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たむけのはな

 三年振りに、ほおずき市に行った。
 梅雨が明けたばかりの浅草は、三年前と変わらず人で賑わっていた。吊るされている風鈴の音が辛うじて涼しさを演出しているものの、人々の熱気によってあまり効果は無い。ほおずきを抱えた人々の雑踏に揉まれながら、私は覚束ない足取りで歩く。一歩を踏み出す度にくらくらと視界が揺れるのは、何も暑さや人ごみのせいだけではない事を私は知っている。

 三年前、私の娘、なつみが亡くなった。最期くらい楽に逝って欲しいと思っていたのに、全身が病魔に冒され、苦しみ悶えながらなつみは息を引き取った。
 お母さん、私ね、ほおずき市に行きたい。私に似てほおずきが大好きななつみは、電話越しにそう言った。上京して親戚の家から高校に通っていたなつみは東京の病院に入院しており、母子家庭のため仕事が多忙だった私は中々会いに行けずにいた。だから、たまに泣きながら掛かってくるお母さんに会いたいという電話を聞いて、私はいつも胸が締め付けられていた。
 ほおずき市まで後一ヶ月くらいだね、それまで頑張ろうね、絶対行こうね。私は固く約束した。絶対にこの子と一緒に行くんだ。だけど、その願いは叶わなかった。

 私はなつみが亡くなってから、すっかりほおずき市に行かなくなった。怖かったのだ。ほおずきを見るとあの子を思い出してしまう。だけれど、今年であの子は二十歳の誕生日を迎える。そんな記念すべき年に私が怖がってどうすると、気持ちを奮い立たせてほおずき市へと足を運んだ。
 なつみのお墓にほおずきを持っていこう。成人祝いなのだから、奮発して、二十本。お墓に置ききれるかな、喜んでくれるかな、なんて気持ちが高ぶる反面、案の定なつみとの過去を色々と思い出してしまい、息が苦しくなっていた。

 昔、なつみがまだ幼い頃、人は死んだらどこに行くの、と聞かれたことがある。人は死んだらお空に行くんだよ。みーんなお空にいるから、死んじゃっても寂しくないんだよ。そう答えた。
 もし天国というものがあるとして、私は、まさか娘が自分より先に死んでしまうとは思ってもいなかったから、私がそこでなつみを待つつもりだった。だからあの時、死んでも私がいるという意味を込めて寂しくないと答えたのだが、今なつみは天国でひとりぼっちだ。きっと寂しい思いをしているだろう。
 なつみに会いたい。会いたくて会いたくてたまらない。会ってこの腕で強く抱き締めたい。抱き締めて温もりを感じたい。そしていつまでも側にいたい。そんな想いが膨れ上がって、今にも破裂してしまいそうだ。

 お墓は地元にある。ほおずき市を後にし、駅のホームの階段を降りていく。そこのベンチに座り、両手に抱えるほおずきを眺めながら電車を待つ。
 ほおずきのこの灯火のような姿が、私は好きなのだ。深紅とも言えない、橙色とも言えない、この独特な色。どこかほの暗い雰囲気を纏っているのにも関わらず、今にも淡い光を放ちそうなこの神秘さに、私は惹かれる。

 ふと、一個のほおずきが風に飛ばされてホームを転がっていく。ああもったいない、とベンチから立ち上がりほおずきを拾って視線を上げた。その先に、

 なつみがいた。

 己の目を疑った。これは夢か幻か?いや、そんなことはどうでもいい。三年間ずっと会いたいと願ってきた娘が、そこにいる。両手を大きく広げて、泣きそうな顔でこちらを見ている。あの子が、私を、待っている。

 「なつみ!!!」

 走った。あともう少しでたどり着けるというその瞬間、ほおずきが宙を舞った。

 最期に聞いた音は、けたたましいブレーキ音と、自らの身体がひしゃげる音だけだった。

 

 

 知ってるか?この駅、地域の人の間でほおずき駅って呼ばれてるんだって。

 何も、ほおずき市があるからってわけじゃない。何年か前に起きた人身事故で、女性の遺体の周りに沢山のほおずきが散っていたその様が、あまりにも鮮烈だったからだそうだ。

 しかも話によると、その女性は、自分の死んだ娘の名前を叫びながら、とりつかれたように線路に飛び降りたそうじゃないか。

 なあに、別にほおずきを持っていたからって事故に巻き込まれるなんてことは無いさ。

 ただ、きっとそのほおずきは、死者の姿を映す、特別な花だったんだろうね。