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30. 村上春樹 ノルウェイの森 下 講談社

短歌をあまり好きになれない。穂村弘を知って短歌とはこういうものかと思ったときもあったが、短歌の盛り上がりで他でもたまに目にする度に、作者の着眼点や視点の発見の自慢にしか思えなくなり、短歌の向こうのドヤ顔が透けて見える気がして嫌気がさした。
それでも、吉田健一から繋がったドナルド・キーン「日本の文学」にあった、

月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

で始まる文章に惹かれ「奥の細道」を読み、そのなかの俳句自体は既に知っていることもありそれほどには惹かれなかったが、この紀行文の目的である歌枕を巡る旅という点や、古歌の句を引いた地の文に感心し、和歌自体に興味を持ち、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス「新古今和歌集」を手に取るに至った。この文庫シリーズはデザインに難があるが、「奥の細道」もいくつか読んでみたところこの文庫が一番読みやすく、「新古今和歌集」も全二千首のうち八十首程度しか乗っていないものの、関連する歌や、本歌取りの元となった歌の紹介も詳しく、より和歌に興味を持てる内容となっている。
ここまで興味がいったのは、やはり本歌取りという表現の仕方で、芭蕉を好ましく思ったのも同じだが、その時代の教養や楽しみ方に非常な共感を抱いたからだった。ドナルド・キーンも「日本の文学」のなかで、日本の詩において古い詩に少し違った意味や変化を与えることは、新しいものと同じかそれ以上に喜ばれたと書いているが、そういった楽しみ方は他で身に付いていたものだったので、強い親近感を覚えた。
それは音楽でのことで、まず思い浮かぶのは、渋谷系の音楽や、好きな小沢健二の音楽についてで、渋谷系はネタ元を探し出して喜ぶというほどのわかりにくさがあるが、ことフリッパーズ・ギターのファーストアルバムでのネオ・アコースティックからの影響や、小沢健二の挙げればきりのない明快な引用など、元はこの曲なのかという広がりに興奮を覚えたものだった。
同じように大瀧詠一さんでは、はっぴいえんど時代での鮮やかな流用や、ナイアガラ・ソニー時代のオールディーズやポップスからの取り込み、「幸せな結末」での「恋するカレン」のセルフオマージュというべき構造、そういったものに音楽の楽しみを教わった。
それで、それはもう他では味わえないものだと思っていたが、2018年から聴き始めたヒップホップというジャンルでの発見に話は行き着く。ヒップホップといってもまったく狭い範囲でしか聴いていなく、むしろ、5lackとPUNPEEという兄弟しか結局聴いていないくらいだが、この二人のサンプリングの上手さは他には知らない。それはPSG「愛してます」でのオリジナル・ラブ「I WISH」のサンプルや、北野武映画から生まれた曲、Zeebraの曲の有名な一節の借用、一度聴いただけではわからなかったNasの曲の転用など、かつて味わっていた感覚を思い出させるものだった。
また、名曲「Hot Cake」の一節、

あの日クールに履き込んだティンバーランドブーツも部屋には見当たらないな

あの日クールだったMCたちは今じゃどのクラブでも見当たらないな

という、時間はスローでも止まらない、と諸行無常の感を的確に表す有名な部分は、多くの人たちによって様々な形に置き換えられ、自身も後年、他の曲に取り入れるといったことを目にするにつれ、ますます聴く面白さが増していった。
冒頭に触れた短歌などでもそのような楽しみ方ができればいいのだけれど、和歌の時代の源氏物語や伊勢物語といった共通言語や、音楽の世界の誰もが知っている曲というものが現在の文芸にはないため、なかなか難しいのだろう。それでも「ノルウェイの森」など大抵の人は読んでいるような本の、例えば下巻のラストシーンから和歌で言う物語取りをしてみるとこうなる。

秋の暮世界の庭に降り注ぐ雨よ緑をまた芽吹かせよ

こじつけのようなこの「ノルウェイの森」下巻はブックオフで買った二刷で、カバーの色が濃くなるにつれ版数が若くなっていき、版を重ねた薄い色のカバーと並ぶと黒く思えるくらいで、探す楽しみがある。精興社書体がこの本に気品を与えていて、岩波文庫版の「奥の細道」でも感じたことだが、DTP以前の本はそのときの印刷で読みたい。古典作品も自分に合う版を見つけられれば良いと思う。

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