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子どもの学校行事に参加したら、うっかり小さい自分が成仏した話

どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。

先日、長男の学校の6年生を送る会を参観し
この歳まで多くのものに囚われて生きてきた
ということに気づかされました。

なんだ、私
真面目に生きなきゃ、
言われた通りにしなきゃって
思いすぎていたのかもしれない。

もっと適当で、遊びがあってよかったんだ。
もっと適当に緩やかに生きてきてよかったんだ…。
何をしていたんだろう。

何にそんなに囚われる必要があったんだろう?

今日は子どもの学校行事に参加したら、うっかり小さい自分が成仏した話です。


これが今どき令和スタイル!?


実は3年生の今年が初参加となった送る会、
去年までは感染症対策のため
参観不可でした。
なので今回が初めて。

一言で言うと、衝撃的でした。

昭和後期生まれの私が高校生だった頃の学祭のノリだったからです。
完全に児童主体で行われ、先生も児童も
近い目線で楽しんでいる感じが凄くしました。

TikTok世代の子どもたちはダンスも演出も上手く、MCも流暢。

先生たちはコスプレをしノリノリで、
お話も堅苦しくなく、
先生が登場するとあがる歓声。

「今日はみんなー楽しんでいこう!堅苦しい話は卒業式までお預けだーっ!いぇーい!6年生、ノッてるかー?!」

先生?先生…?えっ…?
戸惑いを隠せない保護者のざわつき。

卒業生一人一人が紹介される折には、
「いぇーい」「キャー」「うぉー」の歓声と拍手が巻き起こり、時折拳がつき上がります。

一人一人の得意なことを、
最近のヒットソングに合わせて発表する場もあり、バク宙する子、リフティングする子、瓦を割る子や弾き語りする子、
一連の流れの中で一人一人が輝いていて、認められていて、
なんてリベラルなんだろうと鳥肌が立ちました。

中には泣き出す保護者の方もおられ、
「全然まだうちの子2年生だし、6年生に知ってる子もいないのに涙が出ちゃうどうしよう。」
と聞こえてきました。

みんな揃ったお辞儀や、歌が強要された時代とはすでに違っているのだと
平成の初めに小学生をしていた私の当たり前の小学校像、
先生は偉くて従わなければならないという時代からの大きな変化を感じたのでした。

無理もありません。
もう30年も時が経っているのですから、
小学校は世代によって大きく異なるでしょう。


共に育てる共育

私は私の生きてきた小学校の感覚で
長男の小学校と向き合いがちですが
そんなに肩肘を張る必要はないのかもしれません。

長男の通う学校は、先生たちが自分を隠さず、
さらけだしてるなと時々思います。

「あ、そこはオレンジでお願いしたいんですが。これペンです。僕、色盲なんでどれがオレンジかわかってないですけどね~。オレンジここからとってもらっていいですか?」

「お母さん、私ガッツリADHDなんで、頭ん中とっちらかってるんですよ!行き届いていない点があったら何でも仰ってください。」

「うち、子どもが不登校なんで、ご迷惑おかけすることもありますが、介助の先生にも入っていただいて、しっかりお子さんたちのことは見ていきますので。」

という先生。

そうやってさらけ出して下さるから、
私も
「失敗は許されないのだ」「完璧に保護者しなきゃいけない」
と緊張したり肩肘を貼らなくていいと思えるのでした。

「先生、あとはお願いします」
「大丈夫、先生休んでください。あとはこちらでやります!」

そう思えるのは、そうやって先生方が
完璧では無い部分を見せてくださるからであり、
私も
「ダメな親なので、どうぞ一緒に育ててください。見守っててください。」
という気持ちになれるのでした。

心理学用語に“自己開示”というのがありますよね。

自分から自分をさらけ出すことで、相手も自己開示するようになり、互いを深く知り合うことで
コミュニケーションが円滑になり、信頼関係を構築しやすくなる。
というようなことだったかと思います。

まさにその手法を巧みに使われている気がします。

ちゃんとしなさいを強要されてきた私は
ちゃんとすること、させることが
小学校だと思い込んでいます。

ですが、
「お母さん違う違う。小学校って一緒にお子さんの基礎を育むとこだよ」
と言われている感覚です。

つまり、子どもを教育していただくと共に
私の親としての筋道を正し、教育していただいている
育てていただいているのかもしれません。

小学生だった私の話

私が小学校に上がったのは確か、平成の初めでした。
義務教育が合わず、思い描いていた
“楽しみな小学校生活”は直ぐに打ち砕かれました。

(苦手な方、トラウマ誘発する可能性がある方はこの章は飛ばされることをオススメします。)

1年生の最初の授業、
自己紹介を終えると、先生はいいました。
「ふたさんはお口から生まれてきたのかな?」

意味は分からなかったけれども、ずっと頭の中に残っていて
大きくなってから、それが遠回しに
喋りすぎを指摘する意味だと気づきました。

家庭訪問の日、先生は母に言いました。
「ちゃんと躾されてますか?甘やかして育てられてるんじゃないですか?」
すぐ母に呼ばれ、
「どういうことか?!親に恥ずかしい思いをさせて」
と叱られました。

私が学びたい学びは小学校にはなく、
「行かなければならない」という言葉だけに縛られ、
皆勤賞を貫きました。

友だちと深い関係になるのが難しく、
低学年の頃はよく1人で庭で遊んでいるところを
近所の上級生や中学生から、エアガンで撃たれました。

本の世界に遊びに行くのが息抜きでした。
山田かまちや、まだ今ほど有名になっていなかった養老孟司さんの本をよく読んでいました。

家庭の医学を読み、
こども病院や救命救急の特番を片っ端から録画し、何度も見ては
どんな病気や怪我が、どんな治療をし、どんな予後を呈するのかを
ひたすら観察して発見するのが日課でした。

運動が苦手で、平面を歩いているだけなのに
躓き転ぶ私は、
マラソン大会ではいつもビリから数人のところを、泣きながら走り運動会も地獄。
体が大きいからというだけで、サッカーはキーパーを
バレーやバスケは重要なポジションを与えられるものの
パスさえ受け取れず期待はずれ。

整列や足並みを揃えるだけの練習を何時間もさせられ、
軍隊にでも入ったような気持ち。

疲れ果て、休日は朝から晩まで眠り、
気づくとまる2日眠っていたこともありました。

いつだって、親からも先生からも兄弟からも、
「ちゃんとしなさい」
と言われました。

「ふたがちゃんとしないと先生に言われるでしょ!」
「お母さん、また今日ふたが児童集会で手遊びしてて先生に叱られてた!」

授業は退屈で、
爪を剥がして遊んでいたら、血が止まらなくなって焦り、
ヤバい叱られる!と
指を座布団の下に挟み止血を試みるも
今度は血に染った座布団を見て母に叱られ

隠れて、鉛筆を1本ずつへし折ったり
筆箱を破壊し、
1年で3回筆箱を買い換える羽目になり、
母に小言を言われ
(親目線で見ると当然ですね笑)

高学年になると、みんなに合わせるために
必死でアイドルや歌謡曲の情報をかき集め、
情報通になることでなんとか居場所を確保し、

授業中、国語便覧や地図帳ばかりを眺めていて
机ごと廊下に出され、
聴覚過敏で色んな音を拾いやすいため
隣のクラスの授業をうっかり受けてしまい、
また先生に叱られ
「帰りなさい!」
と言われ、ランドセルを取りに向かうと
再度叱られ、
帰れ言うたがな…と思いながら謝り。

コントみたいな、でも
「ちゃんとしなさい」を言われ続けて
ちゃんとしたいけど、みんなには合わせられなくて
ちゃんとできないから私はダメな子なんだなと。

「社会に合わない、合わせることが出来ない私は
社会不適合者で
だけど逃げ場なんてなくて、
この波に合わせられない者はこぼれ落ちるしかない。
そしてこぼれ落ちた先に、未来は無い。
生まれてしまえば合わせる以外の選択肢がない中で、この社会システムと合わない私には生まれてきたことを後悔する以外の方法が分からない。」

そんなことをノートにしたため、
はじめて包丁を手首にあてたのは10歳か11歳でした。

※25歳でアスペルガー症候群(当時)と診断されています。

きっと大丈夫

今、歓声をあげる小学生たちの姿を目の前にして
一体私はなぜあんなに苦しまねばならなかったのか…
という虚無感と、時代が変わっていくという安堵の波に揉まれ

我が子は卒業とはまだ程遠く、
知っている卒業生もいない6年生送る会に、
情動を突き動かされ
得も知らぬ感情に胸がいっぱいになったのでした。

ですが、そうした昭和の価値観が残る平成の時代に小学生をやり
たくさん頭を打ってきた経験があるからこそ、
長男を羨ましく思ったり、「ああ、もう今は違うんだ。心配しなくてもいいんだ」と安堵したり、
この変化の素晴らしさに気づくことができるのです。

人に不幸をもたらすのは“差”です。
ですが同時に人に幸福をもたらすのも
“差”なのです。

コントラストを知るからこそ、
光を感じることが出来ます。

大丈夫。
この子の礎は今この経験の中で育まれている。

手を挙げる大人に怯えることもない、
決められた道筋に従わなければ、
頭ごなしに叱られ怒鳴らる、
捕まえられ、またそこに押し込められるということも無い。

道筋はあるけど幅が広く、
個人の意見に耳を傾けてもらえる。

だから大丈夫。
この子は大丈夫。
生きていける。

私が躓き嵌った轍に、この子は嵌らずに
生きていける。

環境に向かって
「私も悪かったとこあったけどさ、あれ、辛かったよ?」

と言い続けてた声が今、ようやく環境に届き、

「ごめん、俺もどうかしてた。悪かったね。これから俺も少しずつ変わるよ。」
と互いに握手を交わすことができた感覚です。

そして、ずっと震えながら泣いていた小さな自分が、
長男の掌でそっと息を引き取り、
静かに召されて逝きました。

よく、生き抜いたね。
もう自由だから。

最後に

一方の長男はというと…
「去年もこんな感じだったの?」
との私の問に

「それが記憶にないんだよね!」

全くこの会には興味がなかったようで、
存在すら記憶にありませんでした。

実に彼らしい。
母がこんなにこの会に救われ、揺り動かされたというのに
同じ会に参加している彼はまたその中で違う体験を得ていて、

なんなら彼は今回も、体はその場にいながらも
興味のない会には参加せずに
頭の中の世界に遊びにでかけ、
自らの思考を研鑽していたんだろうなと
笑ってしまいました。

ですが、ずっと溺れていた私を
そっと掬い上げてくれたのは
何者でもなく、彼の存在であることは
間違えようのない事実なのでした。

ありがとう長男、私をママにしてくれて。

このnoteは、
この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。

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