見出し画像

【エッセイ】 メトロノーム、漢字ドリル、壊れた自転車みてえな人間

全く以て自分の性格の悪さには度肝を抜かれます。

もちろんあなただって滅茶苦茶に性格悪いとは思うが、私だって全然負けてないし何なら私の方が絶対にやばい。
そんな負けん気の強さを愛して欲しいし慈しんで欲しい。朝晩二回感謝して欲しい。

あなたくらいだと子どもの頃から自分以外の人間を間抜けか木偶の坊かあるいは波打ち際のビニール袋か何かだと思ってそのように付き合って日々を過ごして来たのだろうけれども、私なんかは偶に実家に帰るその道すがらに小学校の同級生なんかがマルエツの前を歩いているのを見かけると「あいつまじで存在していたのかよ!俺の頭の中だけにいる幻想生物の一種だと思ってたのに!」などと叫んで近寄りそのまま飲みに行ったりしてしまう。
そしてやはり思い出は思い出のままが美しいのだと何度でも何度でも学ぶのだ。(いわゆる「大人の学び直し」)

そんなかけがえのない自分のことを昔からうまく乗りこなすことができなくて、もちろん私なりに努力しているつもりではあったのだけれども、それでも他人から見ればただただ朝から晩まで煙草吸ってゲームやって女連れ込んでるだけのカスに見えていたんだろうと思うし事実そうだった。

しかし事実の一部ではあるが事実の全てではなくて、それがあまり良くなかった。

鬼滅の刃などを鑑賞申し上げるともしかしたら俺は長男ではないのかもしれないとすっかり自信を喪失してついつい昼過ぎまであるいは夕方手前まで眠り続けてしまいそうになるのだけれど、いつだって何度だって寝ても覚めても私は日々の生活の中で長男だったし、弟を風呂に入れて妹にお好み焼きを焼いて来たのが俺だ。

それなのに、もうすっかり大人になってからもうすっかり大人になった妹に「お前のせいで私の人生は不幸だった」というようなことを言われた大晦日が在った。

これは格好をつけるだけで人を破滅させてしまうこともあるんだという教訓を内包した童話なのだが、私は何か努力的な何かをしている所を人に見られるのが何だかあまり好きではなくて、と言っても子どもの頃の私はほとんど全ての物事が好きではなくて、そういった軽薄で尊大な背景で以て弟妹の前で試験勉強のような行為をしたことが只の一度もなかった。

だから彼女は6つ離れた兄のことを勉強の出来ない阿呆だと見下していたようで、だからこそ自分が成績に伸び悩んで兄の部屋に参考書を漁りに行った時にふと見つけてしまった兄の成績表を見て絶望に打ちひしがれ、結局立ち直れずにその後二度と勉強というものをしなくなったのだそうだ。

私は「それは全く勉強していなかった兄が自分よりも成績が良かったということではなくて、実際には兄はお前が寝たあとで深夜に必死こいて勉強していたというだけのことなんだから別にお前は落ち込む必要ないじゃない」と反論したのだが、出勤前のキャバ嬢みたいな見た目の出勤前のキャバ嬢は「今更言われても知らんし」と言ってサーモンの刺身を頬張った。

寿司屋に連れて来たのに刺身を食うなよ刺身を。
「板わさ下さーい」じゃないんだよ。
握りを食えよ握りを。

そんな私はとにかく勉強というものが嫌いで、特に漢字や英単語をノートに一列ずつ書いて提出する宿題が心から苦痛だった。
こんなことを言うと冗談のように聞こえるかもしれないが、実際泣きながら書き取り練習をしていた。
俺が何をしたっていうんだ、前世でどんな罪を犯すとこんな罰を受ける羽目になるのかと、子どもながらに先祖への呪詛を吐きながらノートやドリルを埋めたものである。
その姿、号泣と言って差し支えないでしょう。

命は有限なのにどうしてこんな無駄な時間を過ごさねばならぬのかと思ったら涙が止まらなかった。
悔しい。
許せない。
世界を変えてやる。
そんな私の成績表にはいつも「授業中喋るくらいなら寝ててくれ」と書かれていた。

5歳になった娘を見ているとやはり泣きながらお稽古ブックをやっている。
ひらがなやカタカナや、最近では漢字の書き取りもはじめたらしいがグスグス泣きながらドリルに取り組む姿はまさに親子である。

しかし彼女に「泣くほど嫌なら無理してやらんでも良いよ」と声をかけると、「嫌で泣いているんじゃなくて自分で思った通りに書けないのが悔しくて泣いているだけだから放っておいてもらって大丈夫ありがとう」と言われてしまった。

私にとって書き取り練習というのは記憶のための作業であったが、どうやら娘にとっては理想と現実のギャップを埋めるための鍛錬であるらしい。

どうりで言われた訳でもないのに2時間も3時間もやっていると思った。

書き取り練習でもピアノの練習でも彼女の頭の中には理想の完成形というものがあって、その通りに表出できるようになるまでが「今日の練習」なのだ。

私にはそういうのなかったな、もしそうやって子どもの頃を過ごしていたら今頃どうなっていたんだろうか、と今更考えても全く以て取り返しのつかない爽やかな後悔をぼんやりと燻らせていたら大宮駅に着いた。

今日はピアノの発表会。

ドレスを纏い革の靴を履いた娘が壇上の椅子に座ると、彼女の頭の中でだけ鳴っているメトロノームの音が聞こえて来た。

令和5年10月16日
草々


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?