見出し画像

「レイヴ・カルチャー エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語」 90年代最大のムーブメントを振り返る

KKV Neighborhood #102 Book Review - 2021.10.6
マシュー・コリン 著 坂本麻里子 訳「レイヴ・カルチャー エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語」(ele-king books)
review by 与田太郎

イギリスでアシッド・ハウスがブームとなったのが1988年、もう30年以上前のことになる。このセカンド・サマー・オブ・ラブとよばれたムーブメントは60年代のビートルズの登場、70年代のパンクと比較してもその規模と影響の持続性は音楽を中心としたムーブメントとしてよほど大きいものだったような気がする。もちろん60年代、70年代から継承したものや過去の時代に作られた下地があったうえでのことだが。インターネットもなかった時代にもかかわらず、当時日本にもその熱気はダイレクトに伝わってきた。ただしまず最初それはロックという形だった。あの90年代前半のUKロックが持っていた高揚感と真っ直ぐさの背景には本書が描き出した社会現象があったのである。

本書の最初の刊行は1997年、まだダンス・ムーブメントは広がり続けていた最中だ。すくなくともそこから2005年ぐらいまでレイヴ、パーティー・カルチャーは世界中に広がり続ける。その強力なエンジンだったのはダンス・ミュージックとドラッグだった。本書ではまずその両輪の出自が丁寧に語られる。まるで社会科学論文のように、様々な場所でそれぞれに語られてきた多くの論点から重要なポイントを慎重に選び出し、なるべく中立の立場から正確に記述している。とくに本書の主役とも言えるエクスタシーについてとクラブの起源ともいえる黎明期のアメリカのパーティー、そして88年のイビサについては本書の白眉と言っていいだろう。

その後のイギリスでのシーンの展開についての記述でも、一年ごとに変わっていくサウンドの変化やキーになったDJやパーティー、ミュージシャンやオーガナイザーを正しくピックアップしていく。そのセレクションの的確さとそれぞれに絡み合って変化する状況を正確に捉えていく流れはあの時代にパーティーを追いかけまくったものにとっては驚きだろう。もちろんマフィアやギャング、そして警察と政府といった重要なプレイヤーの動向もしっかり取材している。どの立場にも与せず、きわめて公正にこの現象を捉えようとする著者の意思は本書全体からはっきりと伝わってくる。と同時に彼がレイブ・カルチャーに強力なシンパシーを感じていることも染み出してしまっているのも面白いところだ。

レイヴ・カルチャーがいったいなんであったかを一言でいうことはできないが、90年代に青年期を過ごした多くの人が踊ることに最大限の情熱を傾けたことは事実だし、イギリスではまだ若い世代にレイヴ・カルチャーが生み出したメッセージと音楽が途切れることなく繋がっている。それはあの時代の熱気が音楽シーンでは奇跡のように語り継がれているからに他ない、その部分でいえば90年代を作ったのは、60年代から70年代の語り継がれた伝説に憧れた僕らの世代だろう。

先日オアシスの映画『ネブワース 1996』を見て、写っているオーディエンスの様子が90年代のレイヴ・カルチャーが作り出したメンタリティーそのままの表情だったことに感動してしまった。イギリスのすごいところは、正しい時に正しい場所へ人々が待ち望む音楽を作るバンドがかならず登場することだ。オアシスを生んだのはあの時代のオーディエンスなのだ、そしてその背景にいた無数のオーディエンスに火をつけたのがレイヴ、パーティー・カルチャーであることは間違いない。

僕は本書に登場する数人の重要人物に個人的に面識があるが、本書を読んで改めて彼らが日本のシーンにも大きな影響を与えていることを実感した、いつか僕が見てきたことを書いてみたいと思う。日本ではイギリスのようにレイヴ・シーンが根付くことはなかったが、小さなシーンの中にはいくつもの最高で最低のドラマがあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?