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「みちのく いとしい仏たち」を見てきた

東京駅に併設されている「東京ステーションギャラリー」で開催されている「みちのく いとしい仏たち」という展覧会を見てきました。

どんな展覧会かというと、

昔の日本には、仏師の人が作った立派な仏像とは別に、ふつうの人が素人ながら頑張って彫った木彫りの仏様があちこちに祀られていました。東北にはそういった仏像がまだまだ残っていて、それを集めた展覧会です。

たとえば、展覧会の目玉となったこののーんとした「山神様」。


東北の山奥でひっそりと祀られていて、地元ですらほとんど知られていないという代物。それがいま、東京駅でセンター張ってます。

この山神様を見た時、あるモノを思い出しました。

つい先日まで国立西洋美術館で開かれていた「キュビスム展」。展覧会の冒頭では、ピカソにキュビスムへと繋がるインスピレーションを与えた、アフリカの呪術人形が紹介されていました。

鼻をめちゃくちゃ強調したり、手足を極端に省略したり、アフリカ呪術人形の写実的な人間のフォルムとは程遠い造形は、みちのくの仏様たちとどこか似ているんです。

アフリカの原始の呪術人形と同じように、このみちのくの仏たちにも、原始の信仰のようなものが込められているのかもしれません。

似てるという観点で言うと、日本民藝館に展示されている民芸品にも通じるところがあります。

日本民藝館は民芸運動の提唱者、柳宗悦の民芸品コレクションが展示された美術館。作者不詳の素朴な器とか家具とかの日用品が美術として展示されています。柳宗悦は木喰上人の作った木彫りの仏像をコレクションしていたことでも知られています。

現在の既製品のようなスマートさはなく、器も壺もタンスもどこかいびつでゆがんだ形をしています。それらは、木だったり土だったり、素材の持つ力を殺さずに生かして、素材の持つ温かみをそのまま残しているという印象を受けます。

今回の木彫りの仏たちもそうで、素材となった木を仏像のデザインに完璧に落とし込むのではなく、木の形が持つぬくもりをそのまま生かすようなフォルムをしていました。

やはり、仏教とも神道とも違う、木、木霊、もっと言えば自然そのものへの素朴な信仰があの仏像には込められているように思います。

展覧会では、仏像の表情にも注目していて、東北の木彫りの仏たちはのほほんとした優しい笑みを浮かべていることが多いです。展覧会ではそれを、厳しい生活の中で温かく見守ってくれている仏様を表しているんだと解説しています。

これもまた、ぼくには仏教の教義や知識にこだわっていない、素朴な祈りが込められているように感じます。

宗教とか、芸術とか、そういった概念が生まれるよりも前の、素朴な「祈り」。自分たちの日々の暮らしに対して、そしてそれを取り巻く雄大な自然に対しての、素朴な祈り。それを木という材料を通して、仏の姿を借りて、表したもの。

だから、この展覧会は、疲れないんです。

アートの中には、それこそ作品の放つオーラがすごすぎて、圧倒されて、見てるだけでへとへとに疲れるというものもあります。

それが攻撃魔法なら、こちらは治癒魔法。オーラはあるんだけど、アーティストの自己主張というよりはホントに素朴な祈りで、見てるとなんだか癒されます。

この仏像たちはきっと、展覧会が終わったらきっと、それぞれの地元に帰っていくのでしょうね。

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