スクリーンショット_2018-12-01_2

短歌と美学

一年生の頃、少しの間だけ、短歌を詠んでいた。

ちゃんと作品を出したことはなかったけれど、五・七・五・七・七のリズムで詠まれる歌に、他の芸術では感じられない独特の美しさを見出していた。

音がスーッと頭の中に入ってきて、自分の過去の記憶同士が結びつき、一つの情景を描く。それがなんとも言えない心地よさや、物寂しさを生み出す。

「さよなら」の意味にちっとも気づかずに何度もそこを指でなぞるの

『味わい』の中では、これが一番好きだ。
ずっと一緒に暮らしてきた「あの人」が、ある日置き手紙を一枚残して去ってしまった。「私」は、そこに書かれていた「さよなら」の意味を一度では飲み込みきれず、受け入れられない。何度もその文字を触りながら、「あの人」が何を想って、これを最後に残したのか、想像し続けるのである。

短歌に興味がある方は、「食器と食パンとペン」さんがおすすめです(更新止まってるけど)。イラストがとっても素敵。


また、秋学期から美学を学び始めたのだが、「美」とは、「合理性」であるという考えが自分の中では腑に落ちている。

「美しい」とは、「合理的な出来上がり方をしているものを見たり聴いたりした時に生まれる感動」です。橋本治,2002,『人はなぜ「美しい」がわかるのか』,ちくま新書.

それは、美と言われて連想しやすい芸術やファッションにも当てはまるが、スポーツ選手の洗練された動き(フォーム)でも見つけることができる。

たとえば野球のバッティングは、軸足からもう片方の脚に体重をのせながら、「脚→腰→上体→腕→バット」という流れで力を伝えていく。

良い成績を残す選手ほど、(基本的には)体重移動が上手かったり、身体の軸がブレなかったりする。

普段注目していないだけで、一流のスポーツ選手のような「美しい動き」は私たちの身近にあるのかもしれない。

あなたにとって「美」とはなんですか?

いつも読んでくださりありがとうございます! サポートは、読書やnoteの購入に活用させていただいております。