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「センスがあっていいなぁ」と言われても心から喜べないワケ

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今回はですね、“「センスがあっていいなぁ」と言われても心から喜べないワケ”というテーマでお話しさせていただきたいと思います。

わたしは、ありがたいことにというか、「センスがあっていいなぁ」っていうふうに、声をかけてもらうことが時々あって、それを心から喜べないっていう気持ちがあるんですよね。

それはなんでかっていうことを、具体的に色々例を交えてお伝えできたらなと思います。最後までお付き合いいただけますとうれしいです。

まず、そもそもセンスというものが存在するかについて、わたしはどう思うかっていうことをお伝えしたいなと思うんですけど、

持って生まれたセンスというものは、それぞれの人の特性というか、向き不向きと言われる部分は、ちっちゃい原石みたいな感じで、それぞれの人にあるんだろうなって、 そういうふうに思っています。

例えば、運動方面でのこれから輝ける原石というか、運動方面に強いような特性を持っている方が、その後に天才って呼ばれるような、世界のトップで活躍されているっていう方は、すごく多いんだろうなって、元々そういうふうなセンスがあるっていうのはあったと思うんですけど、

でもそのセンスだけでその位置に到達したとは多分誰も思っていないだろうし、今聴いてくださっているみなさんも、センスだけの力ではそんな位置までいけないっていうことは、なんとなくわかるかなと思うんですけど、

とんでもなくわたしたちが想像できないような練習の数とか、そういったものをこなした結果、その元々の原石と組み合わさって、そういうふうに活躍されているんだろうなって思うんですけど、

スポーツの世界って努力をしている姿とか、どんなふうな練習をしているのかっていうのが、スポーツにあんまり触れてこなかった人にも想像がしやすい分野というか、そんなふうにわたしは感じていて。

なので、目に見えないところでたくさん努力しているんだろうなっていうふうに、感じる人が多いからこそ、そういうスポーツの世界で活躍されている人に対して、 センスがあっていいなっていうワンフレーズだけを伝えることって、あんまりないかなと思うんですよね。

それに対して、わたしのようにイラストを描いていたりとか、あとは手を動かして小さい小物を作ったりとか、自分の想像とかを踏まえて、自分の手で何かを作っていくっていう人に対して、センスがあっていいなっていう言葉 をかけることは多いかなって、わたしの感覚としてはすごく感じていて、

わたしも油断すると出てきちゃいそうな言葉でもあるんですよ。

それはなんでだろうなってちょっと考えてみたんですけど、 スポーツの世界と今回比べてお話させていただくと、スポーツの世界に対して、ものを生み出すとか、絵を書いたりっていう世界に関しては、 どういうふうな過程を経て、そういうふうに今の地点にいるのかっていうのが、本当に人それぞれっていうのもありますし、

なかなか触れる機会もなかったら、特に想像がしにくい分野なのかなって。それも要因としてかなり大きいのかなっていうふうに思いました。

わたしの経験でいうと、わたしも好きでずっとイラストとか絵を描いて今に至るって、すごく短い文章で お伝えすると、そういうふうにはなるんですけど、

もちろん好きっていう気持ちはずっとあって、わたし自身もたぶん意識していない範囲で、いろんなものを自分から見たりとか、自分ならではの視点で物を見たりとか、雑誌を見る中でもレイアウトとかを見ながら読んだりとか、 ほんとにほんとにたくさんの物だったり絵を見たりとか、

そういうふうに触れて、インプットをしたりとか、 インプットの量だけじゃなくって、わたしなりの表現ってなんだろうって、基礎の練習ももちろんなんですけど、わたしだからこその部分って、どこなんだろうって、色々試行錯誤しながら、たくさんたくさん生み出したっていう期間もあったりとかして。

わたしの本当にちっちゃいときからの、いろんな経験とかいろんな生み出したものとか、そういうのを経てというか、もう本当に人生にくっついた部分も含めて、まるっと含めて今のわたしがいるなってすごく感じていて。

ここでは努力を知ってほしいっていうことを言いたいわけではなくって、わたし自身も努力と思ってしたことではないことが、結果的に結びついているっていうことも多いっていうのもあるんですけど、

センスの部分だけをいいなっていうふうに言われると、「うん?」ってちょっと引っかかる部分があるのは、その背景とかそのセンスが原石っていうふうに捉えるなら、その原石がは数%で、それにくっついた部分が、かなりすごい大きく関わっているっていう部分を、すごく自分の経験としても感じているし、

他の クリエイターの方の話を聞いたりとか、大学時代はわたしは芸大にいたので、いろんな人の話を聞く中でも、活躍されている方でも、「こんなふうな経験を経て、今に至るんだな」っていうふうに感じることがすごくあったので、

何かこう自分にとってこの人は活躍しているなとか、〇〇についてすごく上手だなっていうふうに思う人、 元々その人にあったちっちゃい原石であるセンスは本当に数%で、あとの90何パーセントは、その人の今までのインプット・ アウトプットの量だったり、人によってはすごい大きい挫折だったり、大きい悩みとかを乗り越えた結果が今のその人であって、

そこにはもう想像ができないような、たぶん本人も意識していないところもあると思うぐらいの、いろんな方面での時間のかけ方だったりとかをされているっていうのを、わたし自身の経験だったり、周りの人とか尊敬する人を見ていて、そういうふうに思うので、

「センスがあっていいな」っていう、そのワンフレーズだけを安易に使うっていうのは、あんまり受け取る側としてうれしくないなというのが本音であります。

「センスがあっていいな」って、つい口に出ちゃう理由というか、なんでその言葉が出るかっていうのには、わたしが今考えたのでは3つパターンがあるかなと思っていて、

まず1つ目が『シンプルにその人が生み出したものを褒めている』っ ていうパターンと、2つ目が『自分もそういうふうにできたら、生み出せたらいいなって、楽しいだろうな』って、『自分の人生にそういう風な要素が加わったら、もっと豊かになったかな』っていうふうな思いだったり、

あと3つ目は『わたしもセンスさえあれば、ちょっとできたかもしれない』みたいなそんな思い。そんな3パターンがあるのかななんて思いました。

1つ目と2つ目に関しては、そのまま思ってることを伝えてもらった方がうれしいなっていうふうに思います。

例えば、わたしのイラストだったら「イラストを見てこんなふうな気持ちになった」とか、「ここの点が具体的に好き」とか。「自分もちょっと、今よりもイラストが描けたら楽しいかなって思うから、ちょっと描いてみようかな」とか、 そんなふうな言葉に素直な思いで変えてもらうと、受け取る側はうれしいなっていうふうに思います。

3つ目の「わたしもセンスさえあればできたんじゃないかな」っていうパターンは、センスだけでここまで来たんじゃないんだけどなっていう思いが本音ではあります。 でも3つ目のパターンは、ちょっと少なめかもしれないですね。

でも、センスがないからっていうことで、自分で自分に壁を作ってしまっていることはかなり多いパターンかなと思うので、 そこにちょっとでもこうできたらいいなっていう思いがあるんだったら、自分の人生を豊かにするっていう意味で、小さな一歩を趣味として、もちろんそんなプロの粋を目指さなくて大丈夫なので、自分の楽しい一つとして一歩を踏み出してみてはどうかなと思いました。

以上、“「センスがあっていいなぁ」と言われても心から喜べないワケ”というテーマでお届けしました。

こはらなつでした〜!それではまた〜!

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