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エッセイ『だからあんこは嫌いだと言ってるだろうが』

 私は心理学を修めた人に抵抗を感じる。彼らと対峙する時、私の話し方や言葉選び、些細な仕草や目線の動きが注視され、彼らは頭の中で分析しているに違いない。そう思うと不快でたまらない。
 ただ、実のところ私にはそれほどセンシティブな領域はない。誰にでも触れられたくない過去や真実の一つや二つや三つはあるというが、今ぱっと考えてみる限りでは思いつかない。そりゃ重箱の隅をつつけば、十八歳まで母親の膝枕で耳掃除してもらう習慣があったとか、口にするのもはばかられる悪趣味なAVを買ったことがあるとか、できれば他人に知られたくないことはある。だが、「できれば」という程度のことで、それを心理学的に暴かれたからといってどうというほどのこともない。
 それでも、自分の意志で脱ぐ前に他人に丸裸にされるのは気に入らない。心理学を修めた人と対峙する私のこのような心理は、心理学的にどう説明できるのだろうか。


 ゲームクリエイターを志して通った東京のスクールには、大学で心理学を修めたという女性教師がいた。創作と人間心理の関係は深いから、その観点からの知見を教授してくださるというわけだ。
 年齢は三十半ばか、四十近かったかもしれない。独身男の私が他人のことは言えないが、彼女はおよそ異性にモテるタイプではなかった。肥満体型で、納豆のパッケージばりの典型的おかめ面。口調からして気が強く、「私は男なんか必要としない」オーラが常にびんびんだった。
 それでも、彼女にしつこく言い寄る年上の同僚がいたらしい。そのことを話した時の彼女が強く印象に残っている。

「その人は血液型性格分類を信じていて、それを根拠に私との相性が抜群だと言ってくるの。私が学術的に血液型と性格に関連はないと説明しても聞く耳を持たないのね」

 五十にもなるオヤジなのに本気でオカルト話を信じているのよ、と嫌気が差しているような話しぶりの中に、女として男に言い寄られることの喜びみたいなものが隠しきれていない気がした。
 こんなふうに十八のガキに分析されていたと知ったら彼女はさぞかし不愉快だろう。私が心理学を修めた人に抵抗を覚えるのは一種の同族嫌悪かもしれない。


 ある時、彼女は学生を一人ずつ面談すると言い出した。私の通っていたスクールの規模はその辺にあるカルチャースクールを思い浮かべてもらえばいい。少人数だからそのようなこともできた。
 私は、ただ単に彼女が学生を利用して心理分析の実践をしたいだけなのではないかと思った。事実面談の中でされた質問は、近況に対する雑感とか、友人関係がどうとか、「これ授業としてやることか?」と疑問を抱かざるを得ない内容だった。
 極めつけはこの問いである。

「過去に戻れるならいつに戻りたい?」

 いかにも心理学をかじった人間が訊きそうなことである。つまり私が大嫌いな種類の質問である。こっそり分析されることさえ不快なのに、心理学的に分析する意図が丸見えの問いには反吐が出る。

「戻りたくないです」

 と私は答えた。彼女は続けた。

「戻るとしたら?」

 私は苦笑して適当な日付を答えた。この時のことは未だに後悔している。十秒前と言えば良かった。十秒前に戻って、「くだらん質問をするな」と彼女に言ってやりたかった。

 後に彼女は学生たちの前で面談の総括をした。同じ質問に「戻りたくない」と答えたのは私だけではなかったようで、そう答えた学生に向けて彼女は語った。

「『戻りたくない』『戻る必要がない』というのは思想としては構いませんが、もし就職面接で似たようなことを訊かれた際にそう答えると、『話が分からない人』と判断される可能性があります」

 驚いた。少しは学生の益になるという考えがあっての面談だったようだ。
 しかし質問がくだらないという感想は変わらなかった。過去に戻る意思がない人に「戻るとしたら」という話を続けるのは、あんこが嫌いな人に「こしあんとつぶあんのどちらが好きか」としつこく尋ねるようなものである。
 仮定の話であればどんな質問にも答えられるはずだ、と考えているのならそれは浅い考えである。「母と娘、犯すとしたらどちらを犯す」という仮定の質問に、それでも答えるべきという奴はイカれているだろう。心理分析に利用する意図での質問なら、仮定の質問に対して仮定を否定する答えを返す人間心理を分析すればいいだけのことである。想定内の答えでないと話を広げられないなら仮定の質問など初めからするべきではない。もっとも、就職面接においては私のような面倒くさい人間を排除して「とりあえず話を合わせておく」という処世術を身につけた人間を選別することが目的かもしれないから、このくだらない質問にも一定の有用性は認められよう。


 あの女性教師は今どこで何をしているだろうか。
 「血液型性格分類は真実である」という仮定を受け入れて、言い寄って来るオヤジを楽しげにあしらっているといいのだが。