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1時間の作家の対談:辻真先×太田忠司(@なごや)を聞いてみて。

※今回の内容は名古屋の関係者しかヒットしないかもしれません。
ご了承ください。


作家トーーク


2024年2月17日(土)
名古屋市の文化のみち二葉館で行われた
辻真先ワンダーランドというイベント。

第2部は辻真先×太田忠司の対談でした。
ミステリ作家のお二人。
名古屋の昔もよく知っているようで、
名古屋の歴史とこれからを語ります。

辻ー私がいた頃の名古屋は広小路が盛り場だった。
  僕は日本中の県庁所在地すべてをまわっております。
  札幌のすすきのや博多なんかは面として
  栄えておりますが、新宿は2次元という感じ。
  銀座は筋で発展しています。
  名古屋の栄も直線で銀座と似ていますが
  今の名古屋の扱いはいかがでしょうか?

太田ー久屋大通の辺りは、再開発でおしゃれに
   なりましたが逆に僕なんかは行きにくいですね(笑)
   名古屋駅中心にエスカ地下街とかで完結して
   しまっていて、栄まで繋がっているかと
   いわれるとそうではないですね。

辻ー名古屋は大阪と東京の間にあり、物を流す所。
  文化を流す土地。だからこそ大阪と東京の
  いいものに触れて目が肥えていたのですが。

太田ーそれが、今や拠点になる場所がないのです。
   「名古屋とばし」と言われてしまい、いろいろな
   文化もとばされてしまっています。

辻ーあぁ、戦後すぐがそうだった。
  当時の映画、海外の映画が上映されるのは
  名古屋は非常に遅かった。

太田ーこの土地で文化を受け、つくるには
   心もとない気がします。
   名古屋にゆかりのある昔の英雄たちも、
   織田信長、豊臣秀吉、徳川家康みんな
   愛知から出て行ってしまっています。
   みんな名が売れたら、名古屋を捨ててしまう。
   産む力はあっても、育てる力はないんです。
   成功するためには、肥沃な土地から出ないといけません。

辻ー私も名古屋から東京にでてNHKで働きました。
  あの時、一回名古屋へ戻らないかと
  いう話がありましたが、断った。
  給料がね、安いんですよ。
  残業時間で食っていたようなもんで、
  東京のテレビで働いてた時なんか
  月200時間残業で、今では考えられないでしょ。
  そういう時代だったんです。

  そういえば、
  この前名古屋でタクシーに乗ったんですが、
  運転手の息子さんが名古屋大学に受かった
  そうで、まぁいばる、いばる(笑)
  私もその大学ですから、いばってもらって
  構わないんですがね……。
  まぁ、東京へくるとね、6大学なんてものがあって
  名古屋はそれを知らないんですよ。
  名古屋大学だけでいばってる。井の中の蛙。

太田ー僕は1990年に作家デビューしたのですが、
   その時「何で東京に出てこないの?」と
   よく言われました。
   東京に出版社が集中しているから。
   あの当時、僕はネットやメールを駆使して
   ここにいても仕事が回るように土台を作りました。
   やっと地方にいても作家ができるようになったんです。
   辻先生がおっしゃるように、東京のインフラは活性化しています。
   逆に地方は衰退しています。名古屋以外も。

辻ーかつて、名古屋は日本の三男坊って言われていたのに。
  そうではなく、今は地方の1番目になるといい。
  札幌や博多と協力して、何か目指すものを。
  今は、若い人がしょぼくれているのかな?

太田ー昔、名古屋でデザイン博というものがありました。
   あそこで、名古屋が変わった。
   名古屋にも、デザインというものを自覚する目が。
   その後、愛知万博で盛り上がり、
   まぁトヨタが元気だったからもありますね。
   
   実は、名古屋の土地はいいものが眠っています。
   今日の会場だって、建物がすばらしい。
   名古屋にこんな文学資料が置いてある所が
   あるなんて、あまり知られていません。
   この土地はポテンシャルがあるけど、現地人が知らない。
   だから、埋もれてしまう。

辻―名古屋のポテンシャル、それは伸びしろです。
  名古屋人が自分で気づかないといけません。
  私なんかは、名古屋のからくりとか好きですよ。
  江戸川乱歩だっています。
  まぁ、私は名古屋を出て行っちゃった人間ですが(苦笑)

太田ーここに住む人たちは、
   自分たちでおもしろがっていないから。
   徳川園だって、この会場だっていろいろなものが
   あるけど、名古屋人自身がおもしろがっていない。
   僕は、ここにくるのにメーグルってのに乗ってきました。
   まぁ、外国人が多かったですがね。
   名古屋城も見てきましたが、素直に「おぉ」って
   声を出しました。そういう僕自身が感動できるものが
   あると、人に紹介したくなります
から。

辻ーどうせ生きるなら、おもしろい方がいい
  街の文化を探せばいいですね。
 
太田ー名古屋をどう見せていくか、どう伝えていくと効果的か?
   それには、プロデューサーやキュレーターの力がいります。
   コンサルはダメです。中抜きされるので。 
 
辻―それは、塾的なものがいいのでしょうか?
  できる人はいるけど、見つけられない?

太田ー名古屋市の公の力もいるでしょう、
   大学などの協力も。
   あとは、ネットですね。
   やっている人はいると思うんです。
   そういう人たちは、何かしら発信したくなるはずだから。

辻―昔ね、私が名古屋を舞台に物語を書いた時、
  編集者に「名古屋を代弁しないで下さい」って言われた。
  昔は、ダメだったけど今ならできることかもしれません。
  もう言っちゃったので、書くしかないですね。
  
  みなさんとは、またここでお目にかかりたいな。
  私は、いい所を見せたがるから(笑)
  まぁ、早い話(書いた小説を)買ってください。

会場から笑いとともに拍手が起こり講演終了です。

なごやっこ和(かず)の気づき

確かに、私は地元をよく知らないです。
今回の会場も初めて訪れた場所です。
そもそもこうやってnoteで書くぞって決めたから
文学の世界や過去の文人に興味を持ち始め、
作家さんの対談もわざわざ足を運んで
聞きに行きました。
これは、私の意志です。
人生をおもしろくしようって。

でも、みんながみんなそういう思いを
もっているとは限りません。

実際、この土地に来てみて
「結構すごい!いいじゃん!」ってなりました。
地元の私がいいって思うこと。
それをおもしろがること。
これって、私にとっても楽しい出来事だし
小さな力だけど、こうやって書き残すことで
名古屋にこんな所があったんだとか
こんな人もいるんだって知ってもらえます。

ただ私も含め、名古屋は小さいです。
小さいというのは、器のこと。
いいものを囲い込んでしまいます。
だって、自分たちだけで楽しみたいから。

なるべくお得に、
自分たちの都合のいいように、
広めたらいいものがあるってバレてしまう。
そうしたら人が集まって逆に住みにくくなる。
ほどほどがいい感じを作り出すからって
わかってやっています。きっと。
名古屋人はしたたかです。

このしたたかさ、悪く言うとドケチ根性を
まず自覚しないといけません。
難しいんですよね、これを手放すのって。
損得勘定から、シェア思考への移行
無意識の。

頭ではわかります。
どんどん人が集まった方が、お金が回り
より豊かになり、文化も発展する。
少子高齢化なんだから、外国人受けする
よりよい高額サービスを提供しつつ
外貨を獲得して、地元を潤わせていく。
それが相乗効果でいい経済圏を産み出していく。

そのデメリットは、にぎやかになること。
静かに暮らしたい人にとってはいい迷惑になる。
にぎやかになると、面倒事も必ずおきます。
名古屋人はいつものメンバーで喫茶店にいたがります
だって、安全で安心だから。

このバランス感。
拡げた世界と閉じた世界。
名古屋の未来は、この%で良くも悪くも決まりそう。

私は、今が幸せです。
名古屋は便利でいい感じ。
でも、もう少しだけ拡げることに
協力してみようかな。
「名古屋とばし」は残念だから。
今は、そんな気持ちで発信します。



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