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《馬鹿話 733》 染みの誘惑 ①

そもそもの始まりは、壁に見つけた小さな染み跡だった。

いつも見慣れたはずの部屋の壁を何気に眺めていると、白壁に小さな消えかけた薄い染みがあることに私は気が付いた。

壁に近づいて、その薄いレモンティー色をした染みを良く見ると、人差し指を真直ぐに伸ばし、親指を立てた形の指矢印のように見えた。

「なんだろう」と思い、その指が示す方向に目を這わせて行くと、天井の一角にも小さな染み跡があることを発見した。

そのことが気になった私は、天井の染みを近くで見るため、翌日の午後、雑貨屋に行き、安物の双眼鏡を手に入れてきた。

早速、その双眼鏡で天井に付いた染み跡を見てみると、その染みも指矢印のように何処かを指差しているようだった。

私は双眼鏡を指の矢印が示す天井の対角線上の方向へ、ゆっくりと辿ってみた。

「あった」

内心期待していたものが、見つかった喜びで私は思わず声を上げた。

天井の隅に見つけたその染みは、やはり指で作った形をした矢印で、次の目的地を示しているように思えた。

「えっ。今度はどこだ」

私は、恐る恐る双眼鏡を、矢印が示す方向へ移動させたが、沸き上がる期待と裏腹に、どうしても次を見つけることができなかった。

「次はどこだろう」

なんとか染み跡を見つけようと、私は繰り返し矢印の先を探したが、壁に埋め込まれた白いコンセントカバー以外は何も見当たらなかった。

「まてよ」と私は心の中で呟いた。

以前からコンセントは、何故か使いづらい位置に設置してあり、多分エアコン用だろうと思っていたが、「もしかしたら、これか」と、私はコンセントを双眼鏡で良く観察してみた。

コンセントに出来るだけ近づいて双眼鏡で拡大してみたが、残念ながら、コンセントには矢印らしきものは、見つからなかった。

「続きは明日にしよう」と私は矢印の捜索を一旦諦めた。

翌日、早朝からコンセントのことが気になって仕事が手に付かなくなった私は、ホームセンターで踏み台を買うことにした。

踏み台に乗ってコンセントに近付けばもっと観察できると思ったのだ。

家に帰ると踏み台を使ってコンセントのある壁に張り付き、直ぐにコンセントの探索に取り掛かった。

ドライバーを使って、私は気になっていたコンセントのカバーを取り外してみることにした。

「このコンセントはなんだ」

コンセントのカバーを外すと、本来は壁の中にある筈の電線が無かった。

コンセントの中は建物の外壁まで20センチくらいの隙間があったが、真っ暗でその中に矢印があるかどうかも判らなかった。

私は懐中電灯を用意し、コンセントの中を照らしてみた。

すると、目の前の外壁の内側に面した建材に、誰かが噛み捨てたのか硬く固まった大きなチューインガムの噛みカスが付いていた。

「業者のやつ、手抜き工事をしたな」と私は思った。

壁にくっついている古くなったチューインガムを、鋏をピンセット代わりにして摘まみ出した。

「えっ」と私は目を見張った。

突然、細い明るい光が今までチューインガムで蓋をしていた場所から差し込んだのだ。

「なんだこれは」

見ると、そこには一円玉くらいの穴が開いていた。

「絶対、明日業者を呼んでやる」と私は一人で怒りを呟いた。

暫くして怒りが治まった私は、その穴が外から見たら、建物のどの部分に開いているのかを確認するため、双眼鏡を使ってその穴から外界を覗いて見ることにした。

双眼鏡の少しボケた視野の中に、向かいの高いビルが見えた。

目が慣れるまで私はじっと双眼鏡で見えるビルを見続けたが、目が慣れてくると、思わず「あっ」と声が出た。

いつもは何気なく眺めている向かいのビルの看板に、あの指の矢印があったのだ。

「いつもは看板なんて、よく見ていないからな」と私は思った。

矢印を確認しようともう一度双眼鏡を覗いた。そして看板に描かれた矢印が今度は何処を指しているのか確かめることにした。

「お気軽にお訪ねください」と書かれた看板に、文字と一緒に描かれた指の矢印は、向かいのビルの上方を指していた。

私はコンセントの奥にある穴から離れ、向かいのビルが見える西側のベランダへ出て、指の示す先を探した。

双眼鏡を使って、ゆっくりとビルの各部屋の窓を順番に上の方向に見て行った。

ビルの最上階の窓にそれはあった。

「あった」と私は思わず声を漏らした。
 
 
― つづく ―


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