が持てる。
地下鉄を重要なモチーフとしていたピンドラは、学園というよりは東京都心の街のスケールで作劇をしていた。しかしこちらは基本的に学園と寮内で話が完結している。(しかし「世界の果て」などという空疎な言及もなされる)

あと、高踏的/抽象的な雰囲気やピアノ曲、高台にある学園という設定などから『サクラノ詩』を思い出す。まぁウテナががっつりジェンダーを主題としているのに対して、あっちは普通にエロゲ(男主人公が王子様としてヒロインを救って恋をする)だからそこらへんの思想スタンスは対照的なんだけど。(女性キャラが主人公となりバトルする、という点ではむしろ『素晴らしき日々 〜不連続存在〜』に似ている)

それから、男が女を所有する家父長制を批評的に扱っておきながら、「親」が出てこないのが気になる。ウテナはもともと両親を亡くしたときに「王子様」に出会ったらしいし。親子関係がどう持ち込まれるのか、それとも最後まで欠如として描かれるのか。


第6話 七実様御用心!

壮絶なギャグ回。コメディのトーンがプリパラっぽい気がする

少年が、七実を助ける冬芽に憧れて七実に付き纏ったように、本作では他人に「憧れ」「恋い焦がれる」矢印が変な形でスライドする様子がしばしば描かれる。自分を救ってくれた王子様に憧れて「王子様になる」ことを目指すウテナ然り。
救う/救われる という権力関係と、憧れる/憧れられる という非対称な関係が容易にズレて混じり合う、というのはなかなかに興味深い。もちろん、それがジェンダー面の倒錯や批評的な描写とも通底している。


第7話 見果てぬ樹璃

橋本カツヨ(細田守)絵コンテ回
さすがに2回見た。

学校の廊下の空間構造を使った樹里とウテナの会話シーン、その後の中庭に群がる学生たちを見下ろすシーンなどは完全に時かけ・竜そばで見たやつだった。

しかし絵コンテ/演出もヤバいがそもそも榎戸洋司さんの脚本からすごい。なんやこれ。

典型的な円環式の三角関係〜〜〜〜

樹里を好きだった男はわかるが、樹里が好きだった彼女は本当に樹里の想いに気付いていなかったのだろうか? だったらなぜ「奇跡を信じて」と樹里に何度も語っていたの? 樹里も自分と同じ男を好きだと本心から思って奪った、みたく語られてるけど、そこがイマイチ納得がいかない。樹里の本心に気付いていて、その上で樹里を振るために男と付き合った、というほうがしっくりくる。それに樹里は気付いていないだけ。……のほうが、しっくりくるというより自分好みかもしれない。

2回見ると、廊下でアンシーが渡した薔薇の花を樹里が手で払って、廊下の横の壁に叩きつけられて散る、というのと、ウテナとの決闘での、上から落ちてきたディオスの剣で地面に叩きつけられて散る、という縦/横の対比があったんだと気付いた。

(アンシーの)薔薇が(樹里の手によって)壁に横から叩きつけられる
(樹里の)薔薇が(アンシーの剣によって)地面に上から叩きつけられる



第8話 カレーなるハイトリップ

ギャグカレー回。カレー食べながら見た。ワロタ


第9話 永遠があるという城

これまたすごい回だ。

「フェミニスト」が「女に優しい男」の意で使われている。
本作はフェミニズム的に評判が良いらしいけど、こういう点は大丈夫なのだろうか。

冬芽と西園寺(とウテナ?)の過去回想、めちゃくちゃ刺さった。「生きてるって、なんか気持ち悪いよね」
西園寺→冬芽の感情と、冬芽の圧倒的な黒幕感。そして未だ謎めくアンシーと、あのピンクの髪の少女……

第10話 七実の大切なもの

わりと本作における動物表象は掘り下げ甲斐がある気がする。チュチュも含めて。


第11話 優雅に冷酷・その花を摘む者

挫折回
ウテナの、お姫様になりたい願望と王子様になりたい願望の混淆と倒錯がうまく表現されていた。


第12話 たぶん友情のために

うおおお 若葉ちゃんしか勝たん
最高
でも若葉さん幼馴染ではないんだよね。ウテナ転校生だし

いや1話で取り戻すんかい。
頼むからアンシー→ウテナENDはやめてくれよ〜〜

勝っても負けてもアンシーが誰かに都合よく所有される構造は温存されるので、決闘というシステムから降りるしか方法はない。
世界を革命するってそういうこと?


第13話 描かれる軌跡

総集編なのに超重要そうな新キャラ出てきた。
『ワンダーエッグ・プライオリティ』とか『劇場版レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』でも見た手法


第14話 黒薔薇の少年たち

演出やばすぎ〜〜〜〜〜 と思ったら絵コンテ橋本カツヨ〜〜〜〜〜〜〜〜このやろ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!
決闘広場に大量の机が整然と並んでいる時点でヤバいのに、勝敗が決したら机がスライドして4方向に集まる演出で度肝を抜かれた。そのあとの棺火葬も。



第15話 その梢が指す風景

梢ちゃんがいちばん好きかもしれん。ブラコンでビッチだけど。

前話から第2章に入り、様々な固定演出がマイナーチェンジしているのが良い。反復と差異。『ゴドーを待ちながら』みたい。
生徒会のトップが七実に代わり、エレベーター口上も変わった。絶対運命黙示録の合唱に男声パートが加わり、オケも低音が強化された。影絵の2人にウテナが介入するのも大きな変化。
そして今回は梢が兄:幹の胸から剣を引き抜いたのにはビビった。


第16話 幸せのカウベル

七実様ウシ回
こわい・・・・・・プリパラを狂気と思ったことはないが、これは・・・・・・


第17話 死の棘

樹里さん回part2 島尾敏雄
今度は絵コンテ橋本カツヨではないと確信しながら見ていた(そんなに構図がキレッキレでないので)
シオリさんめちゃくちゃ性格悪いやん・・・樹里さんが人を見る目がない人になってしまう
人付き合いを勝ち負けでしか捉えられない人間。虚しい・・・・・・
もう決闘は余裕で勝ってしまう(相手を入れ替えただけで原画も使いまわし)ので形骸的なものになっている。


第18話 みつるもどかしさ

ショタ回part2
あの少年のCV、野原しんのすけ役の人だと今更気づいた
幼馴染の少女かわいい。外見がシオリに似てる

そういえば、七実のファンの眼鏡男子3人組、既視感があると思ったら『ちはやふる』の逢坂恵夢追っかけカメオ3人組だ。ウテナのオマージュだったのか?


第19話 今は亡き王国の歌

第20話 若葉繁れる

どちらも素晴らしかった。若葉がいちばん好きだああああ
20話が橋本カツヨ絵コンテだが、むしろ19話の演出のほうが印象的だったかな。
コミカルな短い回想「え?」を何度も繰り返す。夕日をバックに2人の距離が徐々に(不連続に)近づいていく。

「え?」

「普通」の女の子。憧れが倒錯して王子様になることを目指すウテナ自身も内面化しているヘテロ中心主義。
若葉とウテナの友人関係が、幼馴染ヘテロ恋愛に蹂躙され……ゆくかと思えば衝撃のラスト。(こんなに強い引きがあったろうか)
言われてみれば、ウテナの決闘の全ての始まりは若葉が緑川に酷く振られたことであった。
20話ではだいぶ分かりやすく「特別な人間」と「凡庸な人間」の二項対立が主題となる。
憧れの存在とお近づきになれて、自分まで特別になったと勘違いして浮かれる気持ち、よくわかる・・・・・・
しかし緑川自身はどうか。その二項対立に乗っかっている時点でおしまいなのではないか。
決闘では初めて、ウテナがディオスの剣をアンシーから抜かずに、相手の剣(緑川の刀)で決着をつける。友達を決して地に伏せさせはしない。それでも棺はまた1つ火葬され、違う声色の同じ言葉──「ただいま」が発されて終幕。完璧だしつらい。


20話視聴時点でのウテナ好きなキャラランキング
1位 若葉
2位 梢(幹の妹)
3位 樹里先輩
4位 ウテナ


第21話 悪い虫

七実の取り巻きモブ(茎子)回
2クール目に入って、「そのキャラに焦点あてる!?」って驚く回が続く。黒薔薇篇のコンセプト自体が人間関係と人間感情の「裏側」なので必然的。
ウテナには名前も知られていないし、火葬の前に棺に入っているキャラは映されない。そして、こういった回でさえ焦点が当たらずモブに徹する優子と愛子・・・
冬芽の顔が一度も映らず、一言も発さないのがこわい。彼、どんな状態なんだ?ウテナに負けて病身らしいが・・・


第22話 根室記念館

第23話 デュエリストの条件

黒薔薇篇クライマックス
22話は根室教授?の過去回想回。手のポインター演出が異様すぎる
23話・・・カツヨやないかい!(N回目)
正直話がよく分かっていないのだけど、あのアムロみたいな根室教授は過去にとらわれていて、既に死んでいる褐色の少年(あの女性の弟)の亡霊を観続けていて、アンシーとともにいる褐色の男に都合よく利用されていた……ってことでおk?


第24話 七実様秘密日記

七実様総集編
総集編+シュールギャグ追加要素回
悲鳴の言葉を視力検査のランドルト環代わりに見立てる演出すごい


第25話 ふたりの永遠黙示録

第3部はじまた。決闘前バンクversion.3もめっちゃカッコいい! 絶対運命黙示録がさらに男性偏重になった
そして剣を抜く側と抜かれる側が入れ替わった。しかし、抜いたアンシー力が抜けて項垂れる画
劇場版の前から車がガッツリ重要モチーフとして出てくるんだ〜〜 決闘広場の大量の車が突き刺さった画とか凄く良い
西園寺先輩いつもお披露目やられ役だけど結構好きになってきた。
EDも変わった


第26話 幹の巣箱(光さす庭・アレンジ)

やっぱ梢ちゃん好きだな〜〜 顔も好きだし、あと髪の色(濃い水色?)がなんか好き
2vs2の決闘!…と思いきや、車に乗る梢が助手席のアンシーに迫り、それに気を取られた幹がウテナに負ける。
メタファーが多すぎて正直ぜんぜん分かってない。重要そうな会話をすべて聞き逃している気がする
あの高速道路ドライブのくだりも毎回やるのね。車を呼ぶのは冬芽で、車を運転するのはアキオ
運転席・助手席・後部座席という映画における車の撮り方と位置関係がここでも持ち込まれている
生徒会のシーンで演出がふざけてるのも好き。前回の野球とか、今回の椅子・マッサージチェアとか。


第27話 七実の卵

七実様回=ギャグ回
牛の次はニワトリ(卵)・・・ まさか卵の中身がチュチュだったなんて
決闘しないで終わるの草


第28話 闇に囁く

久しぶりの樹里さん&史織回
KAITO兄さんみたいな長身青髪男子なのに名前が「ルカ」の新キャラ・・・
枝織は樹里さんを撹乱するためにわざとルカに近づいた(それをルカも分かって応じた)ってこと?
なぜ勝てたのかまったくわからん。笑ってるし。
続くんかい!


第29話 空より淡き瑠璃色の

・・・はい。確認するまでもない橋本カツヨ絵コンテ回。なんでこんなにすごいものがつくれるんだろう・・・・・・
カツヨ絵コンテ回って、絵コンテだけじゃなくそもそも脚本も良いよなぁと思って脚本家の「白井千秋」を調べたら、こんなブログがでてきた。

――二十九話は脚本も橋本さんが担当なんですか。

細田:はっきりと元の脚本が気に入らなかったんです。これは樹璃じゃないって。樹璃はこんな感じで終わらせちゃいけないって幾原さんに言ったら、「脚本家に戻してる時間はないから、やるんだったら自分で新しいのを書きなさい。でもコンテのスケジュールは変わらないからね」って言われた。それで脚本をまったく見ずに、いきなりぶっつけでコンテを描いたんです。
放映されたら脚本家のクレジットが元の脚本家の名前ではなく、「白井千秋」って名前になってました。

薔薇物語「荒行 1997」細田守インタビュー


要するに、この回は脚本もかなり橋本カツヨの手が加えられていると。(特に結末)
いや〜〜天才としか言いようがない。

『ウテナ』での幾原さんからコンテマンたちへの指令は、「枚数を使わずに、もしくは作画の力に頼らずに面白いものにしろ」ということでした。それをふまえて描かれたであろう、五話の錦織博さんのコンテは、目から鱗が落ちまくりでした。
>バルコニーのある生徒会室。シーンの冒頭から片隅になにげなくリンゴが置かれている。生徒会のやりとりがあって、シーン終わりでまたカメラはリンゴを映す。だがリンゴはなく、かわりにウサギがいる。ウサギは兎型に切られたリンゴなんです。「リンゴ」という事物の本質は変わらないまま、一瞬で「ウサギ」というまったく別の形象に転換した。この鮮やかさ。明快な切れ味。これはすごい。それもセルたった二枚で。なんというコストパフォーマンス。

こういうことをやっていい作品なんだって思って嬉しくなって、ライバル心をかき立てられた。やるからには自分も負けていられないと、脳みそを絞り出すような勢いでコンテのコマを埋めていきました。

薔薇物語「荒行 1997」細田守インタビュー

しかし、細田守もこう言っているように、決して橋本カツヨ回だけでなく、ウテナはずっと絵コンテ・演出がエグい。(音楽・音響演出もヤバい)


樹里のことを最初好きだった(そして枝織が奪った)フェンシング部の青年と、瑠果は別人だよね?? 彼は青髪じゃなかった気がするけど。

冒頭の中庭での群衆取り巻き構図、2人の会話でそれぞれの顔のアップショットを目まぐるしく切り替える演出、からの遠景FIX、海をバックにした影絵や病院の影絵ペアからのパンなど、細田守節が大集合しているのだけれど、やはり決闘シーンの、樹里がブローチをウテナに破壊されてからの流れが本当に"持っていかれた"

フラフラと歩む→自分で花を取って負ける→ウテナ「どうして、先輩…」→雨が振ってくる→割れたブローチのアップ(写真がない)→瑠果「心配ないよ、樹里」→雨で車のワイパーが動いている
特に最後にワイパー持ってくるの天才だと思う

至高の三角関係モノ。しかし、男子の女性への想いがここまで純粋に美しく描かれたのって『ウテナ』では初めてじゃないか?(まぁ強引なキスをしてるけど…)
同性への恋情を抱く樹里さんの物語の締めに、男→女の悲恋を持ってくるというのが衝撃的。しかし、それだからウケてる・・・って思えるほど単純な話じゃないしなぁ。

瑠果は「あいつを解放してやりたい」と言っていたけど、これは「奇跡」で枝織の想いを樹里に向かせることで樹里の想いを成就させることなのか、それとも、樹里の枝織への想い=呪縛を解き放つということなのか・・・・・・

そもそも、ルール通りならば、決闘でウテナに勝たなければ「奇跡」は起こせないので、枝織の想いが最後に樹里へと向いたのは、システムとしての「奇跡」に依るものではない。そうではなく、樹里の強い想いが枝織に「届いた」のだと言えよう。文字通りの奇跡である。しかし、ブローチに枝織の写真が無かったことからもわかるように、このとき樹里はもう枝織を諦めている。これ以上、自分が枝織に想いを向けることをやめようと決意していた。だから自ら薔薇を落とした。決闘前のドライブで、樹里は勝ったら奇跡の力で枝織を瑠果から解放すると言っていたが、それを諦めたから投降したのだろう。しかしその後、雨空を見上げる樹里に瑠果が近づいて、優しく「心配ないよ、樹里」と告げる。彼は「奇跡」が起こって枝織が樹里へと向いたことを感じ取ったのだろう。しかし樹里はもう枝織への一途な想いを諦めていた。さらに追い打ちをかけるように瑠果の真意を知って、ますます枝織どころではなく、瑠果へと想いが向いてしまった。

斯くして、長年の想いが相手に届いた瞬間に、自分は別の相手から届いた想いに気付き、もういないその相手のほうを向くしかなくなった。
「恋が成立した瞬間に、かつて描いていたような理想が崩壊する」のは『かげきしょうじょ!!』のさらさ達カップルにも言える。

この回がすごいのは、↑のような三角関係の感情の流れを台詞ではなく椅子の向きの演出で表しているところだが、単にイースターエッグ的に椅子が使われているのではなく、ブローチや雨といった他のアイテム・モチーフと組み合わせて重層的かつ雄弁に意図を語っているのが素晴らしい。そもそも椅子は7話の初樹里回のときから重要だった。あれは1脚の椅子に対して3人が「縦」に位置どる構図だったが、今回は遠景ショットで1人1脚を映している。

あと冬芽→暁生のオープンカー登場シーンの流れもめっちゃ良かった。途中まで瑠果が言って「冬芽、君の台詞だ」と譲るのとか。



第30話 裸足の少女

ウテナが暁生に堕ちる回
アンシーこわいよう。怪しげに見せているのがブラフで、純粋にウテナのことが好きだった…みたいな展開なら萎えるのでこわいまま不気味なままでいてくれ〜〜最後数話がこわい
というかウテナっていつからアンシーと暁生の部屋?に同棲することになったんだっけ。冬芽に勝ってから?


第31話 彼女の悲劇

七実-冬芽回
理事長館をハーレムにしたい by 暁生
冬芽、暁生、そしてアンシーによってリフレインされる「……冗談だよ/です」という打ち消しの身ぶり


第32話 踊る彼女たちの恋

やっぱり血が繋がってるんかい。にしても七実はほんと出番に恵まれていて、ほぼ主役キャラといっていいくらいだ。
ウテナに決闘を申し込むのは、ウテナに恨みがある場合以外では、それぞれの悩みをひとっ飛びで解決し解放されたいという漠然とした想いが動機であることが多い。この「世界を革命する」のが、のちの『[輪るピングドラム]』でのオウム・地下鉄サリン事件に繋がるのか。ウテナの決闘は、せいぜいウテナとアンシーに迷惑をかけるだけであるが、それが「現実」=リアリズムの領域では無差別テロとして表れるという事実を誠実に写し取った結果だとすれば、サリン事件をモチーフにして次作が書かれたのは必然であったように思う。


第33話 夜を走る王子

総集編No.3と見せかけて衝撃的な回。橋本カツヨさぁ〜〜〜
ウテナと暁生の逢瀬。本物の星空を拒みプラネタリウムに籠もるアンシー。ウテナの独白(のように見える)の脚本がすごい

暁生カー登場時の音楽めっちゃ好き。影絵少女のBGMも好き


第34話 薔薇の刻印

影絵少女=演劇部の薔薇物語。ウテナとアンシーの出会い回想
あ〜アンシーがやっぱり典型的な「可哀想なヒロイン」になってしまったな〜残念
可哀想な魔女ヒロイン。『ファタモルガーナの館』でもみた。
『ウテナ』が特徴的なのは、そのヒロインを救う「王子様」が少女-女性のウテナである点だ。が、それ以外に何かあるだろうか

結局、暁生と本当のアンシーの兄?の王子の関係がよくわからない。アンシーが兄を庇って魔女化したことで、兄は消え(?)、兄ポジションが暁生になってしまった?


第35話 冬のころ芽ばえた愛

冬芽-ウテナ回。お前そんなに本気でウテナのこと好きだったんか……まぁ如何様にも編集できるよなこの辺は。
終盤になってから話のテンポを落としてじっくりやっている。今回も決闘が無かった。
西園寺が冬芽を「フェミニスト」と言っていた。(2度目)
「女性に優しい」的な意味合いだろう。まぁ西園寺が言ってることだしセーフか

彼ら2人の生徒会バルコニーでの会話(謎の記者会見と半裸)ほんと好き


第36話 そして夜の扉が開く

これで冬芽と西園寺も退場か
サイドカー。男同士で剣を抜き合ったの初めてか


第37話 世界を革命する者

ほんとゆっくり進むなぁ。尺配分ミスったんちゃうか?
影絵少女の「3人目」は昨日読んだ『マクベス』の3人の魔女(と暗殺者)を連想する。
生徒会の面々が一人ひとり、あまりにもお仕着せな感じで処理される。シン・エヴァの終盤みたいなあれ。
男どもの乗り物はオープンカーやサイドカーときて自転車かぁ〜
舞台=鳳学園に強く制約されている物語における「乗り物」の位置付け。世界の「外」へ脱出する道具。
劇場版の「俺自身が斬月に〜」展開は、道具としての乗り物と役者=キャラクターの境界を無化していると捉えられるか。
そういやレヴュスタ映画でも列車が出てきたな。(あらかじめ定められた2点間を往復するだけの、ピンドラの丸ノ内線とは全く異なる)


第38話 世界の果て

アンシーがウテナに「本心」を語って涙を流し始めて、つまらないキャラになっちゃったな〜とこちらも涙を流したくなった。
が、最後でまだ希望は繋がれた。頼むよ〜〜〜〜〜失望させてくれるなよ〜〜〜〜〜〜


第39話 いつか一緒に輝いて

おわり!!!!! やっぱりノレなかった!!!!!! 最後数話で「お、おう・・・」となるのはピンドラと完全に同じや……

最終話も橋本カツヨ絵コンテなんだ。
学園から出て終わりなのは既定路線だが、アンシーなのね。主人公が最後に「消える」重力の虹展開。
若葉ちゃんがウテナではない子と「大親友」になってイチャイチャしてた(しかも隣に男子もいる)ので自分にとってはBAD ENDです。

最後数話というか、ウテナとアンシーの物語はまったく刺さらなかったが、全体的にはめっちゃ良かった。
カツヨ絵コンテの樹里回がどう考えても浮いていて、ウテナとアンシーの物語を相対化する働きをしている(と信じたい)。
細田守がここまで天才だとは思ってなかった。スタジオ地図世代なのでサマーウォーズとかだけ見て好き〜と言っていたので。

上でも書いたけど、若葉ちゃんがいちばん好き。アンシーみたいなわかりやすいドラマ・悲劇を抱えたヒロインではなく、凡庸で、壮大なフィクションの作り甲斐がないようなキャラクターが好き。「幼馴染」ってそういうことだと思う。(若葉はウテナの幼馴染ではないが)
言うまでもなく樹里さんも好き。三石琴乃さん最高。29話は悔しいけど神
あとは、ミッキーの妹の梢も好き。髪色が良いし、ああいう歪んだキャラが好きなので。(ミッキーはそんなに……。あと歪んだキャラといっても樹里さんの想い人:枝織も別に……)
他には影絵少女2人組も好きだったな〜〜。こおろぎさとみさん最高
なんだかんだで西園寺もちょっと好きかも。最初の印象サイアクだけど。

全39話3クールのTVシリーズ作品としての構成がめっちゃ良かった。1話毎の「絶対運命黙示録」や影絵少女カシラ、生徒会のエレベータなどで繰り返しのダイナミズムを生んでいるのもさることながら、"3幕"モノの演劇として1クールごとに少しずつ演出も話のトーンも変えていく構成が上手すぎる。

橋本カツヨはたしかに天才だが、その他の回もずっと演出がキレッキレですごかった。薔薇がクルクル回るのとかどういうことなのかはわからんが大好き。生徒会バルコニーで遊ぶのも好き

生徒会室内で様々な演出が行なわれるようになったのは、第5話で錦織博が林檎をウサギに変えたことが機であるという。橋本カツヨはこれを、たった2枚の絵で、世界を革命するという行為の本質を暗示して見せる演出だと高く評価している。同じく第5話で桐生冬芽の胸をはだけさせたのも錦織である。この後、スタッフ個々によるキャラクターの露出合戦がエスカレートしていった。 

wikipedia「少女革命ウテナ」


てかあれ生徒会「室」だったの!? バルコニーじゃん!

ギャグが面白かったな〜〜 これはピンドラでも同じだった。高尚な芸術アニメとかフェミニズムアニメみたいな側面もあるけど、ちゃんとコメディとして面白いのが好き。それでいて、性的な描写にかなり踏み込んでくるところも好き

だいたい同時期の『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-96)は、正直ほとんど良さがわからなかったし、そんなに今観る価値は(オタクの話についていく目的以外では)ないと思ったけど、これは現代オタクの必修科目と言っていいのではないでしょうか。「今見てもまったく古びていない」とかいう紋切り型は大嫌いだけど、『ウテナ』はほんとに面白かったしすごかった。



『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』

1999年の劇場版は、実はTVシリーズ本編を見始める前に観ていました。というのも、ウテナファンの知人が「ウテナは劇場版から観たほうがいい。嘘。だけど劇場版から観たひとの反応を知りたい」的なことを(たしか)言っていたからです。

もちろん初見では何もわからず、文字通り口をポカンと開けながら見て終わりました。感想は「えぇ・・・」でした。

そして今回、ようやくTV版を見終えたので再び映画版を見たわけですが、TV版との各キャラクターの外見や性格・物語上での位置づけや互いの関係などの設定の違いに戸惑いを覚えつつ興味深く思えました。

以下、(TV版と同様に)感想メモをコピペします。


□ □ □ □ □


TV版より作画がぐっと良くなってるのだけれど、あまりヌルヌル動きすぎてもウテナっぽくないので塩梅が難しい。終盤のドライブでの、デカい城車が現れたときのウテナカーの揺れの描写がめちゃくちゃ雑なのとか、わざとなんかな〜〜と思った。

TV版とは微妙に設定や性格やキャラデザが異なり、でも大筋はTV版の振り返り・再編集のように語り直す。(仮面ライダー龍騎のTVスペシャルを思い出す)

2人で外へ脱出するぶんだけ、楽天的というかポジティブな描写ではある。ウテナ×アンシー好きは嬉しいのだろうが、個人的にはTV版最終回らへんのあんま好きじゃない部分をより丹念に鮮烈に再構築した感じなので特になにも思わない。

後半の洗車→ドライブのくだり、意味分かんないっちゃあ意味分かんないけど、強烈なのは絵面であって、やってることは暁生=鳳学園=「王子様/お姫様」のジェンダーロールからの解放・脱出だから、めっちゃシンプルではあるんだよな。だからこそ、同性愛規範とかに乗りたいひとは大絶賛するのだろうし。同性2人の共犯関係で逃避行って、ちょっと前に流行った「死体を一緒に埋める百合」みたいな陳腐な(というか、陳腐になってしまった)類型に当てはまる。

個人的には、セクシュアルな同性愛とTV版での「友情」の兼ね合い/矛盾が気になるけど、「肉体関係がある同性間の友情だってアリでいいじゃないか」と開き直るのか、それともTV版(友情)と劇場版(同性愛)できっぱり分けているのか、有識者に聞いてみたいところではある。

あと、最終的に世界の果てへ向かって2人が去っていくシーンで終わることを「(彼女ら2人を鑑賞=消費=所有する)視聴者の欲望から逃れている」と解釈して、そのことを称賛?するのは、その行為自体が「欲望」の現れであるという自己矛盾性を回避できているのかがよくわからない。正当性のない批判だろうか?

短髪ウテナ。学生服を白黒に大胆にアレンジした衣裳。そんなウテナが最初、日本刀の西園寺と決闘するのは日本的な要素の連関でおもしろかった。

枝織がなぜかかなり出番を貰えていた。七実と交替するように。

冬芽はこの世界線ではウテナの幼馴染(wikiみるまで兄かと思ってた)で、樹里を助けて死んでいた??

最終話で樹里が唐突に語っていた「忘れていた」水難事故の話と繋がってるっぽいけどよくわからん。

え、こっちだと樹里、冬芽が好きなことになってんの!?

暁生のCVが変わっている。こっちの病的な声も良いなぁ。

「スキャンダルビデオ」の飛び降り前の映像、めっちゃ細田守みを感じたんだけどあそこ橋本カツヨ絵コンテですか??

ああいう狂ったDV男を固定カメラで映すやつ好きな気がする。『竜とそばかすの姫』でもやってたよね。

影絵少女2人の出番が多くて嬉しかった。劇団からラジオパーソナリティ、そしてコックピット司令官?へ。

若葉カー!!! 若葉マーク・・・

ここが映画でいちばんテンション上がった。でも、(上に乗っている生徒会が)友情だか仲間だとか言って都合よくフェードアウトしていくの哀しいね・・・


□ □ □ □ □


まとめ

TV版は橋本カツヨ回を中心に全体的にめちゃヤバで参ったけど、映画版は(すでに一度見ていたのと)苦手なアンシー×ウテナ中心のプロットだったのであんまり好きじゃない。「アンシー×ウテナが苦手でウテナ好きなんて言えるのか!」とエロい人に叱られそうだけど、むしろアンシーウテナのシスターフッド路線に乗れなくてもそれでも惹きつけられてしまう点にこそ、『少女革命ウテナ』が歴史的な傑作たるゆえんを見る・・・というのは自己正当化しすぎかな??
「お姫様」として客体化・周縁化される女性(性)が主要なテーマの作品なのだから、ウテナやアンシーという「中心」にいるキャラクターではなくて、樹里や梢や若葉、それに七実の取り巻き3人組などの相対的な周縁性を課されたキャラクターの描写にこそ真価が宿っていると思いたい。(あるいは眼鏡男子3人組とか。この意味で本作にとってギャグ描写はやはり本質的に重要であるだろう。)
・・・とはいえ、例えば前半の七実回や樹里回など(というかほとんどの回)ではずっとアンシーは「ただウテナの隣にいるひと」として明らかに周縁化されていたことも忘れてはならず、やっぱりどうあがいても『ウテナ』は傑作なのであった。
(劇場版は尺が限られていたからこそウテナアンシーの物語にフォーカスせざるを得ず、テレビ版は3クールの尺を存分に使えたからこそ「ネタ回」と言われるような話やモブ=裏側で周縁化されている人物が前景化する黒薔薇篇をやることが可能だった。そう捉えると、周縁性の表現におけるアニメ映画とTVアニメの差異を掘り下げることもできそうだ。)



イクニ作品マラソンはまだまだ続く。『ユリ熊嵐』(2015)と『さらざんまい』(2019)を、ピンドラ新作劇場版(2022.4)までには見たいですね〜〜〜





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