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ちあきなおみ~歌姫伝説~36 バックステージ

 二〇二〇(令和二)年十二月九日夕刻、私とゴッド(友人)の目的地である日本ガイシホールには、歌あるほうへと、静かにオーディエンスが集まってきていた。その光景を目にすると、コロナ渦にあるこのご時世、言いようのない想いが込み上げてくるような気がした。

 日本ガイシホールは、プロスポーツ興行をはじめ、国内外のアーティストのコンサート、商品展示会などが開催される、名古屋最大の体育館である。収容人数は一万人で、なんでも設計するにあたり、NASAのアポロ計画で使用されたプログラムが導入され、直径百メートルにも及ぶ真円ドーム構造は、音の残響時間僅か二秒という、音楽的にも非常に優れたハコである。
 
 会場への入場は混雑を避けるべく、チケットの列番毎に集合時間を指定する分散入場方式がとられていた。チケットとはいえ今は昔とは異なり、紙チケットではなく、主にコンサート専用アプリで入手する電子チケットで、スマートフォンそのものがチケットとなり、会場入口に設置された読み取り機にかざして入場するというスタイルに変わっている。

 私とゴッドは入場人数制限規制に従い、しばらく会場付近の光景を眺めていた。
 隅に設けられたアーティストグッズ売り場で購入したタオルを肩に、記念撮影に興じる若者たち、〝ぼっち参戦〟と呼ばれる、ひとりでライブに足を運ぶ人たち、恋人同士、夫婦、親子、私たち五十代より年配と見られる老年の紳士淑女などが、言葉少なに、徐々に胸を高鳴らせてゆく素振りで会場に寄り添っている。

 無観客ネット配信によるライブが多くなっていた二年前、有観客でライブを開催するための対策や方法が次第に確立されてきたこともあり、中止や延期なくこの日を迎えられたことに、だれもが喜んでいたことであろう。

 私たちの入場時間が拡声器で伝えられ、徹底した感染対策の下に会場アリーナへ入ると、座席は前後左右一名分ずつの間隔を空けた状態で、ほぼ人で埋まっていた。約五千人ほどだろうか、無言で開演を待つオーディエンスが集う広い会場には、それでも熱気が漲っているように感じた。

日本ガイシホール

 この場所にいる人々は、ステージが動き出すのを今か今かと待ち望んでいる。その空気感を楽しみながらも、私の眼はステージの向こう側にあるへと向けられていた。
 それは、アーティストが静から動へと移行してゆく時間である。

 いつでも眼をつぶれば、眼瞼の裡に描き得るのは・・・・、私が現場マネージャー兼付き人として体感した、ちあきなおみがステージへ向かうまでの所作である。
 私にとっては、ステージへ出てからのちあきなおみより、その前の振舞いや態度心理状態の中にこそ、凝視すべき場面があったのである。

 私はちあきなおみ体験以前、修行のため、俳優・京本政樹の付き人を一年間務めたことがある。

京本政樹氏と旅行時

 時代劇の舞台公演や映画撮影の際、楽屋という密室の中、私は正座をして、(化粧)前の京本政樹を鏡の中に覗き込みながら、徐々に、妖艶に、妖しく、役の人物になり切ってゆく姿に、普通の俳優では決して感じ得ないであろう、虚と実が交錯する地平線に立っているかの如く、摩訶不思議な感覚に陥ると同時に、だれもが立ち入ることができない場面に立ち会っている、という極度に張り詰めた思いを感じていた。
 心酔する京本政樹の下で得たこの緊張感は、そのまま糸を紡ぐように、ちあきなおみの現場へと引き継がれていった。

 私はステージ本番前のちあきなおみに、暗黒の海へと向かう、永遠につづく途をひとり静かにゆくような、圧倒的に孤独な女性の影を見ていた。そのは、時には怯え揺らめき、時には花園を見つけ憩い、時には心急くままに、周辺に漂う空気を虚構世界へと変換してゆく。
 リハーサルを終え、しばらくは笑顔も見られ平静とした時間が流れるが、ヘアメイクをしながらステージ本番が迫ってくると、次第に無口になり、迂闊には声が掛けられないほどの雰囲気となる。そして、衣装に着替える時間になると、私は楽屋前に控える。
 扉の向こう側からは、ただならぬ気配と、殺気と言ってもいいくらいの緊迫感が伝わってくるのだ。

ちあきなおみは今、なにを考え、なにを思うのだろうか・・・・。

 私はいつもこのことを思い巡らせていたが、なにか本人の、自分自身へ向ける怒りのようなものを感じていた。それは、この場面で必ず聞こえてくる、発声練習の声の響きの中に込められていた。

 私は、舞台監督が伝える「本番十分前です」という言葉に頷きながら、扉をノックして外側から本人に伝える。その声に呼応するかのように、発声の音量が高まり、魂を喉で震わせ、声を部屋の壁に叩きつけるかの如く、本人の、常にちあきなおみに満足しない、切迫とした思いが伝わってくるのだ。私はこの時間いつも、歌手・ちあきなおみの凄みを感じていた。
 本番五分前となると、扉が開き、その人、ちあきなおみがはっきりとした輪郭を整えてあらわれる。その身体からは冷気が漂い、一見穏やかな眼は、途の果てにある遠い彼方をじっと見据えているようだ。私はその眼差しに、自らの影を置き去りにして、歌を連れ、ステージで波にさらわれ海底に沈むことも厭わない、といった悲壮感を垣間見て、戦慄を禁じ得なかった。
 舞台スタッフに先導され、一途にステージへと向かう後姿は、歌うことで死に場所を探しているような孤独感寂寞感を感じさせた。
 本番一分前となり、ステージ中央にスタンバイすると、本人お手製のはちみつドリンクを喉に流し込み、後方にぴったりと寄り添う私の眼を見て精神の焦点を絞り、ふっと笑顔を見せて息を抜く。
 私は舞台袖に移動し、ステージ中央を振り返ると、そこには現実から姿を晦まし、薄暗い照明に照らし出された、自分自身をちあきなおみに閉じ込めたひとりの歌手が立っていた。
 幕が開くと、その歌手はスポットライトの中、一気に静から動へと、ステージを物語へと創り変えてゆく・・・・。

 劇場での、ちあきなおみと私のあいだには、ふたりだけの約束事があった。そこには、観客にも、関係者にも絶対に見せない、真の、歌手・ちあきなおみの姿があった。
 それは、必ず私が舞台裏に水桶を設置しておくことである。
 ステージ中盤、場面転換や衣装替えのため、ちあきなおみは、一度ステージからはける(舞台上から退出する・古賀註)。その際に、この水桶に喀痰を吐き出し、また、唾液を入れ替えるのだ。
 拍手喝采が向けられるステージと、慌ただしくスタッフが往来する舞台袖の裏側で、断崖絶壁に追い込まれた獣のような形相で、呼吸の確保のため排痰する姿こそ、私がちあきなおみを想うとき、ステージ上の姿と同居させるもうひとつの姿なのだ。私は水桶を差し出し、背中をさすりながら、その身体の内から吐き出される、ちあきなおみの心火の量を受け止めているような気がしていた。
 私は、いつも水桶に飛散した血色の感情を処理しながら、いつまでもこの人の付き人でありたい、と思ったのだ。

 そして、ちあきなおみは再び自らの影を切り捨て、しれっとした様子でステージの闇に溶け込み、スポットライトに照らし出されて浮かび上がるのである。
 考えてみれば、私はただの一度も、ちあきなおみのステージを、劇場の客席から観たことはないのだ。とうとう、この伝説である歌手の、光に照らされた動の中に繋がりを持つことは叶わなかった。私のちあきなおみ体験は、徹頭徹尾、光の閉ざされた静の中にある。その暗闇に包まれた場所が、私の指定された席であり、歌手・ちあきなおみと唯一、連帯できる天命の居場所だったのだろう・・・・。

 ふと我に返ると、私の眼は、ステージの上に微かに確認することのできる、ギターを抱えたひとりの女性アーティストのシルエットを捉えた。
 劇場客席から静かに、そして徐々に大きく拍手が沸き起こる。
 ステージ奥からのバックライトと真上からのサスペンションライトを使った薄明かりで、人物の姿はおぼろげに、どこか儚く幻想的で、このステージをドラマチックに印象づけている。  ステージ中央上に描かれた淡い光の円の中が、どうやらこの歌手の居場所のようである。
 と、ギター1本の演奏で歌がはじまった。

「AIMYON TOUR 2020〝ミート・ミート〟」

 私は瞬時にして、あいみょんが奏でるドラマの中に巻き込まれていった。
               つづく

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