noteを続ける理由

前回の投稿でお話しましたが、YouTubeの「出版区」というチャンネルに「こんまりさん」こと近藤麻理恵さんが出演されていて、そこで紹介されていた本を読みました。その本はとても面白く、考えさせられるものでしたので、今回はその本から学んだことをお話ししたいと思います。

その本は古賀史健さんの「さみしい夜にはペンを持て」になります。こんまりさんが選んだ本だということ、そして本書の推薦者のなかに糸井重里さんとプレディみかこさんの名前があったことも本書を読みたいと思った理由になっています。
物語は海の中にある中学校に通うタコジロー君が、学校でいじめられ、どこにも居場所がなく、自分自身を嫌っているという状況から始まります。そんな彼がヤドカリおじさんと出会い、日記を書き始めることになります。
この本では、「書くことによる自己対話」や、「書くこと自体の面白さ」などが紹介されています。

この本で一番印象的だったのは、ヤドカリおじさんの「どんな文章にも読者がいる」という言葉です。タコジロー君は「誰にも見せない日記を書くことに意味があるのだろうか?」と疑問を持ちますが、そんなタコジロー君にヤドカリおじさんは・・・
「誰にも見せない日記でも『未来の自分』という読者がいるんだよ」
「未来の自分が読み返したとき、真剣に生きた『あのときの自分』と向き合うことになるからね」
「それこそが、書き続けたものだけに与えられる『最高のプレゼント』なんだ」
・・・と諭すのです。

私もこの言葉にはっとさせられました。普段から日記を書いていますが、誰にも見せません。それでも「誰も見ていないのに続けても意味がない」と思ったことはありませんでした。何かあったときに見直すことがありますし、毎日続けていれば何かの役に立つと思っているからです。
しかし、自分が書いたものが公開されるブログやnoteになると、「アクセス数」や「いいねの数」を気にしてしまいます。その理由を考えると、無意味な承認欲求が湧いてくるからだと思うのです。我ながら本当に「ちっちゃい人間」だなぁと思います。

私もヤドカリおじさんの助言を心に留め、このnoteの記事については「未来の自分に対して書く」ことを意識していきたいと思います。未来の自分が読んだ際に何を思うのかぁ。せめて「あの頃の自分は一生懸命に記事を書いていたんだな」と、努力だけは認めてもらえるように書き続けたいと思います。
そんな記事ではありますが、もし皆さんが楽しんでくれたり、参考になるようなことがあれば、それはとても嬉しいことなので、これからも私の投稿を楽しんでいただければ幸いです。

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