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名画が汚されるのを傍観する人たち 井上道義/NHK交響楽団の「バビ・ヤール」

NHKホールで、NHK交響楽団の第2004回定期公演Aプログラムを聴いた。

ヨハン・シュトラウスII世:ポルカ「クラップフェンの森で」作品336

ショスタコーヴィチ:舞台管弦楽のための組曲 第1番 -「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」

ショスタコーヴィチ:交響曲 第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」

指揮:井上道義
バス:アレクセイ・ティホミーロフ
男声合唱:オルフェイ・ドレンガル男声合唱団

今日の演奏は素晴らしかった。と同時に、図らずも音楽以外のことについても考えさせられる演奏会でもあった。

井上道義の思い出

井上道義を聴くのは25年ぶりくらい。この人も佐渡裕と同じで、クラオタ黎明期に聴いたままずっと聴かずにいた。

何を聴いたかというと、

新日本フィルとの「運命」、シェーンベルクの5つの管弦楽曲 作品16、ベルクのヴァイオリン協奏曲(ジョルジ・パウク)。

会場はオーチャードホールだったような。

もう一つは都響とのベートーヴェン「第九」(新宿文化センター)。

井上道義は当時、京都市交響楽団の音楽監督を退任したばかり。
趣向的なプログラミングで知られていた。それで興味を持ったのだった。

王道のベートーヴェンを軸に2回聴いたのだが、どちらも印象はよくなかった。
選んだ演奏会がよくなかった気もする😅

本当は去年9月のこちらで久しぶりに聴く予定だった。しかし、体調不良で断念🥲

私は小曽根真の弾くクラシックが大好きで、厚かましくもXで本人に「バッハを弾いて!」とリクエストしたこともある(「いつか弾きたいけど準備が大変で……」と丁寧な返信をいただきました😅)。

今までモーツァルト23、ラフマニノフ2、プロコフィエフ3と聴いてきた。
3月には念願のラヴェルを聴く予定。

その小曽根さんの十八番中の十八番がモーツァルトの「ジュノム」!  私の大好きな曲だ。

宮崎国際音楽祭でデュトワの棒で弾いた「ジュノム」が、CDも含めて私のベストかもしれない。

それだけに一日で「ジュノム」もショスタコの1番も聴ける垂涎プログラムに行けなくてほんとがっかり😂

さて、話を戻して……。

今日の感想

「クラップフェンの森で」はとても楽しかった😆

鳥笛を吹いていたのは神田さん?(訂正:竹島さんでした😂)。
吹くときに「カッ、、コー」と2つの音を空けて吹いていたのが面白く感じた。

井上さんがときどき左手をぐるぐる回して、巻きを入れると鳴き声も速くなるという演出。

この曲だけでもテンポの緩急による豊かな音楽表現を存分に味わえた。

竹島さんの鳥笛がのどかそのもので、鳥笛の場面に来ると音楽に人間味が増す。

最後、鳥笛を床に落としてガコン!とすごい音がしたが、それも演出だったのかしら😅

最近の井上さんはウィンナ・ワルツをよくプログラムに入れている。

私も「南国のバラ」は大好きだし(死ぬ間際に聴きたい曲かも😅)、ニューイヤー・コンサート以外でウィンナ・ワルツをやるのは面白いと思う。

ウィンナ・ワルツばかり連続で演奏すると「やっぱり本場のオケの方が……」みたいな感想になりがちだが、今日みたいな洒落た使い方ならウィーン情緒がどうのという話にはならない。

冒頭からオケがよく鳴っていた。井上道義、デッドで知られるNHKホールの鳴らし方を熟知している。
交響曲第8番のノセダのとき以上の相性のよさを感じた。

指揮は自由自在。古典的な指揮法は当然踏まえてるだろうが、そこから逸脱している。

広上淳一が東京音大で指揮を教えているが、井上さんは後進の指導をしたり弟子を取ったりしているのだろうか。

あまりに自在な指揮すぎて学生の勉強にならないかもしれないが、井上道義は「学んだことをあえて手放した先にある表現」をしていた。
これこそ、学生が学ぶべき指揮の極意ではないだろうか。

舞台管弦楽のための組曲第1番と「バビ・ヤール」で商業音楽と芸術音楽の両面からショスタコーヴィッチを堪能でき、あらためてその豊かな表現力が好きになった。

プログラムの「バビ・ヤール」の歌詞対訳は、ドストエフスキーの新訳でも知られる亀山郁夫。

この曲は歌詞が長いのでさすがに見ながら聴いてもいいかなとも思ったが、つい先日「演奏中にプログラムを触らないのがオタのマナー」とか余計なことを書いたばかりなので自粛した😅 

あんまり自分の首を絞めるようなことは書かない方がいいですね😅(開演前と休憩時間に全部目を通しておきました)。

バルシャイの全集で昔に一回聴いた程度の曲なので詳しい感想は書けないが、ショスタコーヴィッチ特有のおどろおどろしさ、冷え冷えとした空気感がよく出ていた。

途中でカスタネットが鳴らされる場面が出てくるが、誰が叩いてるのかさっぱりわからなかった(打楽器奏者にそれらしい動きの人はおらず……😅)。

オルフェイ・ドレンガル男声合唱団はスウェーデンの世界的合唱団。
発音が明瞭だからなのか、ロシアの合唱団にしか感じなかった。

バスのアレクセイ・ティホミーロフはムーティやクルレンツィスの指揮でもこの曲を歌ったらしい。
音楽と一体になったような歌いぶりだった(いかんせん聴き比べをしてないので浅い感想で申し訳ない😂)。

名画が汚されるのを傍観する人たち

今日のびっくりは、前半で1回(もっと?)、「バビ・ヤール」で4回も、飴のセロファン音が会場に響いたこと。

3階Cの後方に感じたが、同じ人だろう。周りはなぜ注意しない?

見るからにヤバそうな奴ならともかく、そうでないなら周りの人がやめさせるべきではないだろうか。

声を出さずに注意する方法はいくらでもある。
私は「睨みつける」のをしたことがあるが、相手を指差して「うるさいでしょ!」とばかりに激しく指を動かしてる人を見たこともある😅
肩をトントン叩いたりしてもいいよね。

そもそも前半で1回飴の音が大きく響いていたので、休憩中に係員に告げるなり自分で言うなりすれば後半の悲劇は防げたはず。

美しい音楽が目の前で汚され続けているのを周りの人は何も思わなかったのだろうか。

最近流行りの環境活動家が日本のクラシックコンサートに出没した話は聞かないが、ショスタコーヴィチの自画像にトマトスープがぶちまけられるのを傍観しているようだった。

他人にコミットしない、デタッチメントの文化が加速している日本。

舞台芸術は演者と観客の共同作業だと痛感した。
最近は音楽家が音楽に向き合う態度に釣り合わない客が増えてきたと感じる。

セロファン音が響く中で終わった「バビ・ヤール」は、まるで「現代」と題されたインスタレーションのようでもあった。

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