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世界の(未)公開映画

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東欧映画、ロシア映画以外の未公開映画についてまとめています。最近は公開された作品も掲載しています。全ての記事をどこかに帰属させてあげたいという親心です。見逃してください。
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記事一覧

ニナ・メンケス『The Bloody Child』アメリカ、匿名化された女性たち

ニナ・メンケス長編四作目。『The Great Sadness of Zohara』から連なる四部作の終章。実際に起こった事件、湾岸戦争から帰還した若い海兵隊員が妻を殺してモハーベ砂漠に埋めようとして逮捕された事件に着想を得ている。映画は逮捕される前後の瞬間、海兵隊員たちが屯するビリヤードバー(男や彼を逮捕した隊員たちが通っていたかもしれない)や、森の中に呆然と座り込む全身泥まみれの女性の映像などを時間も因果もバラバラに繋ぎ反復し続ける。特に多いのは現場に続々と集まってくる海

ロルフ・デ・ヒーア『Alien Visitor』宇宙人に環境問題について説教される回

ロルフ・デ・ヒーア長編六作目。焚き火を囲んで座る老婆が二人の少女に昔話を語る。昔々、南十字星の一番暗い五つ目の星イプシロンから誤って地球に送られてきた美女異星人がいた。彼女はオーストラリアの砂漠に降り立ち、測量技師の男と出会った云々。地球は人間が環境を破壊しまくるので宇宙人に嫌われていたらしく、異星人は時空間移動能力を駆使して、ひたすら測量技師に説教を続ける。テレポート能力でひたすら背景を入れ替えながら二人で並んで歩いて、ひたすら説経するだけという謎のシーンばかりで、もはや笑

アトム・エゴヤン『Calendar』アルメニアの教会群でカレンダーを作る夫婦の物語

大傑作。アトム・エゴヤン長編五作目。ある写真家とその妻は、カレンダー用写真の撮影のためアルメニアを訪れる。運転手兼案内人のアショットが熱心に教会やその歴史を解説してくれて、妻は熱心に聞き入って翻訳する一方、写真家は表面的な構図にしか興味がなく、長話をして惹かれ合っているようにも見える二人に嫉妬している。撮影されたアルメニアでの映像は全て写真家の一人称視点であり、興味のない箇所は飛ばされ、思い返したい箇所は何度も巻き戻される(普段通りの時制操作だがここでは奇跡的なまでに上手くい

ミン・バハドゥル・バム『黒い雌鶏』ネパール、視界の外側にある戦争

傑作。ミン・バハドゥル・バム長編一作目。ベルリン映画祭予習企画。2001年、ネパール北部の小さな村。この年は、1996年から続く内戦が短い停戦に至った年でもあり、王族殺害事件が起こった混乱の年でもあった。村にはカーストの異なる二組の姉弟がいた。結婚を間近に控えたウジャルとその弟キランは庄屋の子供で、最近母親を亡くしたビジュリとプラカシュは不可触民の子供だった。キランとプラカシュは仲良しなのだが、特にキランの家族はプラカシュと仲良くすることを嫌がっている。そんな中で、プラカシュ

Kazik Radwanski『Cutaway』&『Scaffold』ブレッソンとマッケンジーへの漸近

カジク・ラドワンスキ(Kazik Radwanski)短編二本。『Cutaway』は建設労働者として働き、恋人との間に子供が生まれようとしている男が迎える短い変化の時間を"手"のみで表現していく。壁をドリルで破壊する手、漆喰を捏ねる手、恋人とのSMSに返答する手、お金を引き出す手、恋人の手を握る手、頭を抱える手、窓の露を払う手。それぞれに不安や喪失感といった感情が宿った手の動作が連鎖していく。右の掌に怪我をしてから治るまでの長い時間を感じさせない、短く切られた場面の数々。窒息

アル・ウォン『Twin Peaks』あるトラック運転手の見た宇宙

大傑作。配達ドライバーとして働いていたアル・ウォンは、サンフランシスコのツイン・ピークス周辺のループする道路が持つ瞑想的な特質に魅了された、らしい。伝説的な曹洞宗の僧侶で、アメリカに"禅"を広めた鈴木俊隆の弟子ということもあって、禅哲学の無限のサイクルを象徴する作品になっている。画面に映されるのはトラックの運転席と助手席の間に置かれたカメラからフロントガラス越しに見える景色である。左手前には運転する人物がハンドルを回す腕だけが見えているが、言葉は発さない。画面のちょうど真ん中

ヴィットリオ・デ・セータ『オルゴソロの盗賊』イタリア、過酷な土地に生きる羊飼いの決断

ヴィットリオ・デ・セータ長編一作目。サルディーニャ島オルゴゾロ村の羊飼いは、脆弱な土地を移動するという過酷な生活背景から、彼らの中にある掟に従い、重要なのは家族と地域の繋がりだけらしい。デ・セータはこの3年前に『オルゴーゾロの羊飼い』というカラー短編を撮っており、多くの面で本作品はその延長線上にある。主人公は羊飼いミケーレ。ある日、彼が普段使っている休憩小屋に豚を強奪した盗賊たちが入り込んだ。しかし、ミケーレは彼らを追い出そうとせず(関わりたくないとは思っている)、後を追って

アザゼル・ジェイコブス『The GoodTimesKid』増殖した三人のルドルフォたちのすれ違うアイデンティティ

傑作。アザゼル・ジェイコブス長編二作目。彼女との生活に不満を持つロドルフォ・カノ(ジェイコブズ本人)は軍隊入隊を決意し、何の手違いか同じ町に船で暮らす同姓同名の男ロドルフォ・カノ(ヘラルド・ナランホ)にも召集令状が行ってしまったことで起こる奇妙なアイデンティティの交換。軍事務所でロドルフォ=ジェイコブズを見つけたロドルフォ=ナランホは彼を追って自宅まで辿り着き、彼の恋人ディアスに出会う。チョコケーキ粉砕、冷蔵庫殴り散らし、アップテンポなダンス、そして疾走といった、彼女の長い手

レイモンド・リー『ドラゴン・イン』やたら血の気の多い"龍門の宿"

大傑作。キン・フー『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』(以下、原作)のリメイク作品。プロデューサーにツイ・ハークが参加している。いきなり東廠の訓練シーンから始まるのだが、雑兵が既に原作のトップレベルというくらいにインフレしていて笑えてくる。それに比例して主要人物の能力もインフレ気味で、原作は人間の延長線上にあった達人描写だったが、本作品では異能バトルみたいになってた(それはそれで面白い)。冒頭のバトルから、剣が湾曲し、人間ではありえない高さを飛んで、ラスボスが木端微塵にした剣の破片

バス・ドゥヴォス『Hellhole』無邪気な神話を喪失したブリュッセルの新たな拠り所はなにか

傑作。バス・ドゥヴォス長編二作目。2016年に起こったブリュッセル連続テロ事件の余波を描いた一作。最初からテロ事件を描く予定ではなかったのだが、ブリュッセルの描く作品を製作中にブリュッセルでテロ事件が起こったことで、描くことは避けられないと悟ったそうな。結果的に前作『Violet』の主人公が持っていた喪失感に似た感情を持った三人の人々を主人公とした物語が完成した。一人目はアルジェリア系の青年メフディ。彼は当日現場にいたようで、怪我はなかったものの変則的な頭痛に悩まされている。

Gastón Solnicki『Kékszakállú』アルゼンチン、少女たちの将来への不安

ガストン・ソルニツキ(Gastón Solnicki)長編劇映画一作目。バルトーク・ベーラ唯一のオペラ作品『青ひげ公の城』に緩く基づいている他、それをフリッツ・ラングがノワールに翻案した『扉の陰の秘密』にも影響を受けているらしい。バルトーク版ではペロー版やメーテルリンク版と異なり、主人公が扉を開けるタイミングで毎回青髭本人が付き添っており、怪物としてではなく一人の人間として青髭を描いている。あまり関連性は見いだせないが、ソルニツキ的に言わせてみれば原作と一致させることには興味

ヨルゴス・ランティモス&ラキス・ラゾプロス『My Best Friend』ランティモスがキャリアから消した幻のデビュー作

ヨルゴス・ランティモス長編一作目、本作品で主演も務めるラキス・ラゾプロスの長編一作目でもある。のはずが、ランティモスの公式サイトではこの作品はフィルモグラフィに掲載されておらず、なんなら長編二作目『Kinetta』を初長編と呼んでいることから、完全に経歴からしれっと抹消され、"なかったこと"にされている作品である。ちなみに、本国ではラゾプロスの方がランティモスよりも人気らしい(ラゾプロスは有名なスタンダップコメディアンらしい)。物語は主人公コンスタンティノスが飛行機に乗り遅れ

ロルフ・デ・ヒーア『悪い子バビー (アブノーマル)』オーストラリア、母親の呪縛から逃れるとき

1993年ヴェネツィア映画祭コンペ部門選出作品。ロルフ・デ・ヒーア長編四作目。アデレードの工業地帯に暮らす35歳のバビーは、虐待的で狂信的な母親フローレンスに監禁され、文字通り"飼われて"いる。外は毒ガスが充満していると言われ続け、脱走の意志は削がれていた。まるでカスパル・ハウザーみたいな話だ。そんなとき、彼の存在を知らなかった父親が帰ってくる。独り占めしていた母親を取られてしまい、外の世界からマスクもせずにやって来る、この無礼な男の登場によって虐待が過激化したために、バビー

ロルフ・デ・ヒーア『ディンゴ』マイルス・デイヴィスが復活する話

ロルフ・デ・ヒーア長編三作目。オーストラリアの田舎町に住む青年ディンゴは、20年前に出会ったジャズミュージシャンの演奏が忘れられない。空を飛ぶことへの憧れを描いた前々作『ヒコーキ野郎 / スカイ・キッド』、空から来た侵略者との不可視の戦いを描いた前作『エンカウンターズ / 未知への挑戦』の路線を引き継いで、本作品でもジャズミュージシャンのビリーは、ディンゴ少年の頭の真上を通って田舎町に降り立つ。その後は大金持ちになって帰郷した親友と妻を取り合う云々という超絶どうでもいい三角関