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村上春樹著「ねじまき鳥クロニクル」は現代版源氏物語

(はじめに)


 
最近(平成18年(2006年))、村上春樹さんの大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」3部作を読みました。私はこの作品が「多重人格(解離性同一障害)」を扱っていると思いました。皆さんはどう思われますか。本当は扱いにくい難しいテーマです。たぶんそれで村上春樹さんは、一言も多重人格とは言っていませんが、見事な筋書きで「私が私でない人たち」をソフトに扱って、我々に自分とは何かを考えさせていると思いました。以下私の意見を述べたものです。御一読の上、御感想をお聞かせ下さい。
 

1.    「私が私でない人達」を一貫して描いた作品


 
 大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」3部作は「私が私でない人達」1)を一貫して描いた作品だと思いました。登場人物はそれぞれ程度の差はあれ、私が私であることが疑問であったり、苦痛であったりする人達です。
 

1-1.        妻クミコの例


 
 主人公の妻クミコは、幼い頃の一時期、両親から引き離され祖母の手で育てられましたが、祖母の溺愛と虐待という愛憎の両極端な育て方のため、人格形成に重大な影響を受けます。祖母から殺されそうになったとき、自分は自分でなくなりました。そして、その時期のことがまるで思い出せなく、すっぽりと空白になっています。また、両親の元へ戻った後も、家族の中でクミコは姉とだけしか心を開けられませんでした。その最愛の姉を自殺で失います。姉の自殺は、兄が姉を性的に汚したからでした。クミコは、人に言えないこのような異常な家庭環境から多重人格者になったようです。著者は一言もクミコのことを、多重人格者とは言っていませんが、「すっぽりとその時期が空白になっていて思い出せない」という症状は、多重人格特有のものであり、多重人格障害は明白です。
 

1-2.        加納クレタの例


 
 また、加納姉妹の妹の方の加納クレタもまた、多重人格者です。クミコの夫、主人公の岡田亨が、ある夜、妻の出奔後一人暮らしの家に帰ってベッドに入ったら、何と加納クレタが裸で眠っていました。朝起きて、加納クレタに岡田が聞きました。
「何でここに裸で来たのか?」
「服も靴もなくしちゃったんです。」
「どこで、どうして?」
「それがわからないんです。気がついたら、ここで裸で寝てたんです。」
これじゃあ読者は訳がわかりません。嘘だろうと思います。しかし、これは、多重人格者に特有な症状で、Aという人格(つまりAという人)でそれまで行動していましたが、ある時点でBという人格(つまりBという人)に入れ替わった後、Bという人はそれまでのAという人が何をしていたか思い出せないのです。ぽっかり時間的空白になっています。この多重人格の症状を知っていると、加納クレタが嘘をついているのではないことがわかります。
 

2.    私という一つの肉体に、私という精神(人格)が一つだけ入っている。しかし本当だろうか?


 
 著者の村上春樹さんはこの作品で、「一つの肉体に一つの自分というものが入っているのが当然だと皆さんは信じているが、本当だろうか?自分は何故自分なのか?私はどうして私なのか?」ということを、一貫して問いかけていることに、読者は気づくでしょう。 私という肉体に、私という精神(人格)が入っている。しかし本当か?例えば次のような例はどうか。
肉体と精神の乖離が起こって抜け殻になった人(間宮中尉)、
肉体から精神が幽体離脱した人(シナモン)、
私という肉体に入っている私というのは一体何なのか疑問に思っている人(笠原メイ)、
私という肉体に何人もの人格が存在する人(クミコ、加納クレタ)。
これらの人達は、「私が私でない人達」1)あるいは「私が私であることに苦痛や疑問を抱いている人達」です。
 

3.    源氏物語の浮舟


 
 私は、この村上春樹さんの大長編小説を読んでいて、これは現代版「源氏物語」2)だと思いました。皆さんよく御存知のように、「源氏物語」は男女の性愛について様々な情景を描いたものですが、またそのトラブルから起こる様々な精神的な症状も記しています。これが千年前のものとは思えない普遍性があります。
 一条御息所(生霊、激しい嫉妬による幽体離脱)、
 黒鬚の大将の北の方(夫の浮気による精神障害と離婚)、
 浮舟(悲恋と激しい喪失感による記憶喪失、私が誰なのか思い出せない)など、
様々な症例を描いています。そのような類似性から、この村上春樹さんの大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」は、現代版「源氏物語」2)だと、私は思う所以です。
 

4.  多重人格の発症の原因


 
 多重人格については、その発症の原因の多くが幼児期の家庭内で受けた肉体的精神的暴力や性的虐待によると言われており、女性に多く、男性には少ないです。男性では戦争中の異常体験による発症が少数見られるとされています1)。従って、医学関係の書物では、極めておぞましい例、父親が娘をレイプするなどにより発症した事例が多く書かれており、読んだものに吐き気をもよおすことがしばしばです。しかし、本長編小説は、その点をうまくぼかしてあります。難しい話題を扱っている本作品の大きな救いは、夫の岡田亨の妻クミコへの愛情がそれでも変わらず、クミコの心の闇に潜むもう一つ別の人格(電話をかけてきたなぞの女)を消し去り3)、自分の元へ取り戻す努力を最後まで続けて、ひたすらクミコの帰りを待つことです。岡田亨は井戸の底に下りて瞑想し、クミコの別人格が住む謎のホテルの208号室へ入ります。井戸は無意識の世界への入口の比喩でしょう。岡田亨は見事、クミコの別人格を消滅させることに成功します。読者は夫岡田亨のひたむきさに、妻クミコへの愛情を感じほっとします。「汝は(妻が)病めるときも、妻を愛せるか」「はい」。これを最後まで実行した岡田亨は立派だと感じ、救われた気持ちになります。岡田亨は夫の鑑です。
 

(おわりに)


 
 以上のように、村上春樹さんの大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」3部作は、「私が私でない人達」を一貫して描いた作品だと私は感じました。さらに、これは現代版「源氏物語」だとも思いました。皆さんはどう思われますか?
 
 
 
参考文献等
 
1) ラルフ・アリソン、テッド・シュワルツ著、藤田真利子訳「『私』が私でない人たち」、作品社(1997)。
2) 紫式部著、瀬戸内寂静訳「源氏物語」、講談社(1997)。
3) 人格統合といいます。1)のアリソンが世界ではじめて開発した多重人格障害の治療法で、ばらばらになった複数の人格を1つに統一することをいいます。カウンセリングによりサブ人格を消していくのです。
 
 
 
平成18年(2006年)5月28日 随筆
令和5年 (2023年)10月30日 加筆
 
 
*なお、冒頭の「源氏物語図屏風・浮船」は、下記のURLのWikipediaから引用させて頂きました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E8%88%9F_(%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E)
最終更新 2022年11月10日 (木) 16:11
 

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