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暴力は形を変えて続く モトキカク「蘇る魚たち」

出演
田中健一朗
楠木健吾
山澤誠

脚本
石原燃

演出
本木香吏

7月15日までYouTubeで無料公開してくれている舞台作品。

ネタバレあり。

「父親からの性暴力」というヘビーなテーマではあるが、この舞台も芸術作品であるから作品論として言うなら、メタファー的な金魚やカッターの扱いの露骨さが気になったし、クライマックスと思えるクッションの投げ合いシーンも長く感じた。

コースケが最後カッターの刃をしまって家を出ていくのは「内に秘めた暴力性を露呈させてしまったけど、いまはいったん理性の鞘に収めよう」ってこと?

だとしたらあまりにもそのまんまの使い方だが……

メタファーって「ああ、これがメタファーなのね」って思われたら、あまりうまく作用してないように思うのだが。
作者の顔が覗いてしまう。

クッションの投げ合いも現実的ではなく、無理やり動きのあるシーンを作った感じ。

タイトルにもあるように魚(金魚)を巡る会話がストーリーの随所に差し込まれるが、これも三人の関係性をそのまま表しているようで直接的にすぎるというか……

といった「舞台作品」としての不満はあるのだが、親からの性暴力というテーマに関してはかなり深掘りしてある。

出演俳優は三人だけだが、性暴力を働いた父親やコースケの働く出版社の社長らが電話をかけてくるので、開かれた世界になっている。

性暴力は加害者と被害者だけの関係で終わらず、被害者がやっとの思いで打ち明けたのに笑われる暴力(コースケは社長に『父親相手でも勃つのか?』と言われる)、正義感ゆえに事実を強引に世間に晒そうとする暴力(コースケ→ノゾミ)、見て見ぬふりの加担の暴力(コースケの母親)など、さまざまな暴力が付随する。
その暴力の無限のバリエーションが提示されているのがよかった。

最後は希望を感じさせるが、それまでの三人の心の葛藤が尋常でないほど深いので、あらかじめ用意された希望には感じない。
カタルシスがある。

会話のやり取りが深いだけに、金魚やカッターやクッションといった動きのシーンの安易さが際立ってしまう印象。

膨大な量の台詞に感情を乗せて喋る俳優たちには脱帽。
特にコースケ役の田中健一朗とノゾミ役の楠木健吾。

楠木健吾のナイーブな感じがよかった。
田中健一朗の理性と感情のせめぎ合いで葛藤する人間像もよかった。
最初ノゾミが主役の話かと思って見ていたらコースケでしたね。
リオ役の山澤誠は性被害には遭ってない役柄で、他の二人との温度差、距離感の演じ方がよかった。

「演じ方」と書いたものの、三人とも舞台の上で役を生きていたのが素晴らしかった。

安易なメタファーを感じさせない戯曲だったらおそらくもっと感動したはず。
最後にコースケがカッターの刃をしまうシーンで、それが彼の心理とシンクロしてることを察して感動が増す観客が多いと脚本家は考えたのだろうか?
私は逆に白けるだけだと思うのだが……

劇の構造に目を向けさせる脚本が三人の心に向かっていれば、もっと優れた作品になったと思えてならない。

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