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まるでこの世の終わりのような鐘の音 高関健のマーラー7番

ノーノ:『2)進むべき道はない、だが進まねばならない…アンドレ・タルコフスキー』 7つのグループのための
[サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ No. 8委嘱作品(1987年11月28日世界初演 指揮:高関健、東京都交響楽団)]

マーラー:交響曲第7番 ホ短調「夜の歌」

指揮:高関健
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

高関健を聴くのは3回目。シティフィルとの「わが祖国」、マーラー9番に続いて。

演奏開始前に手短なプレトーク。

○第7番は音の長さに関する指示が不明瞭だが、マーラーのアシスタントを務めたメンゲルベルクがオケへの指示を逐一メモしていたのでそれも参考にする。
○スコアの校訂者に連絡したら「私は楽譜を校訂するのが仕事だからあなたは好きにやっていい」と言われたので、自作の楽譜を作りました(高関さんらしいエピソード🤣)
○ノーノは突然大きな音がするので覚悟してほしい笑 
○曲(ノーノ)の性質上、スマホや時計のアラームをいま一度確認してほしい。
など。

ノーノは1/3くらいの長さでもよかったと思うくらいの冗長感があった😅(現代音楽も嫌いではないけど…)
能楽や邦楽器を感じさせる響きもあったが、それなら武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」の方が上だろう。
面白かったのは完全な無音が再三登場し、そのたびに聴衆が耳を澄ましたこと。
客席は7割程度だったが、それだけの人間が息を呑んで耳を澄ますだけで聴こえない音が聴こえてくるような気になる。
聴衆の耳と心をチューニングする効果はあったと思うが、いかんせん似た音型の繰り返しで長すぎた😅

マーラーの7番。
ホルンのトップは9番でも吹いてた谷あかねさん。安定感がある。
管楽器が安定していると聴きやすい。怖々吹かれるのが一番困る。間違ってもいいから思いきり吹いてほしい。
その点、高関さんの指揮は奏者に過度なプレッシャーを与えずに、心地いい緊張感を与えていた。
オケがのびのび演奏しているように見えた。

7番は「分裂している」とも言われる晦渋さがある。
先日クレンペラー盤を聴いたときはそこまで難解に感じなかったが(カットしてるのか?😅)、今日はやたらと複雑な数式のように感じた。
クラシックコンサートに結構行ってきた身だけど、濃密な音の集合体にぐったりしそうになる。
支離滅裂な話を延々聞かされてる感じ。エルガーの交響曲が冗長と言って食わず嫌いする人がいるが、この曲に比べればはるかに聴きやすい(第2番でも)。

マーラーの他の交響曲に比べてメリハリがなく感じるのが人気薄の原因だろうが、マーラーファンからすれば「これぞマーラー」なのだろう。私も断然ブルックナーよりマーラー派だが、7番の複雑さには困惑した。
「一般的な人気や知名度は劣るがファンにはたまらない」という意味では村上春樹における『羊をめぐる冒険』か?😅
それで言うと、『風の歌を聴け』が「巨人」、『ノルウェイの森』が5番、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が「悲劇的」、『ねじまき鳥クロニクル』が9番かも(特に根拠はないけどね🤣)

今回も“溜池の定席”P席で聴いたが、見慣れた景色を見ながらここで聴いたマケラやPMF、都響のコープランド、カーチュン・ウォンのマラ5、マリナー/N響のブラ4などを思い返していた。
マケラの指揮がゲームをプレイしてるように見えたと以前書いたが、高関さんの指揮姿からは作曲家との対話が聞こえる。
たぶん高関さんって無人島にスコアだけ持っていって全然退屈しない人だと思う🤣
「グーニーズ」の宝の地図と同じで、作曲家の意図を読み取るのが楽しくて仕方ないのだろう。
高関さんにとってのアナリーゼは「そうしなければならない」ものではなく「好きでやってる」ものだと思う。だから学問臭や理屈っぽさがない。ディスクユニオンでお宝を探して血眼になっているおじさんに通じる「少年の心」が高関さんの中にもあるのだ。

P席で見てると指揮者の意図がよくわかって面白い。
ところどころ指揮棒を左手に持ち替えて素手で指揮していた(広上淳一もよくやるらしいがバーンスタインには「効果的だがあんまりやりすぎるな。鼻につくから」と言われたらしい🤣)
第2楽章だったか複雑な箇所でティンパニ(トロンボーン?)が入る場所を間違えたのか、高関さんが指を「2、1、」って感じでわかりやすく見せていた。で、適切な音が出たようでグーサインしていた。
楽章の合間にも団員に目配せして軽く頷くなど、オケを安心させるのがうまい。団員ものびのび音を出せるだろう。

カラヤンに「指揮者で大事なのは正しく振ること。奏者をしっかり見ること。音をよく聴くこと」の3つを厳しく指導されたらしい。
そのせいか、高関さんはいつもオケをよく見ている。
複雑な声部だが音が塊にならず、音のパレットがきれいに聴こえた。

プレーヤーで言えば、ホルンの谷さんとコンマスの長身の男性が素晴らしかった。
戸澤さんでも荒井さんでもなかったが、誰だったのだろう?🤔

終結部の鐘や銅鑼やカウベルがかまびすしく鳴り響くさまは、まるでこの世の終わりに鳴り響く鐘のような世紀末的な美しさがあった。
よほど楽天的な人か現実を直視していない人でなければ、いまの日本の将来に明るい展望は持てないだろう。
東日本大地震と違って、コロナ禍での多数の死亡者は人災(政治の無為無策)によると言ってもいい。
真綿で首を絞められるように死に至らされる現状において、世界の終わりを想像するのは以前よりもたやすい。
新規感染者数ダントツで世界一なんて笑うしかない(日本政府の無能さを世界に露呈している)。
そんな絶望に傾きがちな毎日の中で、今日の7番は絶対的な美しさがあった。
平和への祈りを込めた曲ではないのだろうが、聴いていて平和の尊さを痛感していた。

終曲後の温かな拍手が私の抱いた悲劇的な感情を薄めた。
団員たちもお互いの顔を見合って笑顔で拍手していた(弓を機械的にブラブラするだけのコンサートもよくあるもんね😅)
宇野功芳がよく言っていた「アマチュア精神」のあるオーケストラだと思った(N響や都響はお仕事感が強い笑)。

ブラボーの垂れ幕を掲げたり心のこもった拍手を続ける聴衆を見ながら、その温かい拍手の音がまるでこの曲の第6楽章であるかのように私には聴こえた。

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