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岐路に立つニュージーランドの幼児教育


▼注意▼
この記事は 2018年1月 に別ブログに掲載していたものをリライトしたものです。ニュージーランドや日本国内の保育・教育政策の情報は最新のものではありません。ご了承ください。


『なぜ世界の幼児教育・保育を学ぶのか』という本を読んでいます。

先端的幼児教育・保育の実践の地、ニュージーランド 

世界の幼児教育・保育の取り組みのなかで個人的に注目している国のひとつニュージーランド。保育・教育政策を専門で研究されている日本総研の池本美香さんが以前その著書『失われる子育ての時間―少子化社会脱出への道』で紹介しているのを目にして以来、ずっと気にかけています。

OECD・EU諸国を中心に「質の高い保育」をめざして幼児教育・保育改革が進められる中、ニュージーランドのどこがユニークかと言えば、保育政策に対する親の積極的な関与・多様な保育を認める点、そして、先進的な子ども観です。


ニュージーランド型保育の象徴「プレイセンター」

ニュージーランドには、一般的な幼稚園や保育園のほかに、家庭的保育サービスや「コハンガ・レオ」(先住民族であるマオリ族の文化や言語を次世代に伝えるため施設)といった多様な保育施設がありますが、なかでもニュージーランドらしさを特徴づけているのが「プレイセンター」です。

子どもたちに自由な遊びの場を提供すると同時に、親向けには「親のための学習」を用意し、子どもと大人の両方を支援する施設となっています。そして、学び合う親たちが独自にライセンスを取得し、共同で子どもたちを保育しています。学び合う親たちによる自主運営型の保育活動なのです。

日本には技能の高い専門家(教師)に任せることが良い教育と考える傾向がありますが、プレイセンターは、親が教育の現場に積極的に関与し、ともに成長することこそが子どもの教育の質を担保するという考え方をベースに成り立っていると言えるでしょう。

民主的につくられた保育カリキュラム

ニュージーランドの幼児教育・保育環境に大きな変化をもたらしたのは、1986年のバブル崩壊でした。多様な保育施設はすべて民営化され、その管轄は教育省に一元化され、これを機に、国としてはじめての幼児教育・保育に関するナショナル・カリキュラムがつくられることになります。

「テ・ファリキ」と名づけられたナショナル・カリキュラムの制定にあたっては、研究者と保育者団体がネットワークを立ち上げ、ボトムアップ方式で素案を練り、政府と交渉を重ねていきました。それぞれの保育の自主性・独立性を守るため、また、国に丸投げすることにより学校カリキュラムが安易に保育に降ろされてくるリスクを回避するためだったと言われています。ここにもまた、子どもの教育を左右する決定の場に親として正しく関与していこうという姿勢が見て取れます。

「ファリキ」は、マオリ語で「織物のマット・敷物」。共通の基盤でありながら、具体的な内容はそれぞれの保育施設が多様に織り上げていくという意味が込められています。また、多様な背景を持つ子どもたちの「誰もが乗ることのできる敷物」を象徴しているとも言われています。

客観的評価から子どもひとりひとりの成長を"解釈"するアプローチへ

「テ・ファリキ」の理念が確実に実行されるようにつくられた評価方法もまた独特です。「ラーニング・ストーリー(学びの物語)」と呼ばれるその評価方法は、それまでニュージーランドで考えられていた「子ども観」や「学びの成果」から180°方向転換したと言っても過言ではありません。

冒頭に紹介した本から一部引用します。

「学びの物語」は、子どもを働きかけの対象と捉えるのではなく、「子どもは有能な学び手」だという子ども観に立ち、子ども自身の学ぶ力と可能性への信頼を基礎としたアセスメントである。保育者側の視点から子どもの「できないこと」や「問題点」に焦点を当てて「できる」ように働きかけるのではなく、子どもを信頼して子ども自身の関心や視点を探り「学びの構えを育むこと」に焦点が当てられている。

それまでニュージーランドの保育施設において一般的に行われていたアセスメントは、就学に向けて必要なスキル(名前程度の文字を書く、基本的な生活習慣、初歩的な算数)をチェックリストによって確認するというものでした。しかし「ラーニング・ストーリー(学びの物語)」導入後は、保育者が見取った子どもひとりひとりの成長の軌跡を「物語」として書き記すものとなり、これにより、彼ら/彼女ら自身の固有の文脈で得た学びの複雑さや豊かさを捉えることが可能になる。そう考えたのです。

判定的な評価への揺り戻し

このように世界最先端とも呼べるカリキュラムとアセスメントを開発し、実践する最中にあったニュージーランドでしたが、近年、子どもの学びの成果をめぐる評価のあり方に批判が高まっているようです。いわゆるバックラッシュの動きでしょう。

反対的な立場を取る政治家や研究者、そして、対立を煽るマスコミの動きによって、子どもの認知能力の発達や言語的スキルの獲得に関して「テ・ファリキ」の有効性や「ラーニング・ストーリー(学びの物語)」の妥当性に疑問が投げかけられています。きっかけとなったのは、一義的には「学力不振層の拡大」のようですが、その背景には教育費の削減や、それにともなう質の高い保育者の確保の難しさ、専門性開発の充実が追い付いていない点等があげられそうです。

日本の幼児教育・保育のこれから

現在の日本における就学前保育・教育の最大の関心事は、いまだ都市部における待機児童の解消でしょう(※注 東京では、2017年に8586人だった待機児童数が2018年には5414人、2019年には3690人と大幅に減少しています)

働きながら子どもを育てる親が安心して働くことができるように十分な量の保育施設を確保することが急務となっています。もちろん、これはこれで非常に大切であること、一刻も早い解決が望まれることに変わりはありません。しかしながら、日本がその段階の課題解決に奔走している間に、OECD先進国は保育の質改革に拍車をかけており、その課題も成果も先取りしたうえで、ノウハウを蓄積しています。冒頭の『なぜ世界の幼児教育・保育を学ぶのか』の編著者である泉千勢さんの見立てでは、日本の保育改革の現状は、欧米先進国と比べて約20年遅れているそうです。

1990年代後半以降のICT革命によって、従来の社会経済産業構造は大きな影響を受けました。新たに立ち上がった「知識基盤社会」では、人的資源(人材の質)がその国の未来を左右する重要な要素となります。そして、就学前の数年間を、その人的資源の基盤形成のための重要なステージと位置づけ、精力的に質の改善をはかろうとしているのが今の先進国のトレンドです。

少子高齢化・シルバー民主主義社会では、どうしても、これからの世代への投資が後回しになりがちです。保育・教育の現場に対する親の関与度を上げ、正しく問題意識をもち、子どもの学び・育ちの環境を運命づける重要な決定に際して声をあげていくことなしには、これからの幼児教育・保育の質は切り下げられる一方です。

実際、予算的な面だけでなく、評価のあり方に関してもバックラッシュの気配を感じる機会が多くなっています。2018年の幼稚園教育要領・保育所保育指針改定では「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」10項目が盛り込まれることになりましたが、これを就学準備のためのものとして捉え、小学校への接続課題を就学前に降ろしてしまおうという動きも見て取れます。もしそのようなことになれば、明確な退行となってしまいます。

国としての文化も制度も違う他国と単純な比較をて優劣をつけたり、システムをそのまま移植すればいいというような考えに至ることは乱暴ですが、一歩先行くニュージーランドの教育行政のこれまでの経緯と現在、そして、これからの展開に学ぶべきことは多い、そんな風に考えています。

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