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「すべての悩みは対人関係の悩みである」を真剣に考えた話

「すべての悩みは対人関係の悩みである」
これは、オーストリアの心理学者のアルフレッド・アドラーの有名な言葉である。

とても軽い言葉の反応で恐縮だが
「ほんとそれ!」

振り返れば、
友人の何気ない一言で傷つき、そもそもの関係性を疑ってしまったり。
パートナーの察し無さから自分は愛されていないのではないかと自信を持てなかったり。
上司の雑な扱いに「人間として軽く見られているのでは」と勘ぐってしまったり。

いちいち落ち込み、「わたしって孤独なのかもしれない」とセンチメンタルな気分に浸る。

「すべての悩みは対人関係の悩みである」
「ほんとそれ!」

「ほんとそれ!」メーターがピークになったのは、新卒時代。
いわゆる「意識高い系」だったわたしは、「どうしたら自分のキャリアのプラスになるか」しか考えてなかった。だから、メリットがないと決めつけ、同期との交流を図ることに対して拒絶した。中途半端な交流をして悩みの種をつくりたくないと思ったからだ。損得感情をベースに人間関係を紡ぐ一方、わたしの心は寂しくなっていった。

そんなとき学芸員さんから「縄文時代」について教わる機会があった。
「縄文時代は争いがなかったらしい」や「輪廻転生の考えを持っていた」など、現代とのギャップに驚き、どんどんと縄文時代のミステリアスさにはまった。
湧き出てくる知的好奇心を抑えられないでいた。
その興奮を企画に変換し、わたしに縄文時代の魅力を教えてくれた学芸員さんへ提案。
「おもしろいですね、やってみましょう」
懐が深い学芸員さんが受け入れてくださって企画が実現した。

それからわたしの縄文活動が始まった。
「あれ、たのしい」
正直キャリアステップだけを考えれば、ビジネスセミナーへ参加するほうがいいだろう。
ただ、そのときのわたしは、意味や目的などを忘れた純粋に「楽しさ」を追及する少女だった。
気づけば周りに人間関係が築かれていて、身体中にあったトゲがなくなっていた。

「わたし人間関係を深めることが怖かっただけなのか」 「ほんとそれ!」メーターは、0の値になった。

人との出逢いで人生が大きく変わった縄文時代関係の人といえば、藤森栄一氏ではないだろうか。

👇藤森栄一氏とは

考古学者の藤森栄一(1911-1973)は諏訪市上諏訪の商家に生まれ、旧制諏訪中学校(現 諏訪清陵高校)の在学中すでに考古学についての論文を発表するなど、若くして頭角を現します。大学への進学は叶わず家業を手伝いながら独力で調査や論文執筆を続けますが、考古学への思いは断ち切れず、昭和8年には諏訪を離れ東京へ上京し、森本六爾(奈良県出身の弥生時代研究者)や東京考古学会で多くの研究者仲間を得て活動します。
 青年時代は東京考古学会での活動に、みち子との結婚、そして太平洋戦争への従軍と、激動のうちに34歳で終戦をむかえます。翌21年に復員すると諏訪に戻り、以降亡くなるまで諏訪を拠点としてさまざまに活躍

企画展「没後50年 考古学者 藤森栄一と諏訪の考古学」

苦労をしてきた藤森氏が森本六爾氏と運命的な出会いをし、藤森氏が生涯考古学者として歩むことになったのだ。

森本氏の講演を聴いたときの興奮を次のように語っている。

藤森が諸本の伝記として書いた『二粒の籾』には、このときの感激がこう書かれている。
「わたしは、そのききにくい話に、次第に引きこもれて、一段一段前の空席に移り、はては、セル張りの下駄を足脂でぬるぬるさせながらのりだしていた。」

『学習者の跡を追って-藤森栄一の場合-/椎名愼太郎』

夢中になって活動していれば、共感してくれる人が自然と周りに集まっていくるのではないか。
恐らく藤森氏は、最初に遺石に触れた感激を最も大切にし、自身も伝え続けている。
感激や感動に共感し合い紡いだ人間関係が一番強いものではないだろうか。

すべての悩みは対人関係の悩みであるけれど、
悩みを解決してくれるのも対人関係。

人と関係性を拒絶するなんてもったいない!!

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