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日本で暮らすロヒンギャを訪ねて

都内にお住まいのカディザ・ベゴムさん、ムシャラフ・フセインさん夫婦にお会いしました。ユニクロの難民支援の一環でお店で勤務する彼女をメディアでご覧になった人も居るかもしれません。

カディザさんは両親がミャンマー西部ラカイン州出身のロヒンギャで彼女は両親が迫害を逃れ避難したバングラデシュで生まれました。父親と同じ医師になることを目指していましたが身分が明かされる危険を察し(ロヒンギャ避難民であることがバレるとミャンマーへ強制送還され、それは死を意味する)2006年に日本に逃れました。

初めて訪れる日本という異国で日本語も一から勉強。彼女のネイティブに近い日本語を聞くと猛勉強されたのがすぐ解ります。そして国連の難民高等教育プログラム(RHEP)の支援で青山大学に入学。大学で毎年1名しか選ばれない狭き門だったそうです。大学では難民問題等を学び、現在は2人のお子さんの子育てをしながらも将来はロヒンギャ難民支援に携わりたいと仰ってました。

夫のムシャラフさんはミャンマーラカイン州生まれ。父親が有名な歴史作家で軍政を批判する本を出版したため、息子の彼も高校生の時に警察に逮捕され拷問を受けたそうです。その後ヤンゴン大学で学ぶも卒業間際に再び身の危険を察し韓国経由で2006年に日本へ逃れました。

お二人とも本当に笑顔が素敵で、知識豊かでユーモアがあり気さくな性格。人としてファンになりました。日本には約300人のロヒンギャが暮らしていると言われますが、お二人はある意味エリートなのだと思う。以前住まれてた群馬県館林市の在日ロヒンギャコミュニティの生活環境向上についても真剣に考えられていました。

もしもロヒンギャの人々がミャンマーで迫害を受けず国民として普通に生活をしていたら、彼らのような優秀な人たちはもっと活躍できる場所があったはず。生まれながらミャンマー人でない、バングラデシュ人でもない、自分は何者なんだ?という苦悩を抱えながらフェアではない環境で命の危険すら感じながら生きなくてはいけない現状。未来あるロヒンギャの子供たちのためにも変えていかなくてはならないと思います。

お話を伺った後はイフタールをご馳走になりました。ミャンマーの定番麺料理、オーノーカオスエ( ココナッツスープ麺)や揚げ春巻きが最高に美味しかったです。素晴らしいご縁に感謝。シュクリア(ロヒンギャ語で「ありがとう」)。

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