見出し画像

省エネ主義と淡い願望とのせめぎあい〜『氷菓』の主人公・折木奉太郎という青年についての考察。

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」

著者・米澤穂信が描く『氷菓』の主人公・折木奉太郎(おれきほうたろう)が物語冒頭で放つ言葉だ。

この言葉から導き出されるポイントは、省エネ主義である。

物語の中において、彼の行動指針のほとんどが、この主義に集約されていると言っても過言ではない。

『氷菓』という作品は、ウリの部分は、日常系推理物語である。

主人公が、高校で成り行きで入った部活をきっかけに、日常で起こる不可解な謎を同級生たちと解き明かしていく物語。ほろ苦い学園青春物語でもある。

決して、名探偵コナンのように、毎回人が殺される事件は起きない。

ドラマのテーマは、キャラクターを描くという部分において、主人公・折木奉太郎の生き方(自身の持つ主義と目の前に起きる出来事と、どう向き合うか)である(と、ぼくは思っている)。


主人公・折木奉太郎という青年の主義主張と淡い願望。

折木奉太郎は、神山高校に通う高校1年生の男子。

同級生で、中学校からの友人の福部里志(ふくべさとし)との放課後の会話で、折木は、こんなことを言っている。

高校生活といえば薔薇色、薔薇色といえば高校生活、と形容の呼応関係は成立している。西暦2000年現在では未だ果たされていないが、広辞苑に載る日も遠くはあるまい。
しかしそれは、全ての高校生が薔薇色を望むということを意味しているわけではない。例えば、勉学にもスポーツにも色恋沙汰にも、とにかくあらゆる活力に興味を示さず灰色を好む人間というのもいるし、それは俺の知る範囲でさえ少なくない。けど、それって随分寂しい生き方だよな。

『氷菓』(角川文庫)7P   出版:KADOKAWA

ここまでを読んで、折木奉太郎という人物は、友達にいたら少し付き合いづらい人間と思う人もいるかもしれない。

実際、自分の周りに、こういう発言をする同級生が現れたら、しかも自分が青春謳歌している真っ最中の人間なら、第一印象そんなよくない感じだろう(人によるかもしれないが)。

こんな達観した発言をする、大人びた高校生が実際いるかはわからない。

少なくとも、ぼく自身の高校時代、こんな高校生はクラスメイトにいなかった(出会わなかっただけかもしれないが)。

省エネ主義で、人付き合いは一見淡白で根暗な印象。友人はそんなに多くはないが、いじめられているわけでもない。

どちらかと言うと、マイペースで、ひとりを好み、近寄り難い雰囲気、冷たい人間と誤解されているところが彼にはある。

でも、彼はどこか、自分とは違う生き方、ここでいう、青春謳歌しているクラスメイトたちにどこか憧れを持っているようにもとれる。

「それって随分寂しい生き方だよな」と、自虐的な言い方をしているところからそう感じとれる。

ここまでで、彼が今までどういう生き方をしてきたか(省エネ主義、灰色を好む人間)、一方どんな淡い願望を今持っているか(薔薇色の人生を送ってみたいのかもしれない)がうかがえる。

主人公は、これから物語の中で、一見彼のこだわりとも言える省エネ主義と、一見省エネ主義とは水と油とも言えそうな淡い願望(灰色生活ではない生き方への憧れ)と、どう向き合い、彼なりの生き方を考えていくのだろうと、読者に想像させる。

主人公を動かす大きな存在、折木供恵。

彼の省エネ生活が脅かされる出来事が起こる。神山高校の卒業生であり、長い海外旅行に出かけている、彼の姉・折木供恵(おれきともえ)から送られてきた手紙の一言であった。

無事高校生になったあんたに、姉として一つアドバイスをしてあげる。
古典部に入りなさい。
古典部は、神高の伝統ある文化系部活よ。そして、あんたが知っているかどうかは知らないけど、わたしの所属していた部でもある。
(途中省略)
奉太郎、姉の青春の場、古典部を守りなさい。とりあえず、名前を置いておくだけでいいから。
それに、そんなに悪い部活でもないわ。なんといっても秋がいい。
どうせ、やりたいことなんかないんでしょう?

『氷菓』(角川文庫)6P   出版:KADOKAWA

彼は、昔から姉には逆らえないところがある。文武両道のハイパー女子大生。

彼女の逆鱗にはできれば触れたくはないのもあるが、彼の姉が指摘している、やりたいことなんかない、というのも間違ってはいない。断る理由がない。

成り行きだが、古典部に入ることを、彼は決める。

省エネ主義と言いつつも、抗えない相手や筋が通った、つまり、やらなければいけない状況や理由が本人にあれば、彼は受動的に動く真面目な人間である。話が通じない人間ということではなさそうだ。

そして、古典部にこれから入部することで、彼の省エネ主義はさらにかき乱されていく(ハードルが設定される)。

彼の省エネ主義とセットの灰色学園生活になるはずだった物語が、違う方向に動き出す。

主人公の持つ力、洞察力と真相を導き出す力。

古典部に入ってからの彼の行動を追っていくと、繊細で周りをよく観察している(どちらかと言うと洞察している)、思慮深い、真面目で優しい人間部分が垣間見えてくる。

その根拠として、彼の元々持っている能力であろう洞察力から感じ取った、他人が気付きにくい、人の感情の機微について先回りして気にしてあげられるところがあるからだ。

一方、気づいたことを、周りに公には知らせたりはせず、あくまでも信用できる相手や個人の中に伝えて、うまく物事が進むように動けるところもある。

察する力、相手に配慮する力だ(たまに、気が回らないこともあるにはあるが)。

だが、周りは彼のそういった気使いある行動には、なかなか気づかない。知っているのは、読者と彼に理解を示している親しい友人と彼の姉だけだ。

彼らは、奉太郎と同様、感性が鋭く、よく人を見ている。だからこそ、彼のちょっとした感情の機微や表情・しぐさに、すぐに気づく。

作品が日常推理ものなので、いささか、そういう大人びた、かつ、洞察力に秀でたキャラクターが多いのだと思われる。

少なくとも、こんな高校生たちは、リアルにはなかなかいないだろう。

シャーロック・ホームズに例えるなら、主人公・折木奉太郎は、ホームズ役。

彼の中学からの友人、福部里志は、ワトスン役。

彼の中学からの同じクラスメイトで、そりが合わない女子高生、伊原摩耶花(いばらまやか)は、レストレード警部役。

そして、高校で初めて古典部で出会う同級生、千反田える(ちたんだえる)は、依頼人役。

主人公は、仲間との会話や目の前で起こっている状況を洞察し、仮説を立て、立証していく。

最後は、誰も辿り着けなかった真相へと周りを導いていく力は、ほんとうに高校生かと思うほど、鋭い力だ。物語のカタルシスに、ぼくらを導いてくれる。さすが、奉太郎と。

知識はあるけど結論は出せない友人の福部里志が嫉妬するほどだ。

依頼人役である千反田えるは、主人公の力にいち早く気づき、強引に巻き込む形で、彼の知らない(知らなかった)世界へと導いてくれる存在。

今まで、折木奉太郎が信条としてきた行動原理が、少しずつ変容していく。

主人公を変える大きな存在、千反田える。

ボーイミーツガール。

少女が少年を自分の知らない世界へ連れ出してくれる。

折木奉太郎は、千反田えるに出会う。

青春学園生活の中で、主人公・折木奉太郎は、千反田えるが学校生活で気になった不可解な出来事に対して、巻き込まれながらも、持ち前の洞察力と推理力で、謎を解き明かしていくことになる。

ある日、千反田えるは相談事(タイトルにもある古典部の文集『氷菓』にまつわる事件)を主人公に依頼する。

そして、真相を究明したことで、彼女の人生は救われる。事件が解決し、彼の置かれた立場は変わっていく。

以前よりも人に頼られるようになり、彼が憧れていたであろう、薔薇色の学園生活に一歩足を踏み出すことにもつながっていった。

だが、それは同時に、自分が信条としていた少エネ主義とぶつかることにもなる。ヒロイン・千反田えるの存在が、彼の少エネ主義にどんどん侵食していく。

抵抗しようにも、千反田えるの巻き込む力は強力だ。彼の長年培ってきた少エネ主義をものともせず、彼女は彼を振り回していく。彼女の強い好奇心とともに。

振り回されている奉太郎だが、嫌と言いながらも満更でもないようだ。

今まで、自分の知らなかった世界を知ることで、彼の今まで固まったスタイルに柔らかさが生まれはじめる。これを主人公の成長というのだろう。主人公に対して、一方的に敵意と偏見を向けてきていた伊原からも、だんだん信用されるようになる。

だが、省エネ主義が緩和されていっているとは言いつつも、事あるごとに、冷静になっては、少エネ主義を復活させようとする、なかなかブレない主人公。

なぜ、彼がそこまで少エネ主義にこだわるのかには、彼の過去に理由があった

彼は、本当に少エネ主義を望んでいるのか、それとも解放されたいと思っているのか、彼の過去を知った瞬間に、読者としては、悩ましい気持ちにさせられる(詳しくは、ネタバレになるので最新刊読んでみてください)。

仮に少エネ主義がどんどん緩和されていくことがあったとしても、奉太郎の中にその原型とも言える軌跡は残っていくと思われる。

なぜなら、少エネ主義で生きてきた人生も彼の中にはしっかりと刻まれているからだ。そして、その生き方を、本人は好んでいるようにも感じる。

省エネ主義は彼のアイデンティティだ。

少エネ主義を基本信条としながらも、彼は、親しい友人や家族と関わり合いながら、大人になっていくのだろうと想像する。

彼なりの薔薇色の人生と青春謳歌を、これから見つけられると、いいなぁと読者としては期待してしまう。

そして、折木奉太郎は、省エネ主義について、毎回どこかで自問自答しては、考え続けていくことになるのだろう。それに毎回悩む姿を読者としては見守りたいと思う。


ーー
最後まで、読んでいただきありがとうございます。

ぼくは、京都アニメーション制作のTVアニメ『氷菓』を観て、おもしろかったので、そのまま原作小説を読むようになりました。社会人になってからですが。

TVアニメ版と原作は、ほぼ同じ内容なので、大きな違和感はありませんでした。

TVアニメ版と原作で違うところがあるとしたら、原作の方が、少しドライな印象があったところです(詳しくは書きません)。

両方好きなのですが、どちらかと言うと、原作の方が好みかもしれません。

気になる方は、ぜひTVアニメ版、原作両方チェックしてみてください。

だんだん物語を読み進めていくうちに、ぼくは、この折木奉太郎という青年が好きになっていきました。

一見隠キャな主人公で印象はよくないところからのスタートでしたが、話数が進むにつれて、彼への好感度があがっていきました。この主人公は、いい奴だと。

本文に書いた真面目で優しい一面が垣間見えたところに付け加えるとしたら、それは、抱いた感情に素直で、礼儀正しい、そしてどこか純粋で潔癖なところです。

どことなく、ぼくの好きな文学作品『三四郎』(著:夏目漱石)の主人公・三四郎をイメージしました。

目の前の新鮮な出来事(初めて地方から上京した時に出会った人、建物など)に素直に反応して感動したりするところや、よく細かく観察したりするところ。素直に人を信用して騙されたり(特に女性)、直感的に相手を疑ったりするところは、青臭いところもあり、似ていると思いました。

人間くさいところから、彼の大事している感情や信念が感じられて、省エネ主義から感じる印象とは、また違うポジティブな印象を、ぼくにもたらしてくれました。

もし折木奉太郎が現実にいたら、友達の1人として、側に居てくれると、すごい心強い存在、信頼できる青年だと思いました。


最後に。TVアニメ版から入って原作を読むと、TVアニメのキャラの見た目と声が刷り込まれているので、映像をイメージしながら読むことができます。ライトの方には合ってるかもしれません。


サポートありがとうございます。カフェでよくnote書くことが多いので、コーヒー代に使わせてもらいますね。