本当に病んでいるものは

木村先生の本を外来において、こういう時一貫堂ではどう考え、どう治療するのだろうということを考えている。これまであまり使う機会が少なかった通導散などを統合失調症に用いてみたりもしている。しかし現代の診療における「攻める」という意味は、例えば傷寒論の時代の汗吐下などとは明らかに違う。



あゆみ野クリニックには労働問題、労働環境で体調を崩している人がたくさん来る。主訴はだるい、やる気がない、朝起きられないなど「「気虚」のようだが、よくよく話を聞いていくと「夜勤が多すぎる」、「パワハラを受けている」などなど、明らかに具合が悪くなる「原因」が存在するわけだ。こういう人にいくら補う治療をしても無駄である。要するにその原因をどうにかしなければ、治療にならない。すなわち去邪しなければならないのだ。



明らかにその職場は全く環境改善などしないだろうと考えられる人は、とりあえず1、2ヶ月休職させ、傷病手当を貰いながら次の仕事を探させる。そうして「まともな労働環境」に移してあげれば、それで治ってしまう。薬なんか要らない。



しかしそこでつくづく思うのは、こういう患者さんをたくさん診ているが、本当に病んでいるのはこの人たちではなく、実は日本という社会だということだ。深夜勤務が辛いという人は多い。しかし例えば宅急便。なぜ生鮮食料品でもないものを、夜10時まで配達しなければならないのだろうか。コンビニ。歌舞伎町や国分町ならいざ知らず、なぜ住宅街のコンビニが深夜2時3時に営業していなければならないのだろうか。ショッピングモールのテナント。とあるテナントで働いている若い人は、夜遅くまで働くのが辛い。しかし聞いてみると、夜勤帯に来る客はせいぜい二人で、売り上げは2千円にも満たないそうだ。そうすると、その間の人件費、光熱費などを考えたら、明らかに経営としてそれは成り立っていない。経営者に夜勤帯の売り上げと経費を数字にして店長から報告させてみたらどうかと提案したが、「モールがその時間まで営業しろというから早く閉めるのは不可能だ」という。



こういう仕事って、実は社会にとっても必要ないし、経営的にも成り立ってない。それをなぜいつまでもあっちもこっちも続けるのだろうか。それで労働者が次々病んで辞めていく。原因は分かりきっているわけだ。しかしその原因を除去できない。こういう人々にいくら漢方薬を出そうが抗うつ剤やら安定剤やらを出そうが、どうにもならん。



みんな言われたら「それは変だ」と答えるのに、なぜ何一つ変わらないのだろうか。

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