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31. 楽しむ語学学習(為末大『熟達論』「遊」を読んで②)

 世界陸上メダリストでオリンピアンの為末大さんが、アスリートとしての経験を踏まえて書かれた書籍『熟達論』。
 語学学習にも通じるところが多いと感じて書き連ねる随想兼書評シリーズ第2弾。

 著者は、熟達に至る第一段階を「遊」と称している。

 「遊び」とは何か。

主体的であり、面白さを伴い、不規則なものである。

為末大『熟達論』p.46

 語学学習でも、運動競技でも、面白さや興味を失い、やる気が失せることはないだろうか。

 著者は、トレーニングを「適応」と「馴化(じゅんか)」の2種類に分けている。
 「馴化(じゅんか)」とは、「適応」が進み過ぎた状態と定義する。
 同じトレーニングを続けると、徐々に「反応」が鈍くなり、トレーニングの効果が落ちていく。
 トレーニングの効果を高めるためには「変化」が必要である。
 目標に向けた努力は何かに最適化されていくことであり、「馴化(じゅんか)」につながる。
 そのためには、不規則を生み出す「遊び」が必要と説く。

 この文章を読んで、私は自分が取り組んでいる「シャドーイング」を発想した。
 似たような文章、似たような内容、似たような音声でシャドーイングに取り組むと、思考を経ず、反射的に口が英語を産出していることがある。
 これこそ、通訳者養成を行う海外にある一部の大学院でシャドーイングがとして取り入れられていない理由である。
 単なる反射反応に終わらないよう、頭の中で音から文字を起こし、意味を考えながら、脳に負荷をかけていくよう努めている。
 この辺の脳の機能については、門田修平『外国語を話せるようになるしくみ』に詳しい。

 次に筆者は、人間の動機には、「未来報酬型」と「現在報酬型」の2種類があると述べる。
 「未来報酬型」は、今を我慢して将来目標が達成することで報われる。
 うまくいかなくなると、今やっていることの犠牲感が強くなる。その時にこれまで費やした努力を無駄に感じるかもしれない。大きな目標を達成して、燃え尽きてしまうこともある。
 筆者自身も、世界陸上でメダルを獲得した後は、気力が湧いてこなかった日が続いたことがあった。
 その経験を踏まえ、筆者はこう言う。

面白いからやっているという感覚があれば、自分の心を守ることができる。
(略)
面白いから行うという感覚は一つの防波堤である。何のためでもなく、ただやりたいからやっているのだと思い直すことができる。これを頭で理解するのではなく、身体で覚えるために「遊」の考え方がある。

P.55

 これを私自身の語学学習に置き換えてみる。
 留学経験も、そして海外渡航する意思も予定もない私は、英語学習の意欲を資格試験に向けた時期がある。
 英検などの検定合格、TOEICでの高得点取得など。
 とにかく英語に触れる、慣れ親しむ機会を求めての目標設定であったが、その他にも、周囲から高い評価を得たいという「未来報酬型」をねらったものである事実は否定できない。
 ところが、資格試験対策となると、面白くない。
 だから、資格試験を意識した学習は、長く続けられなかった。
 そこで、偶然、X(旧Twitter)で「The Economist勉強会」を紹介いただいた。
 一度参加してみたところ、記事の内容に面白さを感じただけでなく、参加者皆様との意見交換が”ガチ”な英語であることに、英語力を高めるために挑戦する魅力を感じた。
 そういえば、昔、学生の頃も外国人の先生が担当された授業で似たようなことがあったな、という昔を懐かしむ気持ちも原動力となり、英語に触れたい、英語の能力をあげたいと心底思うようになった。
 そして、本年中はありとあらゆる資格試験に挑戦し続けたが、しばし距離を置き、内面の充実に重きを置くことにした。 
 そのタイミングで、本書の「未来報酬型」と「現在報酬型」の対比は深く理解できた。

 筆者は、再度、遊びの成立条件として「主体的であること」に触れつつ、好奇心の重要性について言及している。
 好奇心は、外部環境に影響を受けにくく継続的に主体性を生み出し続ける。
 筆者は、主体的の定義を「自分で考え変化を起こそうとすること」と述べているが、英語学習者の立場で置き換えると、「馴化(じゅんか)」させないよう、学習者皆様と交流し、刺激を共有しつつ、他者と交わることで楽しみながら高みを目指していきたいと考えた。 

 この章にはとても好きな言葉があった。この章で最も心揺さぶられた言葉である。以下、引用し、疲れた時の励みとしたい。(2023年12月23日)

 高みを目指していくことは、人によっては人生を賭けた重要なものになる。探求には時間も労力もかかる。重要なものでなければ、自らそれほどのリソースをかけることはないだろう。
 熱意とは私たちを突き動かすが、一方で、時に私たち自身を蝕んでいく。人はこれが重要なことだと感じるほど、それに取り組む際に重圧を感じやすいからだ。(pp.62-63)

第一段階 遊 不規則さを身につける

 以下は要約になるが、重要な説明である。
 運動と語学学習との違いはあるが、気持ちの面で納得できる部分は多い。

 重圧を感じる理由は、自らが抱えている欲求や恐れが表に現れたものだ。
 その重圧が最も悪い形で現れるのは、失うことを回避しようとする場面である。
 人間の心はもう手に入りそうだと感じると、同時に失いたくないという恐れを抱く。
 その気持ちが芽生えると心が守りに入る。
 一旦心が守りに入ると、あっという間に転落していく。
 一生懸命努力をしていればいるほど、焦がれた時期が長ければ長いほど、手に入りそうになると守りに入る力は強くなる。
 これはピントの問題だ。
 欲しいものを直接見てしまえば、それが重要なものであるほど目を離せなくなる。
 その意識を緩和させるため、プロセスに没頭する。(*本書では「ゴールの10メートル先を見ろ」と記されている。)
 人間はプロセスに没頭している間は自然に動ける。
 だからすべてをプロセスにすることが重要で、そのために目的を持たずにただ楽しいからやる「遊」の感覚が効く。

 楽しみながら取り組む語学学習にしたい。
 プロセスを大事にしたい。
 「遊」の気持ちを忘れず、自分の好奇心をみつめ、主体性をもっていきたい。
 そして、何が楽しいのか、見極めていきたい。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

(③「型」へ続く)