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31. ジョン•アップダイク 同じ一つのドア 新潮文庫

息子が五歳くらいの時に幼稚園に迎えに行った際、ふざけて騒ぎながらダジャレを連発していて、その幼稚園をまとめる先生がわりと厳しい人で、言ったダジャレに対してそれは面白いのかと聞いている場面に出会ったことがある。そう言いたくなる気持ちも分からなくはないが、ダジャレという言葉遊びに面白さを求めるのは少し違うのではないかと感じたため、その光景が記憶に残っている。
それを思い出したのは、新潮社のドナルド・キーン著作集の一巻と二巻を図書館で借り、第一巻「日本の文学」のなかで、韻を踏まない日本の詩において、韻を踏んだ詩をつくろうとした一例を挙げていて、その詩をつまらないと一蹴するのを読んだからだった。例に出ていた詩そのものには特に感じるものはなかったが、韻を踏もうとすること自体への拒否感はなく、それは日本語でのラップが存在する今だからこその受容なのだろうと思った。
言葉遊びや韻というものは、それ自体が笑いや感動を呼ぶものではなく、その技巧性に対して感心したりするものだろう。日本語圏以外では韻を踏むことが詩の良し悪しに直結しているのかどうかは自分では実感できないが、吉田健一の詩の楽しみ方のように、その詩を暗唱して文章自体を味わうという意味ではそうかも知れないと思える。そういった押韻して文章にリズムを出すことが日本の詩では成立し得なかったなか、ヒップホップという一種のポエトリーリーディングが輸入され、日本語ラップという形で根付いたことはとても興味深い。それでも本当にそれまでの日本の詩には韻を踏むことがなかったのかというと、和歌を読んでいくうちにそうではないと思い至った。
それは和歌における掛詞で、たしかに同じ響きの言葉を重ねるという韻の踏み方はしていないが、同音意義の言葉を置きどちらの意味でも読み取れるようにする、いわゆるダブルミーニング的な言葉の扱いは立派な韻だと感じた。
ではその掛詞を味わうときにもやはり感動ではなく技巧性しか感じないかというと、それは日本語ラップの好きな曲の好きな一節と同じように、巧さに感心しつつ心からいいなと思えるものも見つけられる。例えば小野小町の有名な一首、

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに

このなかの「ながめ」は好きな掛詞で、物思いにふけるという意味での眺めと、長雨という言葉が、音だけではなく印象さえ似ていて、心情を二重にあらわし、時の移ろいに何もすることができない様子を感じられる。
また、新古今和歌集でいうと、後鳥羽院と宮内卿の、

思ひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに

聞くやいかに上の空なる風だにも松に音するならひありとは

など、一首のなかでいくつも掛詞が使われ、それでもその仕掛け自体が良さとなっている、技巧的なだけではない作品には非常な感心を覚える。
ただやはり和歌でも日本語のラップでも技巧とは関係ない、掛詞も韻もないようなものが心にすっと入ってくることがあって、

月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして

今からでも間に合う 宇宙を眺めてみる 星と交わる

という、伊勢物語のなかで在原業平が詠んだ一首や、5lackのyesという曲のなかの一節は、よくそんなフレーズが生まれるものだと思うものだ。

思い返してみると、今までの好みにもそういったことはあるような気がして、技巧的というか巧さがあるような文章が好きで、それでも作者の世界の捉え方が自分に合うものでないと好きにはならない。そのバランスという意味で、サリンジャーやヘミングウェイ、片岡義男、村上春樹をはじめとした作家が好きなのだろう。
それが少し技巧的に寄りすぎているのがニューヨーカー派の作家で、自分にとっては巧さは感じるものの何が言いたいのか読み取れないことが多い。そのなかでも主要な著作は持っており未だに手放せないのがアップダイクで、たまに手に取り読み返してみるが、やはりよくわからない印象のまま閉じてしまう。それでもなぜ気になる作家かというと、やはり確固たる世界の捉え方が文章の裏側にあるからで、例えば「歯科医と疑惑」のこういった文章にふいに心を掴まれる。

歯を削っているのは、はるか彼方のことのように思えたし、その痛みは、星の爆発とか、インドで象が死んだくらいのものだった。さもなければ、すぐ隣の部屋で子供が鞭でたたかれているような感じだ、とバートンは思った。

この短編はオックスフォードの大学院に通うアメリカ人が歯医者を訪れた場面を描いていて、短編自体は何が言いたいのだろうというものだが、こういった文章があらわれ、心を捉えられ、何となくこの短編やアップダイクという作家がわかったような気になるのだった。
そうやって、形式はどうあれ、どういうものが巧いのかを縦に横に読んでいくなかで自分なりにわかろうとしつつも、そのなかから心にまっすぐに入ってくるものを探そうとしているのだろう。

#本  #古本 #ジョンアップダイク #ドナルドキーン #5lack #和歌

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