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百年の女 ー夢十夜/第一夜よりー

静かな声でもう死にますと
長い髪を枕に敷いて
真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して

   とうてい死にそうには見えない
   しかし女は静かな声で、もう死にますと云った

死にますとも
長い睫につつまれた大きな潤いのある眼で
眸の奥に私の姿を鮮かに浮かべて

   これでも死ぬのかと思った しかし
   私はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った

死ぬんですもの、仕方がないわ
黒い眼を眠そうにみはって
にっこりと笑って

   すると黒い眸のなかに鮮かに見えた私の姿が
   ぼうっと崩れて来た

また逢いにきますから
赤い日が東から西へ、東から西へと
落ちていくうちに

   静かな水が動いて写る影を乱したように流れ出し
   長い睫の間から涙が頬へ垂れた

百年待っていて下さい
あなた、待っていられますか

   女はもう死んでいた
   私はただ、待っていると答えた

百年は
月下に眠る
柔らかな土

その上のほの暖かな
星の破片

苔の生えた
丸い石

百年は
星降る石下に
芽吹くからだ

私へと伸ぶ
青い茎

真白な頬のごとき
百合の弁

私は首を
前へ出して
冷たい露の

滴したたる
白い花弁に
接吻した


注)原文テキスト参照
  :青空文庫 夏目漱石『夢十夜』第一夜

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