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芸術についての雑感①


一般的に余暇・道楽とされる芸術何某を感受できることは、動物世界上私たち人間に与えられた揺るぎないご褒美。
芸術は今も昔も、私たちの感情どころか、世界の在り方に影響を与えてきたものなのだ!と豪語したいとこらけど。
実際には、お腹を満たす事がなければ、喉を潤すこともない。なので、人間活動上、多くに場面において、趣味趣向の道楽だと軽視されがち。生きる上で必要不可欠なものとは断言できない。

だけど、芸術は、言葉では表現できない感情を、その個人がそれぞれの感受性と技術をもって、音や造形、言語、演劇や舞踊で表現する。その表現に共感することで、不思議な一体感を得る事ができる。これは、ハンバーガーを食べたり、コーラを飲んだりしただけでは味わえない不思議なムードなんですよね。

音楽で奏でられる一音一音が、その演奏する人の何かを語る。文学で綴られる日常生活の抜粋が、言葉の言い換えで新しい語感の美しさを表現する。そしてそのあらゆる表現媒体から発せられる物語はその人の精神を反映、または自己投影の形でフィードバックする。
その時、その芸術がもたらす光はどんな人にも鮮やかにその人の過去、現在、未来を照らす。

当たり前のようでそうではない共通の言語を通じて、共通ではない表現を通して、芸術は私たちとその物語を共有する。
私はそれを子どもたちに伝えていきたいと願うので、可能な限り美しい形で、自己表現する彼ら彼女たちを支援するために働いてると自負することで私の在り方そのものを肯定している。

芸術のうち、音楽であれば、その音と音との間に訪れる期待感や緊張感が、なんでもない時間を一瞬のうちに、違う日常の瞬間へと変化していく。絵画や彫刻など静止している表現物であれば、時間の制限を受けずに、自分がこれまで感じたものとの対比としての現像を時間をかけて対峙することができる。

"音を真剣に聴く""鑑賞物だけを観る"という行為は退屈な行為である"ということは、殆どの人にとって感じられる印象だと思います。
(だって、ながら聴き、ながら鑑賞が圧倒的でしょ)

そうではなく、何かの表現物に対してマンツーマンで向き合って、その時の自分の心と身体の変化について観察することもひとつのマインドフルネスだし、新たな自分の情緒を探るきっかけになると私は信じてますー。

生きる上でのプラス要因、無くてもいいけど、あるとどうなるかな?を模索していくことが人生の豊かさだと思う。

食べること飲むことが大好きな欲張り女の、春の綴れ織でした😂

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