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#18【マレーシア留学】「日本がマレーシアに残した戦跡」

今回は、マレーシアのローカルの学生の話を聞いて知ったマレーシアの意外と知られていない歴史について解き明かしていこうと思う。

1点注意がある。

これはローカル学生の話を基に構成していたり、自身の仮説を基に話している気づきがベースなので、十分にファクトチェックが出来ていないものが多い。もちろん虚言を伝えるわけにはいかないため、できるだけローカル学生の言ったことは個人的な解釈は入れず、そのまま伝えようと思うが、私もしくは、彼らがそもそも間違った解釈をしていたり、誇張を入れていたりする可能性は否定できない。人間というフィルターを通じた時点で、誰彼も事実を正確に伝えることはできないのだ。そのことだけはご注意いただきたい。

日本がマレーシアに残した戦跡

あまり知られていないが、第二次世界大戦の間、日本軍は3年間にわたり、マレーシアを植民地支配している。私もローカルの友人から話を聞くまではその事実を知らなかった。高校の頃、歴史の専攻でなかったからかも知れないが、記憶の限り、歴史という単元の中で、日本がマレーシアのみならず、東南アジアを軒並み植民地支配し、残虐な行為を繰り返していたことは、見たことも聞いたこともない。

以下はローカルの友人の証言と、少しだけこの歴史について調べたことを基に記してある。

日本軍の支配の領域はほとんどマレーシア全土であり、タイ付近から攻め込んだそうだ。マレー半島東北海岸のKota Bharu(コタバル)という地域で、現地の時間で1941年12月8日午前1時あたりとのことである。

Kota Bharuはマレーシアの北東部にある赤いピンが刺されたところ。
他の緑と黄色のピンは私の趣味であるため気にしないでほしい笑

日本による統治の前、イギリスの統治下にあったマレーシアはイギリスから要求される高い税金と、石油や鉱物などの資源の搾取に苛まれていた(マレーシアは非常に天然資源が豊富な国である)。

そこに、漬け込んだ日本軍は当初少数の軍隊で、「Asian for Asian(アジアはアジア人のために)」や「Asian Sprit(アジア人魂)」などのプロパガンダを掲げ、大衆を扇動し、マレーシアの国民から支持を得る形で、イギリス軍を撃退し、マレーシアを容易に占領することに果たす。

占領に成功すると、打って変わって全土に多数の日本兵がやってきて、資源や労働力の搾取はもちろんのこと、近隣の中国がマレーシアに攻め入ってきていたため、中国に関与している疑いの国民(とりわけ中華系)を軒並み差別、弾圧、殺害していった。

もちろん無差別で殺人することもあり、家に突如入っては、殺人を行うという非道な行為を繰り返していたようである。そのため、窓をすべて施錠し、家に誰もいないことを装う人も多かったそうだ。

イギリス統治時代は無差別に殺されることはなく、最低限人々は生活できていたため、人々は再びイギリスに助けを求めることとなった。
イギリス軍は要請を受け、日本軍が駐在する基地に爆弾を投下したことで、日本軍は致命的なダメージをおい、撤退を余儀なくされ、結局イギリスの統治に戻ることとなった。また、イギリス統治時代には少なかった、植民地側に対するマレーシア国内の対抗集団の勢力がイギリスのときに比べて、日本のときに圧倒的に大きかったことも日本軍の戦力を削った大きな要因であると考えられる。

これが日本軍がマレーシアに対してしたことであるそうだ。
日本の歴史の教科書では、ほとんど載っていないであろうが、日本は中国を落とせなかったため、マレーシアのみならず東南アジア諸国に攻め入り、無惨な行為を繰り返してきた歴史がある。

その国で学ぶ歴史はの教科書は編集され、美化されるきらいがある。本当の歴史を学びたければ、教科書を飛び出し、実際の戦跡を目の当たりにしたり、他の国で冷静に自国を見つめる必要もあるなと感じた。

写真はhttps://withnews.jp/article/f0190921000qq000000000000000W06s10101qq000019638Aより引用
コタバルにある戦争博物館の内部の写真である

なお、この日本軍の歴史は、マレーシア人であればほとんどの人が高等教育までには学習済みとのことであり、話してくれたローカルの学生は特に何かを参照するまでもなく、スラスラとこの史実を聞かせてくれた。

「支配した側で学ぶ歴史とされた側で学ぶ歴史は日本のそれとずいぶん違うんだな」と思うと同時に、あることが気になった。

マレーシアは親日国家として有名である。
日本の非道な過去の過ちを知ったうえでもなお、日本を好いてくれるのはなぜか?誰も恨みをもっていないのか?

当の友人に聞いたところ、「別に恨みを持ってる人は少ない。上の世代にはいるかもしれないけど、ほとんど見たこと無い。」とのこと。理由はわからないようだが、過去のことは過去のことと割り切っているからだろうなと直感的に察した。

ここからは、この理由について日本人の民族的に考察してみる。
現在日本からマレーシアに留学に来ている日本人留学生は、非常に柔軟な人が多い。あらゆる国・地域からマレーシアに留学来ているわけだが、ヨーロッパの学生や中国人と一部の韓国人は意外と自身のコミュニティの中で過ごし、自分の個性を重要視する人が多いが、日本人はできる限りマレーシアの文化に受容し、どんな人とも交流しようとする姿勢がある。

社交性の中に自身の居場所を見出そうとしているとも考えられる。

ちょっと話が逸れるが、以前私は、キリスト教の理念(主に博愛主義)に則り、運営されている児童養護施設にお伺いしたことがある。田舎にあり、食べ物もだいたいは自給自足されているここは、複雑な背景な子どもたちが集まっているが、自然が美しく、楽器やボードゲーム、勉強道具や本などあらゆるものが揃っており、子どもたちも笑顔が溢れ、のびのびと育っていた。

施設長が僕に残した印象的な言葉がある。
「ここは何年も続いて一貫しているキリスト教の教えを軸になりたっているから、子どもたちも迷わずしっかり軸をもって生きていれる。外にでて、大人と喋ってごらんなさいよ。言うことが首尾一貫しないし、軸も定まっていない。」

半分共感できたし、半分共感できなかった。
でも、なるほどなって思った。

宗教がないということは定める軸や従う教えがないということである。人々は悩み、考える。かすかな周囲からの評価を頼りに。自分がどう生きていくかを神ではなく、まわりの人間と自分に分散させる生き方は確かに楽ではないし、定まらない。

楽じゃないから、みんなよく考える。
楽したいから、みんなに合わせる。

たくさんの葛藤と決断を重ねていけば、そらあ、言うこともばらばらになる。

無宗教でない故に、軸を定めるのが、神ではなく自分自身になってしまったこと。それでは頼りないし、どうしようもなく不安だから、他人に合わせたりすることに勝手に適応した民族が、日本人なのかなと思ったりした。

それが、おそろしく柔軟な民族性につながる。彼らの軸はふにゃふにゃとしていて、相手や環境に合わせて、それを固めたり曲げたりできる粘土のようなものだなと思った。

だいぶ逸れたが、話を戻すと、その民族性がマレーシア人にとっては好感を持たれるようである。別に民族性に優劣をつけたいわけではない。たまたまそれが、マレーシア人に好感を持たれただけである。
その好感が連続して、今まで紡ぎ、繋がれたからこそ、日本人ひいては日本に対する好印象にリンクした可能性は十分ある。

「留学に来たら、日本人の代表という意識を持ちましょう。」

ここに来る前に、読んだ留学パンフレットに載っていた一言が、ふと脳内をよぎる。以前はうまく理解できなかったこの文言が、なんとなく腑に落ちたような気がする。


今回も読んでいただきありがとうございました!!
次回も、ローカル学生から聞いた知られざるマレーシアをお届けします。

参考資料

↓コタバルの戦争博物館

↓以前、日本人の民族性について雑考したもの

※表紙画像はadobe stockの無料画像から引用


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