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『TÁR/ター』:「アーティストなら人をクズ扱いしても許されるのか」への解

『TÁR』(2022年)★★★☆。
公開:2022年11月17日(北米)
IMDB | RottenTomatoes | Wikipedia

リディア・ター(ケイト・ブランシェット)はソシオパスだ。業界のトップで活躍しながら、周囲への心理的虐待と性的搾取に勤しむ、架空のアーティスト。近年よく見られるようになった、権威を嵩にかけた抑圧と転落の一部始終が、彼女を中心にして展開する。

トッド・フィールド(『イン・ザ・ベッドルーム』『リトル・チルドレン』が脚本と監督を手掛けた本作は、ブランシェットが輝くのに格好の舞台になった。公開された2022年の各映画賞で、作品ともども絶賛。

映画としては若干長さを感じる要素もあるが(冒頭3シーンを終えた時点で25分が経過していた)、各シーンで重要なニュアンスが充分に伝わってくる。効果的。

指揮者として大成し、それこそ「レナード・バーンスタインに師事」した彼女は「ベルリンで主任指揮者に就任」。のみならず「エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、そしてトニー賞(通称EGOT)をも制覇」したアーティストだ。輝かしい功績で名を轟かせる女性であるということを、冒頭10分ほどもあるインタビューで紹介する手口は丁寧で、かつスムーズ。

誰もが羨む経歴に憧れて、熱烈な視線を向けるファン。少しでも学びを得ようとする同僚。彼女を優秀な弟子として一目置き、ランチで語らうお師匠。そして、それらを少し飽き飽きとした表情で見つめるアシスタント。彼女の人間像を上下左右からつぶさに描いていく運びは見事。

そんな中、脚本が裏打ちするのは、リディア・ターの上昇志向と、性的嗜好と、芸術の追求に貪欲な姿だ。

当人が同性愛者であることを常に引き合いに出しながら、自身の大成は「性的差別とは無縁だった」と言うター。特別講師として招かれたジュリアードの講義では、同じLGBTQ+の若い学生に「作品と作家は切り離せ」と主張する。それも執拗に、至らない学生への侮蔑を忍ばせて。

自分の実力を「性別」や「生まれ」の色眼鏡で曇らせたくない。才能あるアーティストとしての彼女の言い分はよくわかる。だが。

「お前はクソビッチだ(意訳)」ー。

席を立った若い学生が言い残したその捨てゼリフこそ、実力や肩書きを切り離した、ターの人としての本質を言いあらわしている。「作品と作家は切り離せ」というターも正しい。が、それらを切り離したあとの「人」を、極端に軽んじるターの自尊心は歪んでいる。これは隠せない。

だからこそ、ターは作家として大成した。そして、それゆえに転落する。

「儲かるなら手段は問わないビジネスマン」
「多少の汚職も大義のもとに退ける大政治家」
「人間性に問題のある芸術家」。

「偉業を成し遂げるには多少の犠牲はつきものだ」という信条を、みな鵜呑みにしがちだ。人は肩書きに騙されやすく、偉い人なら人としても成熟していると勘違いする。白と黒では割り切れないのが人なのに、「人となり」や「人としての本質」を軽んじる人が多い。

だが人を軽んじた先に待っているのは、逆に見離される不幸。

だから「アーティストなら人をクズ扱いしてもいいのか」と聞かれたら、答えはノーだ。ターはその洗礼を浴びることになる。

しかし、そんなターにも救いが与えられる。笑ってしまうほど皮肉だが、3幕目でそれを見させてあげるだけでも、トッド・フィールドは優しい。THRのゲストコラム(ネタバレ)の指摘通り、その結末を救いだと見るのが正しいと感じる。

仕事や芸術面での成功と、人として大成することは二者択一でない。

『ター』はそう言っている映画だ。

(鑑賞日:2024年1月6日 @Amazon Prime)

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