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#親権 を学ぶ ~離婚後の場合

川田教授からの学びを再開している。

非親権者の監視権を学ぶ前提として、そもそもの親権者の権利義務について確認した。そういう親権者の権利義務は、婚姻中は父母それぞれが有しつつ、共同行使する原則であるが、離婚後は果たしてどうなるか。

川田教授の本はこちら。


・・・父母が離婚した後も婚姻中と同様に共同親権の行使を認めることは、ことに日常の監護行為に関しては困難が伴う。そこで、父母の一方が単独親権者となり、他方は親権の行使を停止されることになる。しかし、ここで停止されるのは、前述の権利義務のうち、現実に子に対して親権を遂行すること自体に関する権利義務である。すなわち、非親権者とされた親は、子の監護・教育にあたる義務はないし、他方、直接子に対してその指示に従うよう求める権利もない。

単独親権制のの趣旨として、共同行使の原則が現実には不都合ということが挙げられている点を川田教授も前提とする。ただ、これは、通信技術の発展した現代において、そぐわないようにも思う。今は、電話、メール、ラインといったツールで、遠隔地でも意思確認が可能であり、共同行使する余地が、技術的にありうるのである。その論はおくとして、単独親権制において、非親権者の権利義務のうち停止されているのは何か、に踏み込んでいる点こそ、注視したい。面会交流や共同養育の概念のない時代の論稿であり、非親権者というのは完全に別居し、交流もないということだろうか。現に子と直接会うことがないので、直接の指示する権利も、監護・教育する義務はない、という。ただ、ここで、親権者の権利義務の二義性を検討していたことが活きてくる。

しかし親権の行使を停止せられた非親権者も、子に対して愛情を有するかぎり、これを子に対して注ぎ、また子もこれに浴しうることを法的に保証する必要がある・・・。それ故、親権行使につき子の権利の実現にかなうような内容を与える義務および何が子の権利実現に対応したものかを決定する権利は停止されないものと解すべき・・・。

このあとの論じ方が、「しかし」続きなので、都度、整理していく。

親権者の権利義務の二義性のもと、非親権者は、直接監護教育し、子に指示する権利義務は停止されているが、親権行使が子の権利の実現にかなうような内容を与える義務・権利は停止されず、潜在していると考えられるという。

しかしながら、右の権利義務は、実際の親権行使がある場合にはじめて現実のものとなるものであるから、子に直接向けられた親権行使が停止されている非親権者にとっては、義務の面はそのままでも、権利の面は、子との間での権利たる意味を事実上失うことになる。しかし、この権利行使も子の権利に対応する右の義務にうらづけられている以上、常に現時の親権行使の前提として働き、その意味で現時の親権の行使者すなわち単独親権者に対し向けられることになる。つまり今やこの権利は単独親権者に対する権利に変形して存続し、いわば親権者の親権行使に対する一種の監視権となるのである。

潜在している権利義務は、やはり、現実に機能するわけではなく、事実上権利は失われた状況にはなるが、実は、単独親権者の親権行使は子の権利に対応する義務があるため、そのように親権行使が全うしているかを監視する権利に変容していると分析しているのである。

非親権者の単独親権者に対する監視権である。

これは、民法の条文を素読することでも十分読み取れるが、これを、不用意に発信すると、とても訝しがられる経験を覚えているので、「見守り権」と呼ぶ方が受け入れやすいだろう。大切なのは、親権行使が、子の権利の実現に適しているのかをチェックするということだ。共同親権であれば、実はお互いに監視しあっている面もあり、それゆえ、ふたりの親権を行使するには共同しなければならない意味で、子の権利実現への適合がチェックされるし、暴走を抑止しうるのである。単独親権の場合、共同行使の原則による抑止が効かない分、監視権が子の権利の実現のために重要になる。

非親権者の監視権として具体的にはどのようなものがあるかについて、解説が続いている。

つづく

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