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贈与・交換と共感/感情の関係『後ろめたさの人類学』を読んで分かった私がバイトが苦手な理由

私大学生になってから、真剣に悩んだことがありまして。そんなこといくつもあるのだけれど、その一つが、バイトが続かないこと。初めは飲食店で、その後は雑貨屋さんで。アパレルが長い。

一時期は"私こんなことで、将来働けるんだろうか。"と本当に不安だった。なんで続けられないのか。自分が何か社会不適合者なのではないか。って真剣に真剣に悩んだ。バイト、というものの中にある、徹底して私が受け入れられないもの。それが自分の中で上手く言葉にできなくてモヤモヤしてた。
とは言え、インターンではそのような違和感を感じることはほとんど無くて。インターンは大学生になってからずっとやってるし、一体この二つの違いとはなんぞや。笑

その答えは最近読んだ本の中にあった。
『後ろめたさの人類学』松村圭一郎著。今年入って読んだ本の中でもかなり良かった。

著者は、本の中で贈与と交換を簡単に分類している。以下簡単にまとめている。

贈与→非経済/相手への共感を生む/面倒くさい場合もある
交換→経済/相手への共感、感情を抑圧する/気遣いが必要ない、後腐れがない

贈与とは、例えばバレンタインデーのチョコとか、誕生日プレゼントにあたるもののやりとりをいう。交換は、市場における売り買いのような商品交換を指す。著者はこの二つを"共感/感情を付け加えているか、または差し引いているか"、という軸で区別している。

これを読んでしっくりきた。私がなんでこんなにバイトに違和感を感じるのか。バイトでは、お客さんと接する時の言葉や対応が事細かく決められている。失礼があったら"大変申し訳ありません。"時間がかかったら"大変お待たせしました。"これらは、本当に思っているかどうか?をあまり問題としていない。それは初めから決まっていて、私個人としての相手への感情はそこでは必要がないし、時には邪魔になることもある。(勿論バイト全てがそうではないし、交換の場においても感情/共感を付け加えることのできる人も沢山いる。ただ、より効率的に商品交換を行う上で、そういう特徴が生じうるということである。)

感情を無くして、交換モードになっていることへの違和感。これだ。
私はバイトをしていて他の人が何故そんなに上手くすんなりと交換モードに入れるのかよく分からなかくて戸惑った。私はそのモード交換がどうやらこの上なく下手くそみたいで。インターンではそのような感情を排除するメカニカルな決まりがなく、感情でぶつかれることができたので、結果的に長く続いているのだろう。

そうやってよく考えてみると私がお客さんの立場の時も交換モードには入れないのは同じだった。店員さんに対して、人に接するのではないような冷たい態度をする人をみると、なぜその人はそのような態度ができるのだろうって不思議でしょうがないし、逆にお店で店員さんにすごく機械的な対応をされると、なんだかなぁって思ってちょっとテンションが下がってしまう。たまに反抗して、コンビニのレジとかでむちゃくちゃ愛想よく店員さんに向かって笑顔で"ありがとうございましたー!"と言ってみて、店員さんが交換モードから一瞬離れるのを期待したりする。笑(たまに成功して、店員さんがすごい笑顔になってくれたりすると、してやったり!ってなる。笑 )

これらの交換/贈与はどちらもメリットがあり、スムーズな交換を行うには感情/共感を差し引いたコミュニケーションが必要だし、そのようなコミュニケーションばかりでは、社会がギスギスしてしまうので、感情/共感の強い贈与もやはり必要なのだと思う。どっちが偉いとか、すごいとかはなくて、シュチュエーションによって使い分ける必要がある。

この本を読んで私は大学生になってからの悩みの一つが解決されて今とても嬉しい気持ちでいっぱいだ。私は社会不適合者なわけではなくて、ただ自分を交換モードに切り替えるのが異様に苦手なだけなんだなと。とは言え市場主義のこの世の中じゃ、十分社会不適合者なのかも。言い訳してないで、自分の心に素直に頑張って生きよう。笑

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