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思考が物質を創る

 形而上世界と物質世界の法則は一致する。そのように私は思う。
 例えば人生という形而上の概念は道という物質を用いてその一般法則を語ることができるし、それらの法則は微に入り細に入り一致している。多く先達の踏んだ道は慣らされて歩きやすい。視野を広く持てば行く先の可能性は広がり、足元を見つめれば己自身の在り方を知ることができる。
 これらの事象から、形而上世界と物質世界の法則は一致している。そのように君も思うだろう。

 では、君に問う、そして自分自身に問う。
それら法則の一致は、万人の思想・万人の物質世界に当てはまるか?
いや。観念から世界が生まれ、世界から観念が生まれるのだ。すなわち相互に世界の法則を織りなすタペストリーのようなものだ。

 創造すればいい。思考を。魂を。物質世界の制約から解き放つべく――
近代芸術の試みとは、まさにその物質世界からの解放だろう。
さもなくば、芸術の歴史において写実以上の写実はなく、叙情以上の叙情はない。
 印象派の画家たちは写実を超えて二次元のキャンバスに四次元を顕わし、
キュビズムの画家たちは観察者の視点をも超えて五次元以上の物質世界を体現してみせた。ピカソの思想は新たな物質世界を生み出し、それは鑑賞者の思想へと還元された。

 また一方で、三次元世界に生きているにもかかわらず、その物質世界を理解せず自らが作り出した低次元の物質世界に溺れる者もいる。まさに透明の水槽に突進して死ぬマンボウである。概念は物質世界をも作りえるのだろうか。
 5メートル先に餌があり、その手前には壁がある。餌の方向に走ることが餌に近づくための絶対的手段であるという思想がインプットされているために、壁を回り込んでその先に行くという概念を持たない、動物。壁を回り込もうとする瞬間は、餌から遠ざかるという行為だからだ。
 今世界で人間が抱える環境、貧困、戦争、経済の諸問題を解き明かすための知恵はどこにあるのか。

 視覚にも、概念にも、言葉にも、音にも制約されない手付かずの感覚を掴むことだ。一番大事なことは言葉では表現できない。この世界は、複雑な折り紙に似ている。裏を見ているようでそれは表の続きなのだろう。その裏を見なければ――
鼻歌でオーガズムを体感するように、童心で神の挫折を覗くように
あたらしい概念世界とあたらしい物質世界へと。

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