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33年前に行ってみたエジプト|気になる中東

私の人生初の海外旅行は24歳のとき。就職前、大学院の卒業式を控えた3月だった。初めての海外旅行先にエジプトを選んだ理由は、前回記事に書いたとおりだ。

当時、タイ国際航空がバンコク経由でカイロ便を飛ばしていて、それを利用した。

まだインターネットもスマホも無い時代。「地球の歩き方」だけを頼りに、大型リュックを背負っての一人旅だった。

すべて出たとこ勝負だが、1泊目の宿泊だけは余りにも心配だったので、カイロのシェラトンホテルを予約していった。初めての海外旅行で、満足に英語も話せず、まずホテルのチェックインからめちゃくちゃ大変だったのを憶えている。

カイロ

カイロに到着して、まず何はともあれ有名なギザのピラミッドを見に行った。カイロ市内からすぐだ。

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ピラミッドを造っている一つひとつの岩がデカい。一辺が70~80センチぐらいだと思う。ピラミッドの上のほうは強風で、転落事故もあったらしく、登ることは禁止されていた。

春の旅行シーズンで、日本からの団体旅行の方々も多数見えていた。ご年配のおじいちゃんは、ピラミッドの内部を見学して「ああ、これで思い残すこともないわ」と言われていた。

カイロ中心部のタハリール広場。当時は車に交じって馬も走っていたが、今はどうなんだろうか。

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このときはまだ地下鉄工事中で開業していなかったが、私が旅行した年に開業したそうだ。

さて、カイロから他の地方都市に行くのも、現地の旅行代理店に飛び込んで相談したのだが、英語がなかなか通じず、業を煮やしたスタッフが全て飛行機で、カイロ→ルクソール→アスワン→アブ・シンベル→カイロとまわってくる便を手配してくれて、「これでいいだろ」と提案してくれた。冷や汗ものだったが、国際学生証を持っていっていたので、全て半額料金にしてもらえた。

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ルクソール

王家の谷で有名なルクソール。たしか泊まったホテルで自転車を貸してもらって、あちこち見てまわったと思う。ホテルは、空港を出るとホテルの客引きの人がたくさん来ていて、適当に話して連れていってもらって決めていた。今から思えばずいぶん大胆だが、当時のバックパッカーたちはみんなこんなものだったと思う。

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ルクソールはナイル川を挟んで両岸に遺跡群が広がっている。ナイル川で洗濯したり、馬を洗ったりしている横で、子供たちが手製のボートに乗って遊んでおり、喉が渇いたら川の水を飲んでいるのを見て、人間は何を飲んでも生きていけるんだなあと感心した。

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アスワン

アスワン・ハイ・ダムで有名なアスワン。1960年に着工し70年に竣工したこのダムは、当時のナセル大統領がスエズ運河の国有化による利益により建設することを宣言。砂漠地帯のエジプトにおける灌漑目的のためにソ連の支援を受けてつくられたものだ。

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なぜか毎日のように日本人旅行者に出会った。アスワンで出会った学生くんは、もう半年以上も旅していて、アジアから陸路でここエジプトまでたどり着き、アスワンにもすでに1週間以上いると言っていた。ナイルの川岸でボーっとしているとそれだけで1日が過ぎていく、と言っていた。その気持ちは分かる気がする。5000年以上の歴史のある国。あくせくした日本と、時間の流れ方が違う気がした。

アブ・シンベル

アブ・シンベル大神殿は、アスワンから空路ならわずか1時間弱。アスワン・ハイ・ダムによってできたナセル湖のほとりにある。

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この遺跡は、ダム建設によって湖に沈んでしまうところだったが、ユネスコによりなんと神殿全体を細かく切り刻み、200mほど離れた場所に移設して復元したというから驚きだ。こんなことも今ならネットで簡単に調べられるが、当時の私はそんなことも知らず、現地の説明展示を見て初めて知った。

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カイロ近郊

アブ・シンベルからまた首都カイロに戻り、カイロ市内や周辺の観光地を見てまわった。移動にはタクシーを使っていた。バスはアラビア語のみの表記のため、外国人が利用するのは無理だった。今はもしかしたらスマホとGoogleマップとを使って、バスも利用できるのだろうか。

カイロ近郊にある、サッカラの階段状ピラミッドも印象深かった。ギザのピラミッドより古く、史上初のピラミッドと言われているらしい。

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学生なのでまだクレジットカードも持っておらず、お金は日本で米ドル建てのトラベラーズ・チェック(旅行用小切手)を買っていき、現地の銀行などで現地通貨(エジプト・ポンド)に両替するという、そんな時代だった。

わずか1週間ほどの旅行だったが、日本と全く異なるイスラム文化の中を旅してみて、見るもの聞くもの全てが驚きと発見だった。トヨタの車やソニーのラジオを多くの人が使っており、日本人と知ると「オー、ヤパニー(Japanese)!」と言って、お茶(チャイ)を振舞ってくれるなど、アラブ人がとても親日的なことも初めて知った。こんな異文化の人たちが日本に親近感を持っていることを知り、改めて日本人であることに誇りも感じた

私は大学で土木工学を専攻していた。土木工学は英語でCivil Engineering。CivilはCivilization=文明から来ている。「文明工学」という意味だ。エジプトで、まさに文明を作ってきた数々の巨大土木構造物に圧倒された。ドロ臭いイメージの土木だが、まさしく人類の文明を築いてきたと実感した。

その後、私は通信キャリアに入社し、情報通信インフラという新しい文明を造る仕事の一端を担わせてもらっていると思っている。

改めて、このエジプト旅行は自分の人生に大きな影響を与えてくれたと感じている。

【つづく】

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