「これでいい」と「これがいい」

先日お笑いコンビのロザンのお二人がYouTubeで話していたことです。

「今は『これがいい』ではなく『これでいい』の時代」

これは、無印良品の方が話していたことらしいのですが、今は何かを選択する際に「これがいい」よりも「これでいい」が理由になることが増えているとのことです。言われてみれば、確かに「これでいい」という理由で決断する場面が私自身も多くなっていると感じています。

(ここからは、一般論ではなく、完全に私個人の話しになりますが・・・)

「これでいい」で選ぶことが増えた理由は、いくつかあると思っています。

1つは「年齢」です。つまり年を取るにつれて、「拘り」がなくなってきたように思います。「諦め」に近い感情も少なからずありますが、「諦める」の語源は「明らむ」で「明らかにする」らしいので、そういう意味では「自分にとって本当に必要なものが明らかになってきている」のかも知れません。

2つ目は「安くて品質の良いものが溢れている」こと。例えば「食事」を例にすると、「美味しいものを食べたい」と思った時に、「高級なレストラン」に行かなくても、チェーン店でも十分に美味しいですし、コンビニで買えるものやスーパーにある冷凍食品のなかにも美味しいものはあるので、ついつい「これでいい」って思ってしまいます。
今は「これでいい」の選択肢が安価にも関わらず、品質が高いので、それで満足出来ちゃう時代なんだと思います。

そして3つ目は「面倒くさい(精神的な余裕のなさ)」もあるかなぁと思います。特に服装なのですが、母の介護をしていると、上はトレーナーで、下はジャージが楽だし動きやすくて便利なんですよね。そして時間的にも精神的にも着替えるなんて余裕はないので、家の中の仕事はモチロン、母を病院につれていくときも、買い物に行くときも全て同じ格好になってしまいます。

「これでいい」を選択していても、それなりに楽しく、ある程度の満足感がある毎日というのは、ある意味とても贅沢な生活のようにも感じます。

しかし、「これがいい」という選択を必要としない毎日が本当に良いのか・・・と問われたら、「そうとは言い切れない」ように思えます。
「これがいい」という選択は、「没頭できるものがある」ことだと思うのです。例えば「目標や夢に向かって努力する」、「大好きなアイドルの推し活をする」、「ペットとの生活を楽しむ」等々あると思いますが、何かに没頭している時間って、幸福感でいっぱいだと思うのです。私も以前は「推し活」していていましたが、その時間が本当に幸せだったことは確かだと思います。

だからと言って、「『これがいい』がないと幸せになれないか?」と言えば、それも違うような気がします。特別なことがない日常の繰り返しを幸せを感じる人がいても不思議ではありません。今の私も明確な「これがいい」を持っていませんが、それでも平穏無事な毎日を楽しめています。

これについては、「人によって」、あるいは「タイミングによって」違うことが当然なのかも知れませんね。

あまり纏まりのない感じになっていますが・・・
「これでいい」という、不自由のない日々のなかに、「これがいい」と思えるものがあると、毎日の生活のなかに「新しい彩り」が生まれ、今までとは違った充実感を感じられるようになるのかなぁ・・・と思うと同時に、「これでいい」で満たされた平穏な日々も悪くないよね・・・って感じています。

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