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エッセイ集

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自分の経験やそれに基づく考え方などをエッセイの体裁で書いたもの。
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エッセイ『隠れて生きよ』

 私は他人の言うことが素直に聞けない。自分と同じ意見を披露された時でさえ共感のリアクションをためらってしまうほど天邪鬼である。家族、友人、教師、上司、関わったあらゆる人に「お前は頑固だ」と言われて来た。  しかし、人間素直な方がかわいげがあるのは理解している。素直も度が過ぎると暗愚だが、ひとまず他人の声に耳を傾ける姿勢を持ってこそ器も能力も大きく育つというもの。さりとて私は天邪鬼であった。  だから、芸人の又吉氏が、 『とりあえず疑ってもいい。本当に刺さる言葉は疑う心の壁さえ

エッセイ『丸刈りの愉しみ』

 初めて母以外の女性に髪を触られたのは十七八の時だった。当時よい仲だった人と漫画喫茶のカップル席に座り、ニコニコ動画を見始めた彼女が私の頭にヘッドフォンを付けてくれたのだった。彼女の指が襟足をかすめた時の、あのぞわぞわした高揚は忘れられない。  私は彼女と共有できる愉しみとして、当時夢中だった映画『食人族』の違法アップロード動画を見せた。文明国の探検隊が密林の原住民を追いかけまわしている隙に、私は彼女の頭にヘッドフォンを付けてあげた。女性の髪のなんと柔いことを知った青春の一

エッセイ『わかっていたことではないのか』

 2014年の御嶽山噴火のニュースはよく覚えている。登山者が五十人以上亡くなる大災害だった。  被害拡大の要因として、噴火警戒レベルが低すぎたことが指摘された。そのことで自治体を批判する声もあがり、犠牲者の遺族は損害賠償を求める訴訟を起こした。  この一連の流れに、私はあきれ返ったものである。  活火山に登っておきながら「噴火に巻き込まれたのは他者にも責任がある」などと、一体何をどう考えたらそんな結論に行き着くのか。登山は自然相手の遊びだ。遊園地のアトラクションとはわけが

エッセイ『風の吹くまま』

 二十代半ばの頃、当時勤めていた会社を辞めた私は「あてのない旅」に出た。  映画『男はつらいよ』シリーズが大好きな私は、幼少期より寅さんに憧れ、「風の吹くまま気の向くまま」に旅がしたいと常々思っていたのである。行き先も期間も決めずに出かけられる機会など一生の内にそう何度もあることではない。定年後の楽しみに旅行を据える人もいるが、体力や感性の活発を踏まえると旅は若い時にしてこそ真価を享受できるもの、とも考えた。無職となって貯えを取り崩すことに心配がなかったと言えば嘘になるが、

エッセイ『歴史的他人事より小さな自分事』

 『運によって得た成功』と音声入力したら『クンニ予定の性交』と表示された。セックスの前に段取りを夢想していた青春を思い出して口の中が酸っぱくなった。こりゃ発声を改善しなきゃならん、とボイストレーニングを受け始めて早半年がたつ。  元々私は活舌が悪い。根暗な性格そのままにもごもごと喋る。母親にさえ「なに言ってるか分からん」とまま指摘されてきた。一日で声が良くなる! みたいな教則本を買ったこともあるが長続きはしなかった。そこでアプローチの仕方を変えることにした。自主トレだと飽き

エッセイ『案外見慣れるものである』

 中学の頃、二年上の先輩にブラジル人(ハーフではない)がいた。校内唯一の外国人で、私は彼を見かけるたびに注意を引かれたものである。単に私の世界が狭かったのも一因だろうが、当時はまだ外国人が珍しい存在だった。  あれから二十年。コンビニの店員など外国人のほうが多いくらいになった。もはや彼らを見て感じることは何もない。いや嘘だ。本当のことを言うと彼らには尊敬の念を抱いている。外国の地で外国語を操り、金勘定のみならず市役所より親切じゃないかと思えるほど豊富なコンビニサービスに対応

エッセイ『弓弦を限界まで引いている』

 些細なことが原因だったと思う。  記憶からは消えてしまったが、小学生同士の喧嘩だからきっとそうに違いない。  Yとは親友だった。互いの実家が徒歩三十秒の距離にあり、朝学校へ行くのも、日が暮れるまで遊ぶのも、とにかく四六時中一緒だった。  少年少女の時代にはありがちなことかもしれないが、私とYは親密だったのが不思議なほど性格が違った。インドア派で人付き合いも少ない陰キャの私に対し、Yはスポーツクラブに所属して交友関係の広い陽キャだった。  そんなYと意地の張り合いになって、

エッセイ『もう母親をやめてくれたっていいよ』

 先日、母から電話があった。連絡を取り合ったのは半年ぶりである。  開口一番、母はこう言った。 「おう。薄情息子は元気にしてるか」  熱とも、苦みとも言えないものが、私のみぞおちの辺りに渦を巻いた。  帰省はおろか電話の一本すらなかったことを、母は根に持っているのだ。  たかが半年、音信不通だったくらいで――。  と私は思う。母は続けた。 「私の予定では七十で死ぬんだから、このペースだとあんたの顔を見られるのもあと十回くらいかもね」  陳腐な台詞だ。小説なら素人の

エッセイ『礼を取るか、実を取るか』

 もう何年も前になるが、私が二十代半ばの頃、〈街コン〉と呼ばれるイベントに幾度か参加した。それは普通の居酒屋を会場にした合コンだった。  私には友人がいないので、必然一人で参加することになる。この手のイベントに一人で来る者は珍しいので、時にはテーブルに男一、女三というハーレム状態を楽しめた。こうなると相手は、興味があろうとなかろうと私と喋るしかない。数的有利のためか女性陣が比較的リラックスしてくれるのも大きな利点だった。良いことずくめなのになぜ皆友人と参加したがるのか不思議

エッセイ『三つ子の魂、孤独を未だ見ず』

 この世には、人生を黒星から始めねばならぬ運命がある。幼少期における一年間は、身体また知能の成長度合いに著しい開きを生み、うっかり早生まれした者は幼児教育の場で幾多の敗北をなめ尽くすことになるのだ。  早生まれしたというのは不正確で、厳密には早生まれさせられたのだから、震度2以下の地震が早生まれの地団駄を原因とする説は正しい。日の暖かくなってくる季節に両親が交尾したばかりに人生の門出をくじかれる哀れな子には同情を禁じ得ない。かく言う私も三月のライオンである。  自己肯定感を育

エッセイ『想像以上の切れ味』

 些細な喧嘩で手を出した。傷を負わせてやろうだなんて気持ちはなかった。ちょっとした怒りの発露。それ以上の憎しみはない。だが、私の指先は相手の眼球に当たってしまった。その人は永遠に光を失った。  ――これはたとえ話だが、ありえない話ではない。自分の振るった刃の威力が想定を超えた時、その切れ味に恐怖するのは自分自身である。もし私がこの恐怖心を忘れたならば、私は少年期の自分にすら劣る人間になったということだ。  小学六年生の時、学区に競技場が建設された。サッカーグラウンド、陸上ト

エッセイ『だからあんこは嫌いだと言ってるだろうが』

 私は心理学を修めた人に抵抗を感じる。彼らと対峙する時、私の話し方や言葉選び、些細な仕草や目線の動きが注視され、彼らは頭の中で分析しているに違いない。そう思うと不快でたまらない。  ただ、実のところ私にはそれほどセンシティブな領域はない。誰にでも触れられたくない過去や真実の一つや二つや三つはあるというが、今ぱっと考えてみる限りでは思いつかない。そりゃ重箱の隅をつつけば、十八歳まで母親の膝枕で耳掃除してもらう習慣があったとか、口にするのもはばかられる悪趣味なAVを買ったことがあ

就活生に贈るエッセイ『ジョナサンになりたい君たちへ』

 1970年アメリカで発売され世界的ベストセラーとなった小説『かもめのジョナサン』をご存知だろうか。  餌をとるためにしか飛ばない凡庸な同族を尻目に、「飛ぶこと」それ自体を追求する孤高のかもめ・ジョナサンの物語である。  数年前に星野源氏が『意味なんかないさ暮らしがあるだけ』と歌っていたが、ジョナサンが聞けば鼻で笑うことだろう。そんなジョナサンの生涯を追いながら、読者は「食うためだけに生きる人生でよいものか」と考えさせられるのである。  かつて私はジョナサンになりたいティー

エッセイ『魂の矯正』

 ここにひとりの男がいる。  パソコンに向かい、ぶつぶつ言いながら書き込んでいるのはnoteの記事だ。数か月前に始めてから、それはひとつの趣味となった。  男は小説で一発当てたいと望んでいたが、近頃は筆が乗らない。多額の賞金に釣られてENEOS童話賞なるコンテストに七編送ったが、一編もかすらなかったことが尾を引いているのだ。  やる気のない時の男の休日は酷い。今朝は二度寝して九時に起きた。いや厳密に言うと目を覚ましただけで起き上がってはいない。たっぷり九時間は寝たので体は動き