20231009

 最近、カズオイシグロの『遠い山なみの光』(小野寺健訳、ハヤカワepi文庫)を読んでいる。カズオイシグロの作品は『日の名残り』や『わたしを離さないで』などを読んでいたが、今作は彼の長篇デビュー作で、イギリスで王立文学賞を受賞している。彼が五歳までの短い間過ごした長崎と彼が育ったイギリスが舞台。戦後の長崎で、語り手が妊婦だった頃に出会った母娘とのエピソードを思い返すという筋ではあるが、語り手の境遇もかなり複雑で、長女が自殺し、次女が彼女を訪ねているという時間軸から回想という構造になっていて、彼女が出会った佐知子という母は戦前の裕福な暮らしを忘れられず、娘の万里子は絶えず不気味な女性の幻を見ている状態で、全体的に不穏な空気が満ちている。回想では、戦前の古い価値観を持つ義父と、仕事にしか興味のない団塊世代の夫、原爆で家族を失った蕎麦屋の店主、裕福で自慢話に花を咲かせる主婦など様々な人々との交流が描かれ、様々な価値観や思想をそれぞれが表現しており、後にノーベル文学賞を獲ることになる片鱗を早くも見せている。まだ途中ではあるが、久しぶりに読む手が止まらない一作に出会った。

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