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柳生好之先生の京大の解説2011理系第2問について

 本文は、「書かれる言葉」のおはなしです。傍線部の内容を説明する問題でした。
 傍線部は、こう書いてありました。

書くということには、彼が指摘しているようなかかる表面的な身体性ばかりでなく、もっと深いところに根差している身体的なものも現れており、

 「もっと深いところに根差している身体的なもの」を説明する問題です。

【柳生先生の説明】

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まずは傍線部

 まずは傍線部をよく読むべきです。

書くということには、彼が指摘しているようなかかる表面的な身体性ばかりでなく、もっと深いところに根差している身体的なものも現れており、

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 こうなります。
 では、「もっと深いところに根差している」とはなんでしょうか。

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 「もっと深いところに根差している」と対比されているのは、「表面的な」であることがわかります。

 「表面的」の反対で、「もっと深いところに根差している」は「内面的」という意味と推測できます。

 「内面的な身体性」については、すぐ後に、「作家の表現の努力そのもののあとかた」とありますので、「内面的」=「作家の表現の努力」と理解できます。

 つまり、書かれた言葉にはもちろん、筆跡から「筆者がどう書いたか」が見て取れますが、それだけではなく、推敲の跡から「筆者がどう考えたか」も見て取れるということを言っているわけです。

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 「深いところに根差している」と対比されているのは「身体」としています。
 ここから、

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 「深いところに根差した」=「精神」を導き出しました。「身体」の反対で「精神」と説明していました。

 今回は「精神」と「内面的」が同じ意味なので、答えは合いますが、考え方が変です。

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 「深いところに根差した」と対比されているのが「身体」ということは、上の画像の左側のような対比をしていることになるからです。

答え

 答えは基本的には問題ないと思います。ただし先生としては答えより「なぜその答えになったのか」の方が大事ではないでしょうか。答えは他の予備校や赤本の答えを見ればわかるからです。

 とはいえ、柳生先生の答えをよく見ると変な文章ですね。

単に作家の身体的運動を残しているという肉筆であるというよりも深い

 「肉筆であるというよりも深い」

 少し不自然な気がします。ブチブチ切って、他のところからコピーアンドペーストしている印象を与えかねません。

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