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環境問題をアイヌのイヨマンテから考える

(はじめに)


 
 近年、環境問題に対して、非常に多くの人が関心を持っています。私は、現代の日本と世界の環境問題を考えるうえで、アイヌの熊送り(イヨマンテ)等の儀式が、大きなヒントとなると、考えています。
 

1.    アイヌのイヨマンテと極北民族の自然観・宗教観


 
そこで、先ず、永く狩猟採集で食糧を確保して生きてきた北方民族の自然観・宗教観について考えます。身近では縄文人につながるアイヌ人です。その周辺ではアジア大陸北東端のチュコト半島を中心にいるチュクチ人、アリューシャン列島にいるアリュート人、アラスカにいるイヌイット(エスキモー)、その南にいるカナダインディアン、これらの極北民族に共通する宗教観に根差す儀式があります。それが、イヨマンテです。イヨマンテは、熊や、鮭などの生き物をとりこれを殺して食糧とする際の考え方から生れてきています。人類が生きていくためには生き物を殺して食べることが必要です。もしこれらの動物や魚がいなくなってしまったら、人々は死んでしまいます。また、自分達が食べる以上に沢山獲ってしまっては、次から飢えが襲ってくることになってしまいます。必要以上には獲らない、雌や子供は殺さないなどの、知恵がタブーという形で出来上ります。こういうタブーや考えを守れば、来年も熊や鮭が村にやって来てくれます。大きくなった熊を、自分達が食べる頭数だけしか獲らない。殺した熊は、丁重に儀式を行いあの世に送って、来年はきっと別の熊になって蘇るようにと祈るのです。ここに、熊送りの祭りの意味があります。
 

2.    カナダインディアンとカムチャッカ・チュクチ人の宗教観


 
カナダインディアンのお祖母さんが、昔と違って娘夫婦と都市に住んでいても、魚の骨などをごみ箱には捨てずに、残しておき丁重に儀式をしない間は絶対に捨てたりしないので、娘がごみが片付かなくて困ると言っていたという記事を読んだことがあります。またチュクチのお祖母さんは必ずトナカイの骨を、野原で焼いて煙が天国に登るのを見届けないと気が済まないというのをNHKの特集で見たことがあります。これは北極圏にかつて広範囲に存在した宗教観に根差すものです。自分達は自然の一部であり、自然と調和して生きていく存在です。他の動物や植物も一緒に生きていかねばならない。彼等が滅亡するときは人間も滅亡するときです。この自然観や宗教観を、現代人は忘れてしまっているのだと思います。
 

3.    環境問題を解決するには北方民族を見習う


 
 現在環境問題という名で呼ばれている問題は、何万年も人類が持っていた自然観や宗教観を、取り戻すことにより、多くは解決すると私は考えています。
 では、現代人が大昔と同じ生産手段の狩猟採集だけで、現在の世界の人口である78億人もの人が生きていけるか考えてみます。そんな事は出来無いことは明らかです。人類は、狩猟採集の生活手段から、農業革命や産業(工業)革命により、安定的に食糧を生産し、食品を加工、保存する手段を開発してきたために、飢餓や多くの病気を克服してきたのです。しかし、現在自然の回復力以上に農地や資源開発をしたため、取り尽くした後は人類の滅亡が待っていることに、最近ようやく気がついてきたように見えます。私は、現代社会の農業や工業にも、イヨマンテの思想が必要であると考えています。農業も地力が自然に回復する肥料を使う、工業も自然に分解して環境に負荷を掛けないなどの製品を目指すことが、イヨマンテの思想と合致します。何万年もの北方民族の知恵にもう一度学ぶべきです。
 

4.    農業・林業の衰退と野生動物の増加


 
最近、日本の田舎では、林業や農業を担う人が、少子高齢化のため、大幅に減ってきています。後継ぎがいないので、山や農地が放置されるようになってきました。それに呼応して、イノシシやシカ、サルがものすごく増えてきてしまっています。明治末ころまでは日本にも狼がいたので、これら野生動物の数は生態系で調整され、異常には増えませんでした。ここ信州では、明治の終わりころ、殿城村(現上田市殿城地区)で捕獲された狼の剥製が、上田高校に今も残っています。日本の狼は、明治の末ころに絶滅しました。生態系の頂点に立つ狼がいなくなり、さらに最近は林業や農業が衰退してしまい、山や田んぼの手入れが十分できなくなっています。そのため、上田市内でも、増えたイノシシが田んぼを荒らしたり、シカが森の木々の皮を食べて沢山木が枯れたり、美ヶ原高原のように、それまでそんな高いところまでいなかったシカが登ってきて、貴重な高山植物が食べられて絶滅しそうになったりするなどの被害が、多発するようになりました。自然を単に放置すれば良い環境になるのではなく、狼がいたり、人間の手が適当に入ってこそ、お互いの生存数のバランスが取れてよい自然環境が保たれることが、この信州でも実感されます。
 

5.    ジビエ料理と猟師さん


 
信州や静岡などでも、ジビエ料理を出す店が増えつつありますが、猟師さんが山でイノシシやシカを獲っても、山から平地に下ろすのが、重労働でなかなか猟師さんも、大変だとのことです。最近(令和3年(2021年))、静岡の天竜川の近くで、家族で猟師をしてジビエ料理の店を出している一家のことをテレビで見ました。父親の猟の技術を、息子さんたちが習って、受け継いでいる様子が放映されていました。この猟師さんたちは、シカやイノシシを獲った後は、必ず、帽子を脱ぎ山に向かって感謝の言葉を述べて頭を下げていました。これは上に述べたイヨマンテの考え方とそっくりだと、私は思いました。
 

(おわりに)


 
先に別稿で、現存する信州秋山郷の最南限のマタギ[1]や、戦前まで存在した白山周辺の「出作り小屋」の風習[2]などを述べましたが、これらはどうも縄文人やアイヌを起源とするようです。伝統的なマタギの知恵が、今こそ復活して、バランスの取れた生態系と良い自然環境が保てるようにしたいものです。
 
 
 
ご参考
[1] マタギの歴史と信州 https://note.com/ko52517/n/n0017773b0773
 
[2] 北陸地方に残るアイヌ系文化:地名、白山信仰、出作り小屋 https://note.com/ko52517/n/n17da4920bab5
 
*なお、冒頭の画像は、下記のURLの東京国立博物館所蔵 蝦夷島奇観(寛政12年(1800年):重要文化財)より、引用させて頂きました。
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0012805
 
 
平成15年(2003年)8月20-21日 随筆
令和3年(2021年)2月12日   加筆
令和5年(2023年)11月20日   加筆

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