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人生を「楽しむ」のをやめたら、なんかしっくりきた話。

こんにちは、キラです。

ノーコード&AIによるWEB制作とマーケを専門にし、それらを教えるスクールなども運営しています。生徒数5300名超えました!

今回は、「人生を楽しむ」ってなんか違うな、と思った話。

「人生を楽しむ」のをやめた

ある時から僕は「人生を楽しむ」のをやめました。


「人生を後悔なく楽しむ」。

昔から違和感があった言葉です。


言ってることはわかるし、そうできたら理想的だよねというのはわかります。

でも、しっくりこないんですよね。

どうやったって楽しくない時や我慢の時というのはあるし、僕は人生をしっかり後悔もしてこうと思っているので(これについてはまた別の文章で書きます)。

楽しくないことを「楽しいでぃす!!」と無理やり言ってるのはまるで躁鬱病みたいで不自然に感じるし、

「我が人生に一片の悔い無し!」はラオウかよと。

なんか、自分の人生のスタイルとは違うなと感じていました。

苦い薬は苦いまま、味わって飲む

で。

数年前に、ヤバい修羅場がありました。

頭を突然ぶん殴られたような衝撃。このときいくつかの判断ミスをしていたら、今こうやって悠長に発信なんてできていなかったかもしれません。


一応、最善の手は尽くして、あとは運に任せて待つしかない...という段階になったとき。

「これは、どう考えても楽しくはないな!」と思ったんですね笑

いよいよ「人生を楽しむ」というポリシーは自分には合ってないなと。


かわりに「この時間をとことん味わってやろう」と思いました。

例えるなら、苦い薬を「甘い甘い」と自分に言い聞かせてて飲むのではなく、苦さをごまかす飲み方をするのでもなく、その苦さをとことん味わってやろうと。

「こんな苦い薬飲んだことある奴、そうそういねえだろ」と考えて、その辛さを特別な体験として受けいれたわけです。

苦い薬を「苦い!すごく苦いよこれ!」と思いながら、せっかくなのでよく噛んで飲む笑。


その時から、僕の人生のポリシーのひとつは「今ここ、自分の人生を"生きる"」になりました。

躁病患者みたいに、無理やりポジティブな意味付けをしない。

まずはただ生きる。出来事は正面から受け入れる。


「楽しむ」と「生きる」というひとつの単語の違いなんですが、個人的にはかなりしっくりきています。

「自分の人生を」というのもポイントで、大切な判断をするときこそ、人とは比べない。

自分に与えられた人生を、自分だけの贅沢でスペシャルなものとして生きる。味わう。受け入れる。


そういう覚悟ができてから、どんなに楽しくないことも、苦い薬も「でもこれが俺だけの人生だもんな」とスッと受けいれられるようになり、

なんだか一つひとつの出来事が「そのままでいいんだ」と愛しくなり、逆に「楽しむ」こともできるようになった気がします。不思議なもんです。

「人生を楽しむ」という言葉が嫌い。修羅場を超えて「ただ生きる」ことにしたらしっくりきた話 まとめ

というわけで、「人生を楽しむ」のをやめて、ただ「自分の人生を生きる」ことにした、という話。

何が言いたいかというと、ひとつの単語の違いでしっくりくることがけっこうあるので、考えるのをやめないようにしたいな、という話でした。

それでは今日はこのへんで。

明日も、よい人生とよい旅を!


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