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映画『マーサの幸せレシピ』の感想。肯定する/されるという変化。

主人公の中年らしい落ち着いた恋愛と、亡き姉の娘と信頼関係を築く過程を描く優しいドイツ映画『マーサの幸せレシピ』の感想です。

物語を通して登場人物が精神的に成長したり、考えを変化させたりする作品は多いですが、それらは得てして、欠点を否定し――すなわち過去を否定し、生まれ変わるという描写になりがちです。

しかし、ダメな所はダメなまま受け入れたっていい。短所は見方によっては長所になるし、他人からすれば欠点であっても、本人にとっては譲れないことなのかもしれない。あるいは、本人にとって悩みでも、他人はそれを受け入れるかもしれない。
本作は、そんな「肯定する/されるという変化」を見せてくれる映画になっています。



■ あらすじ

町一番の腕を持つ料理人のマーサは、しかしその完璧主義ゆえに頑固者で神経質。
仕事一筋で趣味もなく、恋人もいない。
その性格が災いして、店の客と口論になることもしばしばだった。
彼女の言動を問題視したオーナーから、精神科医のカウンセリングを受けるよう命令される。
マーサには自分がそれほど深刻な状態であるという自覚はない。

そんな時、マーサの姉が交通事故で亡くなり、姪のリナを引き取ることになる。
マーサの姉とリナの父親は既に離婚しており、父親の居場所はわからなかった。
経験のない子育てに戸惑うマーサ。その上、産休が迫る同僚シェフの代わりに雇われた陽気なイタリア人・マリオとは反りが合わない。

リナは母親を亡くしたショックからか、まともに食事を取ろうとしなかった。
マーサはお手上げ状態となるが、マリオは持ち前の陽気な性格でうまく誘導し、リナにパスタを食べさせる。
それがきっかけで、マーサはマリオに対する見方を改めた。

マーサはリナやマリオと親交を深めていく。
孤独でさえあったマーサの人生は、リナやマリオの存在によって少しずつ違う景色に変わった。

そして、ずっと捜していたリナの父親が見つかる。
父親は再婚して新しい家庭を持っていた。
しかし、責任感のある良い男で、リナを引き取るという。
リナも望んでいたことである。マーサは父親にリナを託した。

リナと別れた後、マーサは寂しさを堪えきれなかった。
そして、リナを迎えに行くことを決意する。
マリオと共に向かう車の中で、「リナは私の所へ戻って来てくれるだろうか」と不安を口にするのだった。


■ 冒頭の魅力

本作は主人公・マーサが精神科医のカウンセリングを受けている場面から始まるのですが、マーサは医者に料理について一方的に語りまくります。
日本語吹き替え版から引用すると――

《鳩はローストに限るわ。焼くと、もっと風味が引き出されるの。付け合わせはなんと言ってもイグチタケのラビオリが最高ね。季節によって、トリュフやマッシュルーム、アンズダケもいいわ。》

――といった感じです。
小説の冒頭だとしても、ちょっと面白そうに思います。
カウンセリングでは毎回、マーサが料理の話ばかりすることが示唆され、主人公の性質(ほかに話題にできる趣味等がないこと)の描写としての機能もばっちりです。


続けて、本作はズルいやり方で視聴者を引き付けます。
キース・ジャレットの『Country』というインストの名曲が流れるのです。
映像はレストランの厨房での料理風景です。
ジャズと高級料理……シャレオツです。
冒頭のクレジットが退屈過ぎてイライラする映画も多いですからね。映画館の場合、最後に流してくれれば席を立てますが、冒頭だとそれもできない。


■ 二度描かれる店の客との口論

マーサは仕事の出来る人ですが、その完璧さを他人にも求めます。ゆえに頑固で、許せないことは許せない。

序盤、フォアグラにきちんと火が通っていないと理不尽なクレームをつける男性客に、マーサは売り言葉に買い言葉で対応してしまいます。


「豚に真珠ってこのことね。この店を大衆食堂なんかと一緒にしないで! あなたみたいな人、ワインだけ飲んでいればいいわ。タバコ吸いながらじゃ味がわからないでしょうけれどね! もう二度と来ないで!」


オーナーに諭されても、マーサは耳を貸しません。
冒頭のカウンセリングの場面と合わせ、マーサの欠点が示されます。


物語を通しての「変化」を表現するために、冒頭と終盤でキャラクターを同じ状況に置くのはシナリオ構成の常套手段ですが、本作もこの手法を用います。
二度目でマーサの変化を描くなら、理不尽なクレームをつける客に対して言いたいことを堪えるだとか、穏やかに説得できるようになるだとか、そうした場面を用意するのが常道でしょう。


リナが父親に引き取られ、離れ離れになった終盤、マーサは再び理不尽な客から「火が通り過ぎだ」とクレームをつけられます。
序盤と全く同じ場面。マーサの取った行動は、変化しませんでした。
生肉を片手にクレーマーのテーブルへ行き、それを叩きつけました。

「これに塩コショウでも振って食べれば!」

やるだけやってマーサは帰ろうとしますが、オーナーは言いました。

「今出ていくなら明日から来なくていいわ」

マーサはしかし、店を出ていきます。
そして、リナを迎えに行く決意をするのでした。


■ 変わった所と変わらなかった所

マーサは恐らく、今後もクレーマーと闘うでしょう。物語を通して、そういった部分は変化しなかった。

それでも、彼女自身の人生は大きく変化しました。
物語の最後、リナはマーサのもとに戻って来ました。
マーサはマリオと結婚し、陽光溢れる屋外で大勢の人達に囲まれて祝いの食事を楽しみます。
かつて、薄暗い部屋で独り、食欲もなさげに食事していた時とは正反対の景色がそこにありました。

趣味もなく、恋や遊びに無関心だったのが、一緒にいる人が出来た。愛する人が出来た。

もうマーサにカウンセリングを勧める者はいないでしょう。
彼女は自分を受け入れてくれる人を得た。
それこそが最大の変化だったように思います。


この記事では詳細を書きませんでしたが、マーサのリナやマリオとの関係がどのように深まっていくか、その過程も映画ではきちんと描かれています。
どういうプロセスを経て二度目の口論の場面に至るか、ぜひ映画本編を観てみてください。


最後にオマケ。
この映画に登場した印象的な台詞はコレ!

「嘘をつくなら、理由がいる」



キース・ジャレットの『Country』はこちらのCDに収録されています。