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青春秋①〜イケメン坊主への恋騒ぎ〜

私の家は禅宗の臨済宗なんですけど、母方のお墓はその県の臨済宗の中では結構有名らしい修行寺にあるんです。

当時高校生の私は、母から、高校生の時からお彼岸になったらお寺にお彼岸のお手伝いに行っていた、という話を聞いて「そんな貴重な体験ができるなんて羨ましすぎ」と思いまして、お寺のためとかでは全くなく、ただただ自分の好奇心のために、お彼岸はお寺に通うことにしました。16歳。横浜から夜行バスで県外に通う。

春分、秋分の日のお彼岸、檀家さんがお寺に集まる。そこで、お経をあげてもらって、老師の話を聞いて、その後和室の大広間で精進料理を食べる。それが、お彼岸における檀家さんの過ごし方です。

それで、私が何をするかというと、雲水さん(修行僧の呼び名)と一緒に、精進料理を作る、漆の御膳に盛り付ける。お経をあげるために近隣の臨済宗のお寺から来られた和尚さんたちにも御膳をだすので、和尚さんたちと檀家さんの盛り付け方は違うから、注意して盛り付ける。御膳の位置にも、精進料理の盛り付け方にも、全部意味があるんですね。檀家さんたちが大広間に来られたら、御膳を運ぶ。お汁を入れて、お茶を入れて、運ぶ。食べ終わったら、御膳を引く。そのお盆やお椀たちを大きな木の樽に水を入れて浮かべて、洗う。お椀を拭く。漆のお椀たちは水分が残らないように、3人1列に並んで、一人が拭いたら、次の人に渡して拭いて、最後の人も拭くんですよ。漆の器って、こんなに大事にするんだと思った。プラって頑丈だけど、使い方が荒くなるなあと思った。

同時に、お寺をお彼岸仕様に飾り付けているので、幕やら掛け具やらを取り外して、陰干ししたり、綺麗に畳んだりする。鐘や巨大な木魚などの仏具を普段の位置に戻す。普段は見れない、一般には入れもしないお寺の色々な部屋に行くことができて、棚や倉庫には何十年前から使われている仏具がたくさんあるわけで、もうお宝みたいなものをたくさん見れるんです。

それから、雲水さんの修行内容とか、日々の起床から始まって寝るまでの流れとか、そういうことも、ちょっと忙しくない時に雲水さんに質問する。雲水さんは忙しくても懇切丁寧に答えてくれる。多分鬱陶しかったかもしれないけれど。もう、それはそれは楽しかったこと。

雲水さんは、朝は3時くらいに起きて、冷水で顔を洗って、朝のお経を読む。坐禅をしながら、禅問答の答えを先輩に答えに行く(参禅)。それから朝はお粥と自家製の糠漬けを食べて、掃除が開始。夏も冬も裸足で、作務衣(さむい:修行僧が着る作業着)も夏と冬で生地が変わるだけ。着込むことができない。お風呂は一週間に1回、それ以外は布と冷水で体を拭くだけ。夏はいいけど冬は凍えるらしい。そりゃそうだ。夜は寝てもいいらしいけど、夜に勉強しているのかを先輩も気にしているらしくて、うかうか寝てられないらしい。お布団は煎餅布団。一枚をパタンと折りたたんで敷布団と掛け布団を兼ねる。冬は毛布1枚のみ支給。すごい世界よね。厳しい世界だと思った。

季節によって、摂心という坐禅強化月間〜!みたいな行事がある。禅問答を寝ないでし続ける期間がある。寝たら、あのよく見る坐禅の木の板で叩かれ、禅問答の答えを間違えても叩かれる。参禅するのが死ぬほど怖いと笑っていた。

雲水さんの役割も全部お名前があってね。一番上役は「知客(しか)さん」とか、ご飯作る役の人は「典座(てんぞ)さん」とか。それを覚えていけることが、なんだかとても貴重な体験をさせてもらえているようで、ワクワクしていた。それで、色んな知らない世界だらけのお寺が楽しすぎて、異文化を知ることができることに感動しすぎて、16歳から25歳まで通っていた。できた高校生だよね。

他のお手伝いさんってみんな還暦を過ぎたおばさま、おばあさまばかりなので、こんなうら若い、自分で言ってなんですけどよく働く女の子がきたら、そりゃあとても褒められるわけです。「若いのにエラいねえ」「若い子がきてくれて本当にありがたいねえ」みたいなことを言われるし、雲水さんもなんとなく優しい。そんな感じで特別感と可愛がられ感の充足。さらに私は知的好奇心が止められない性で、好奇心が満たされることにとてつもない快感を覚えるものだから、お分かりの通り好奇心補充満タンのお寺のお手伝いは最高だったわけです。しかも「なんかお寺にお手伝いしに行っているって、徳積めるっぽくない?」みたいな。徳ってなんだよな。

それで、初めて通った16歳から2年後くらいの高校卒業後のお彼岸の春だか秋に、前からかっこいいなあと思っていたお坊さんのことが、いよいよ。いよいよ好きになっちゃってね。それで、もうお彼岸がより最高に楽しくなっちゃった。

雲水さんの中でも、受け答えがとても好青年で、気さくで、仕事ができて、それでイケメンだったんですよ。「寺で修行をと言う過酷なことを頑張っていて、かつイケメン」がもう私にドストライクで、その人に会うためにお寺に行きたくて行きたくて。

流石にお寺になんの用もないのに遊びにきました、なんてことは失礼とわかっていたので、偶然を装ってお寺に行くにはどうしたらいいのだろうと、当時おばあちゃんの家に下宿していた恋する私は考えて、「おばあちゃん、おじいちゃんの月命日だからお墓参り行こう」と祖母を誘ってお寺に行くようになりました。お墓参りの時に、その雲水さんと挨拶するのを楽しみにしていた。会えるまで、お墓掃除用の桶とか柄杓を持って、うろうろしてさ。「あ、こんにちは。今日はお墓参りに来たんです」とか言って。完全に先祖をダシにしているよね。

その1年は月参りだとか、お盆とか、祖母が老師に頼まれたものをお寺に届けるのを「ばあちゃん。私行ってきてあげるよ」なんてばあちゃんの為を装ったりして、なんだかんだ名目をつけてお寺に通っていました。それで一言二言話せるだけでもうハッピー。お寺の行事にめっきり詳しくなるし、お墓はいつ訪れても綺麗。なんて信心深い若い女の子なんでしょう。ちなみにそのお坊さんのことは、イケメンのお坊さんだから、「イケメン坊主」と呼んでいた。ああ罰当たり。

で、お彼岸は、朝から晩までそのイケメン坊主といられるわけだから、もう何よりも楽しみにしてたんですね。『七夕は年に1回しか会えないけど、お彼岸は年に2回あるから、七夕より多い』という謎の織姫への優越感を感じながら、お彼岸を心待ちにしていた18歳の春と秋。私の青春ですよ。青春秋。何が徳だ。ご先祖だ。異文化への感動だ。欲まみれだよ。



次回
「文通に発展、しかし文通の字が達筆すぎて読めない」

それから、何かとつけては欲まみれでお寺に通っていたんですけど、恋をした次の年くらいに、イケメン坊主が違う臨済の修行寺に行ってしまったんです。1年くらい別の場所で修行とか言って。





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