育児において大切にすべき1つの「事実」
「毒親」という言葉があるけれど、そこまでじゃなくても親が子どもを縛ってしまうことは珍しくない。
「息子は18を過ぎたら産まなかったと思った方がいい」
これは知り合いのマダムの言葉。一人息子がいて、彼は立派な士業に就き結婚し子どももできた。いつまでも可愛いけどもう一緒に住むことはないし、何をするにも嫁に気をつかうし、親としてやってやれることはもう少ないからとのこと。
これを聞いてわたしも、息子と私がどっぷり親子でいられるのは長くても大学卒業の頃…22歳までだろうなと思っている。
(今もう2歳になってしまった、あと20年しかない、というカウントダウン)
そう、いくら子どもが可愛くても別の人間で、彼には彼の人生がある。邪魔をする存在にはなりたくないから、老後の始末も自分でしないとなと思う。あわよくば、乱暴な言い方になるけれど自分の介護も金で解決できる老人になりたい。
「近くにいてほしい」というエゴ
東京でがんばっている地元の友人の親や祖父母が、その子に対し折に触れて「帰ってこい」「いつまでも東京にいるのは親不孝だ」と言っているという話を聞いて辛くなった。
その子はきょうだいがいないからこそ、その言葉を一人だけで受け止め心を痛め、自分を責めていた。私のように親の近くに住んでいる人がいるのを知っているから、自分が同じことを家族にしてあぜらないことが辛くなる、とも言っていた。
私は親という立場になったからこそ、全力で「自分の人生を優先するべき」と伝えた。都会で、自分の足で立っているその子が今の生活や築いてきたものを犠牲にしてまで親の近くに住むなんて、不幸でしかない。
その選択の先に後悔が生まれたら、誰が責任を取れるのだろう。少なくとも、親や祖父母は取ることはできずに多くは先に死んでいく。
親は、子どもの選択肢を狭める存在になってはならない。子どもがもし親の近くで住む方が自分にとって有益で、そうしたいと希望したときには大喜びで乾杯したあと、適度な距離感を持って受け入れる、以上!だと思っている。
正解はないけど不正解はある
子育てを始まった頃から常々思うのが「育児は宗教だ」ということ。
赤ちゃんを産んだ直後から浴びせられる母乳神話。離乳食への取り組み方やベビーフードの取り入れ方も十人十色。最近はこれに、スマホゲームやYouTubeとの付き合い方みたいなジャンルも加わる。
1歳になるまでのことかと思っていたら、どうやらそうではないらしい。私も最近、子どものトイレトレーニングを始めるタイミングのことで自分の母親の意向に従った。我が家は寒い家だし、急がず春になったら…と思っていたのだけれど、母の意向に合わせて(合わせるふりをして)道具を揃えた。「うちの子はこの歳でもうオムツ取れてた!」と彼女は主張するが、布オムツの時代と単純比較しないでほしい。
話が逸れてしまったけど、子育てには「正解はないけど、自分が正しいと信じて突き進む」潔さは必要である。世の中の母親たちが、自分の意見を主張するのは仕方のないことなのだと思う。さもないと、ふとした隙に世の中の自分とは違う考えを持つ「母親」にやられるから。
だけどそんなたくましい母親でも、「子どもは子どもの人生を歩んでいる」という事実を忘れてはならないと思う。長年子育てをしていると、自分が子どもの理解者と錯覚して、忘れてしまうんだろうか。どうにか、忘れたくないなあ。
友達が、自分のために人生を選び続けられますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?