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『落下の解剖学』幾重に重なるテーマ性、高い技術力と表現力

『Anatomy of a Fall』(2023年)★★★☆。

法廷ドラマ、というより法廷ミステリーか。ジュスティーヌ・トリエ監督(『愛欲のセラピー』『ヴィクトリア』)が脚本も共著したオリジナル作品として、ヨーロッパの各賞を席巻している。

フランス南東部はグルノーブルで人里離れて暮らす3人家族。夫・サミュエル(サミュエル・タイス)の転落死に他殺の疑いがかかり、容疑者として起訴されることになる、妻で小説家のサンドラ(サンドラ・ヒュラー)。

その嫌疑が、果たして正しいか否か。そもそも、真実とは無縁の判決が下るのか否か。このふた軸のサスペンスが、物語を牽引していく。

脚本、演出、絵作り、パフォーマンス。どれも出色。捜査モノ、法廷モノとして単調になりがちな画面に、常に工夫の跡を見る。どの瞬間に誰の顔を見たいのか、意図がはっきりしている演出。それを実現する技術力。

個人的なお気に入りは終盤近く、息子のダニエルが弁護側と検察側の両方に詰められるワンショットで、左右に分かれた質問者への受け答えをするたびにスライダー(かドリー)でカメラがダニエルだけを追うアップだった。地味だが光るマネーショットが散りばめられていて、絵作りにキャラクターがある。

視点と仕掛け

物語の視点は常に第三者から。観客がはじめに置かれるのはサンドラの隣だが、映画は彼女を手放しでは信用させない。公判の進展にともなって、都合の悪い事実がいくつも明らかになるからだ。こうして、鑑賞者は「自殺か他殺か」と「有罪か無罪か」の間を行き来する。サンドラと、その周囲の人間関係を品定めすることになるのだ。

つまり「他殺で有罪」「自殺だけど有罪」「自殺で無罪」「他殺なのに無罪」。物語が進展するにつれ、視聴者が落ち着きたいと思うであろう結論を、常に揺さぶってくるのが作品のハイライト。

鑑賞者は試されているわけだ。

鑑賞者の良識と、信じたい結論への想いの強さを。

プロット上のハードルも、その仕掛けにことごとく紐づいている。

冒頭のシーンではサンドラのことがあまり好きになれないのも、死んでからでしかサミュエルの生きていた頃の姿を見せてくれないのも。弁護人となるヴィンセント(スワン・アルロー)が、サンドラのことが好きだった幼馴染みだということも。

視覚障害を持つ息子のダニエルにも、ふらついた迷いがある。そこを執拗に突いてくる検事が、いちいち人格否定に走るのにも、揺さぶられる。

多国籍/多言語性

何より、最大の特徴でありハードルは「多国籍性」だ。ドイツ人でフランス在住のサンドラと、フランス人のサミュエルの共通言語は英語。フランス語が不得手な妻と、英語が不得手な夫。そしてフランス語ネイティブの息子。フランス語での答弁に立たされる妻と、英語を受け付けないフランスの裁判制度。言葉ひとつであっという間に悪意のバイアスがかかる様子も見せつけられる。

かけ違えたボタンをひとつずつ見せつけて、終盤にどうかけ直していくか。物事を正しく判断するには不都合なハードルが、この公判の一部始終にとことん詰め込まれている。

収束していくテーマは、作り手が鑑賞者に試していること、それそのものだ。すなわち「わからないときは、信じられることを信じるしかない」ということ。現代においては少し危うい結論付けだが、良識とバランスを持ってできることであれば、それは正しい。

なお、米国以外の裁判制度の特徴を知るのにも新鮮な一本ではある。今年のカンヌでパルムドールを受賞し、アカデミー賞でも各賞にノミネートされているのも納得。

誰に言われるまでもなく、必見のドラマ作品だ。

(鑑賞日:2024年2月23日 @TOHOシネマズすすきの)

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