見出し画像

渋谷の静謐な空白と鼠の話

渋谷には多分誰も知らない、ビルの裏側に囲まれた歪な隙間がある。設計リサーチでそこをみつけたのだけど、不思議なくらい静謐な空白で、宗教建築みたいに美しかった。

スペイン坂のビルの隙間

渋谷を敷地とした設計をしていて、スペイン坂のリサーチをしていたときのこと。ビルの裏側の構造が知りたかった僕は、人が注視しない隙間から裏側にまわろうとした。

渋谷スペイン坂の密集するビルの隙間には、体をよじれば通れるほどの幅がみつかることがある。その多くは塞がれているが、配管や換気扇、空調の室外機が所狭しと並んでいて残されたままになっているところもある。それは誰のための通路でもないが、身をよじれば通れないこともない。

ビルの隙間の足元はたいてい歩きづらい。崩れたブロックと小さく茂った雑草と砂利。至るところに埃と煤で真っ黒になった配管がうねり、排気口から突然生臭い熱風に見舞われる。しゃがんだり、体を拗じらせたり、カバンを持ち替えながら奥に進む。

突然開けた場所にでる。スペイン坂は不定形にビルがたっているから、ビルの裏同士が向き合って三角形のような歪な隙間ができる。出会ったのはその空白。

喧騒はなく、陽が静かに射し込んでいる。タバコの吸い殻はなく、露わになった濃い土はなく、飲み差しのコーラもない。埃は静かに眠っている。

鼠が横たわって死んでいたのはそうした場所だった。

息を止めている鼠

鼠は突然に時が止まったような格好をしている。死んだふりみたいだった。だから突然動き出す気もした。仰向けで陽の方を向き、両手をあげておどけたいるような姿。

渋谷に鼠がいることは知っている。ハチ公前広場のあたりの花壇の中を右往左往していることも。走り抜けて行くのを見たことはある。息を止めているのは初めてだった。

死骸には思われなかった。ただ息を止めて、吸い込み方を忘れてしまったみたいだった。整ったさらさらの毛並み。光にキラキラする腹の白い毛。薄ピンクの両手。すべてが渋谷に似合わなかった。

あっと声に出して驚いてしまう。けれどそうすることが憚られるような雰囲気がある。僕はなるべく距離をとってそっと息を止めた鼠をまたぐ。

さらにその先に、ビルの一角のピロティがある。鉄骨のブレースが入っただけになっている半屋外空間。そこもまた空白の一角で、街路には面していない。裏に囲まれている。誰かが入っている雰囲気もない。

多分それはビルの、かつての駐車スペースだったのではないかと思う。もしも目の前の真新しいビルがなければ、そのスペースはかろうじて坂に面している。昔は車で入っていたのかもしれない。いつの間にか駐車スペースは意味をなくし、ビルが立ち、半屋外は都市の誰も知らない空白になった。神殿みたいだった。もう奥へは行けない。

鼠がその手前で死んでいたなら、ここには何が死んでいるのだろう。鼠のせいで変な妄想を始めてしまう。猫もないし犬もいない。たぶんけものではないし人でもない。そこは渋谷でありながら渋谷ではなかった。異世界との接合点のような、もっと神的な何かがいるような神聖さを感じる。

駐車場から踵を返し、鼠の上を再度越える。熱風と配管にせめられる幅をくぐり抜け、スペイン坂に戻る。

大都会東京の、渋谷のど真ん中、薄汚れたビルが密集する場所。静謐な空白と鼠。変な体験だった。

都市の誰も知らない木霊のすみか

僕は頻繁にその鼠を思い出す。あのあとどうなったのだろう。肉が腐り、蝿がたかっているようにも思えない。静かに白骨になり、肉は解けて昇華して、やがて骨も細かく砕けて天に吸い込まれたような気がする。でも腐りかけた骸を見たくはないから、再度見に行く勇気はでない。いつも想像で止まる。でも鼠はあの静謐な空白で木霊に出会った気がする。都市には人知れず「木霊」が住み始めているのではないか。誰も知らない静かな空白でひっそりと。

あの隙間もいつかは叩き壊されるだろう。光は蹂躙され、埃は暴れるように舞い上がり、木霊は死ぬ。僕は渋谷の再開発を汚らしく思った。素敵なものを発見することが哀しかった。変な体験をしなければきっとそんなことには気が付かなかった。

都市の価値はいつも誰にも気づかれないままであるのかもしれない。価値は手を伸ばさないとわからない。その行く手には柵や法規や危険がある。だからほとんどの人はその先へ行こうとしない。そのことが人々を盲目にする。そして鼠を煙たがる。いわんや神には気が付かない。ああこれが都市の諸悪の根源だなとぼんやり思った。

サポートは研究費に使わせていただきます。